accent

歴史背景

かなりいい加減なまとめですみません・・・




 1492年、スペインの援助を受けたコロンブスが新大陸を発見。スペイン軍はメキシコの地に兵を進め、1519年コルテスがアステカ帝国を滅ぼし、南北アメリカの植民地化に先手を打ち、金銀財宝の夢をヨーロッパにもたらした。
 16世紀、後発組のフランス、イギリス、オランダといったヨーロッパ列強は、スペインの海の制海権にチャレンジし、敵国の船を攻撃することを許可する「私掠免許状」を個人の船に発行した。プライヴァティア(privateer)と呼ばれるこの私掠船の船長として有名なのが、エリザベス女王時代のフランシス・ドレイク。女王から出資を受け、スペイン船に対する海賊行為を働いてナイトの位に叙せられている。国にとってみれば、正規の海軍は養わないといけないので、戦時の時だけ使えるプライヴァティアは都合が良い。プライヴァティアが、戦時も休戦時も条約も関係なく、海賊行為を行っていても、公式には我関せず、敵国の国力が削がれるなら放っておけばいい、というわけ。

 一方、バッカニア(buccaneer)と呼ばれる、カリブ海で海賊行為働く国籍様々な者たちがいた。バッカニアは「私掠免許状」をもっていることもあり、両者は混然としている。17世紀にバッカニアの根拠地として栄えたトルトゥーガとポートロイヤルは、前者がフランス、後者がイギリスがスペインから支配権を奪い取った場所で、ポートロイヤルはイギリスだけでなくスペインを悩ませるバッカニアをすべて歓迎したため、バッカニアの町として栄えた。(1692年地震と津波によってポートロイヤルの町は崩壊。)

 17世紀後半スペインの覇権が没落し、イギリス、フランスがそれに取って代わると、これらの国にとってもはや海賊は邪魔なだけ。特に1713年スペイン王位継承戦争が終わりユトレヒト条約が結ばれると、海賊は厳しく取り締まられるようになった。しかし18世紀、私掠船の舞台は、英仏植民地戦争、アメリカ独立戦争を抱える北米へと移っていく。

○ウィルパパが海賊になった理由?

 「大西洋で活動した5000人の海賊たちの大多数は、商船出身であり、自分たちの乗っていた船が海賊に捕獲されたときに、みずから進んで海賊の仲間に投じた者であった。」(『図説 海賊大全』p.262)

 なぜなら商船の船乗りの待遇は非常に悪かったから。海軍の船舶はさらにひどかったらしく、威張り散らす士官に上前まではねられると。当時の階級社会で、うまい汁を吸うのは苦労しない人たちで、平の労働者は搾り取るだけ搾り取られていたわけですね。
 自分と家族を養うのに背に腹は代えられず海賊になった人たちも多かったのでは。

 また、カリブ海のイギリス領の島々は政治や宗教上の反体制者や戦争犯罪人の流刑地となっていて、アイルランド人やスコットランド人が大量に移住していたりもします。まあ「ほんとはいい家柄だけど・・・」という線もゼロとは言えないけれど、あまり有りそうにはないかな・・・。


*参考文献
『図説 海賊大全』編者デイヴィッド・コーディングリ/東洋書林
・・・現在すぐ入手できる。図版が多く文章も非常におもしろい。ただし4500円とややお高め。

『略奪の海 カリブーもうひとつのラテン・アメリカ史』増田義郎/岩波新書
・・・経済的側面を中心にコンパクトによくまとまっているが、入手不可のため図書館で探しましょう。

『絶対王政の時代 新書西洋史5』前川貞次郎/講談社現代新書
・・・別にこだわりは無いのですが、ヨーロッパの歴史を思い出すのに、こーいうのが一冊手元にあると便利。

参考リンク
Web Index of Piracy
・・・英語サイトですが、いろいろリンク先の情報量は非常に多いので、興味のある方はトライしてくださいませ。



HOME