『宮廷料理人ヴァテール』 Vatel
17世紀のフランス。太陽王ルイ14世をもてなすために、コンデ公が開催した贅の限りを尽くした3日間の晩餐会を取り仕切る伝説の料理人ヴァテール。饗宴の準備が進む一方、野望と欲望につき動かされた陰謀劇が繰り広げられる。
「フランス映画史上空前の製作費」が投じられていることはよっくわかりますが、その割には満足度の低い映画かも。ヴァテールは「その後のフランス料理に多大な影響を与えた」人物なので、当時の晩餐会を再現したからといって、現代人が見て舌舐りするような洗練された料理が出てくるわけではないことは当然なのですが。(実際、画面に出てくるのは食材ばかりで、料理そのものはほとんどクローズアップされません。)しかも、ヴァテールは料理人といっても、料理道の鉄人というよりは、宴会のアトラクションから演出までトータルコーディネートする立場なので、イベントプロデューサーみたいな感じですね。絶対的な権力を前にして、プライドや恋心との葛藤、反発、責任感など、現代サラリーマンが共感できそうな点を、ヴァテールは大いに持ち合わせているのですが、いかんせんドラマとしてはなんともぬるい。そのため最後に感情移入できなくて中途半端な思いが残ります。
ユマ・サーマンが演じる、国王にもヴァテールにも策略家ローザン侯爵にも愛される女官アンヌは、印象的なのは「風を止めました」のシーンだけで、もうちょっと個性的な魅力が欲しかったです。
まあ、大スペクタクル饗宴の有様は、半端でないばかばかしさ加減が楽しめますし、お貴族さまの衣装を見ながら、あと20年ばかりすると、『太陽の王と月と妖獣』(マッキンタイア)よね、とか、さらに20年ばかり進むと、『カント・アンジェリコ』(高野史緒)だわ〜、などと、パラレル妄想にひたるには時代的に楽しめるものがあります。
『チャーリーズ・エンジェル』 CHARLIE'S ANGELS
70年代のTVドラマ「チャーリーズ・エンジェル」の映画化、と言っても、私は元のシリーズを見ていないのですが。まあ、要するに「スパイ大作戦」の女探偵版。謎の大富豪チャーリーの指令で美女3人のエンジェルたちが敵と戦い事件を解決させる、というパターンですね。
はっきり言ってストーリーはあってなきがごとし。今どき30分ドラマでももうちょっと濃いのではないかと思うくらいですが、にもかかわらず、1時間40分余り観客を飽きさせない作りは巧妙。ここまであっけらかんとしていると、観ている方も、何も考えずにひたすら笑っていられるので一種爽快です。同じおバカ映画でも『オースティン・パワーズ』はロンドン的なジトっとした笑いですが、こちらはカリフォルニア気候的なカラっとした笑いで、誰が召し上がっても食中毒は起こしません、という感じでしょうか。『ミッション・インポッシブル』、『MI:-2』パロディもかなり入っています。
何よりキャラクターの生かし方が上手い。キャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リューがエンジェルたちを演じていますが、予想以上にテンポよく動いて、三人三様の魅力がでています。アクションシーンは『マトリックス』の武術指導・ユエン・ウーピンの弟が参加しているだけのことはありますね。少女マンガ的なコミカル恋愛ネタもポイント高いかも。セクシーシーン満載というよりは、お笑い度の方が高い気がしますが、エンジェルたちのありとあらゆるコスプレは見物。(「ヨロレイヒ〜」はあのコスといいシチュエーションといい、何度思い出してもおかしい!(笑)。)
エンジェルのマネージャー、といいつつほとんど何もしていないボスレーは、『ゴースト・バスターズ』のビル・マーレーが演じています。いいですよ〜、彼はほんと存在自体がボケで。
見終わった後、見事に何も残りませんが、これだけ楽しい一時が過ごせればまったく文句なしです。
『漂流街 THE HAZARD CITY』
東京国際ファンタスティック映画祭のオープニング上映に行ってきました。
オープニングセレモニーは冒頭の”光と音のコラボレーション”(笑)がなかなか凝っていておもしろかったです。20世紀最大のヒーロー・ウルトラマンが登場するとは思ってもみませんでした。ゲスト紹介、『漂流街』関係者の一言挨拶の後、いよいよ作品の上映。
冒頭から飛ばす、飛ばす。劇画チックな主人公の登場の仕方といい、背景ギャグといい、確かに実にキャッチー(笑)。
ストーリーはシンプルな基本ラインにのってドミノ的なドタバタエピソードを転がしながら走っていく感じ。”国際都市”東京を舞台に、日系ブラジル人・サムと中国人の恋人・ケイが桎梏を逃れて日本脱出をはかろうとする直前、チャイニーズ・マフィアに邪魔され、なりゆきでヤクザともトラブルとなってしまい、周囲が巻き込まれたあげくに対決へとなだれこむというお話。
中国語やポルトガル語、それに片言の日本語が飛び交い、ほとんど字幕。無国籍映画といっても、『スワロウテイル』はものすごく日本的な映画だなあと思ったのですが、この作品はなんかある意味突き抜けちゃったなあという感じ。海賊放送の使われ方がおもしろかったです。
三池監督が「街で拾った」素人・テアを起用したサムとミシュエル・リー演じる美人な恋人・ケイのカップルも絵になるのですが、それを食ってしまうほどの存在感を示しているのが悪役ヤクザを演じる吉川晃司。いや〜、こんなに演技力があるとは思っていませんでした。中でも、あの最後の「笑み」のショットは記憶に焼きつきますね。さらに、もう一人の悪役、チャイニーズ・マフィア役の及川光博が、これまた、はまりにはまっていて、視線釘付け! 吉田秋生のイラストをそのまま三次元にしたような雰囲気を出せる日本人がいるとは・・・びっくりです。
はっきりきっぱりエンターテイメント映画ですが、どこでどれだけ笑えるかというのが、キーでしょう。ファンタオープニング会場は当然のことながら、笑いも拍手も惜しみなく反応する観客で一杯だったので、そういう雰囲気の中で見ることができたのは本当にラッキーでした。多分普通上映の映画館で見るのに比べると3倍くらい楽しめていると思います(^^)。
『五条霊戦記/GOJOE』
言葉にするとすべて上滑りしてしまいそうで恐いのですが、このスタイリッシュな映画はむちゃくちゃ気に入りました。ストーリーも知らずに「ちょっとおもしろうそう、でも幻魔大戦法力版みたいのだったら嫌だなあ・・・。」と思いながら見に行ったのですが、意外と地味派手で表現力豊かな映像にすっかり魅了されてしまいました。
平安末期。平家の支配する都に夜な夜な<鬼>が出る。平家武者を次々と襲う<五条の鬼>の正体は、源氏の生き残り遮那王=源義経であった。
一方、破壊僧・武蔵坊弁慶は不動明王からの夢のお告げを信じ、<鬼>を斬って光明を得るため、比叡山から大太刀<鬼切丸>を盗みだし京に戻ってきた。
平家武者との戦いの最中に、弁慶と会いまみえた遮那王は、彼の中に己の中にある<鬼>と同じものを見い出す。弁慶のかつての宿敵、荒くれ集団の棟梁・湛塊、弁慶を利用して遮那王を討とうとする平忠則、全てを見透しているかのような弁慶の師である高僧・阿闍梨、遮那王を早く奥州へと落ち延びさせ平家打倒の挙兵を願う小進坊、さまざまな人々の思惑乱れる中、遮那王と弁慶は己のために引き返すことのできない対決の道へと踏み出して行く。
誰でも知っている義経と弁慶の伝説を逆手に大胆な異説が展開されていますが、作品全体の雰囲気が実にいいです。海外を意識した作りもよくありがちな大仰さが感じられず、時代の雰囲気が最後まで一貫していて、その中に躍動感あふれるアクションと精緻な演技が繰り広げられています。構成としては前半と後半の切れ目で緊張感がぷっつり切れてしまうところがちょっと残念でしたが、終盤の盛り上がりはそれを補って余りあると言えるでしょう。
主役二人は言うまでもないですが、ぜいたくな配役の脇が見事。独特の雰囲気のある岸辺一徳は冷徹な策略家・平忠則に重みを加え、舞踏家の勅使川原三郎は阿闍梨の静謐さに込められた迫力の挙動を完璧に表現し、プロレスラー・船木誠勝は弁慶と対照的な肉体派・湛塊を違和感なく演じきっています。準主役の鉄吉を演じる永瀬正敏は強烈な個性二人の間であまり目立たないのですが、スチール画の表情を見返すとやっぱりこの役はかなり難しいなあと思います。弁慶と二人だけのせりふの少ないシーンで気の抜けた表情をされたら台なしだろうなあと。
こういった脇に支えられてはじめてあの主役二人の演技が光るのですね。弁慶役の隆大介は、近々では『躍る大捜査線』のSWAT隊長のイメージが強いですが、無名塾出身の実力派。人の業を背負い、剛さと弱さ、信念と迷いが混在し、すべてを内に抱えたまま滲み出てくる弁慶の表情(顔のみでなく全身から発せられる演技)に胸打たれます。対する遮那王を演じているのは、不精髭のイメージが強い(私だけか(^^;?)個性派若手俳優、浅野忠信。能面のように感情をあらわにしない遮那王ですが、強固な意志と孤独と鋭利なあやうさを持ち合わせ、やがて一線を越えてしまう者の極みと哀しみが刹那に伝わってきます。(それほど出演映画を見ているわけではないとはいえ、浅野忠信はイメージ的に絶対私の好みじゃないと思っていたのですが、遮那王かっこよすぎ・・・惚れました。)
遮那王VS弁慶の構図はおいしいですね。「この子を殺さねば<鬼>になる」と言われて育ち、<鬼>になることを強いられた遮那王。かたや、死の淵で阿闍梨に救われたが、生まれた時から「<鬼>の子」と呼ばわれ人としての存在を否定された弁慶。源氏再興という重石に括られた檻の中で、たまたま才覚があったがためになるべくしてなってしまった<鬼>=遮那王が、大義名分だったはずの目的すらほうり投げ、「我に挑め」と放つ言葉は「我を滅ぼせ」と表裏一体ですからね。一線を越えてしまわなければならないほど自分を追い詰めてしまった遮那王が、不確実な世界で初めて確かな手ごたえを感じたものが、自分と同じ<鬼>をもつ弁慶。しかし、それはしょせん戦いの中でしか得られない<鬼>の手ごたえであり、同胞にめぐりあえた喜びを愛でることなく、滅ぼすか滅ぼされるかのせめぎあいに向かってしまう悲劇。・・・とかまーいろいろ御託を並べたくなってくるけれど、そーいうものをせりふに頼らず、映像に語らせてしまうところがこの映画のすごさなんじゃないかと思います。
うーん、なんか言葉にするとやっぱり薄っぺらい(^^;)。
とりあえず私の場合は「遮那王らぶらぶ〜 (*^^*) 」ってだけでも、是が非でももう一度劇場に足を運びたいと思っています(笑)。
蛇足ですが、弁慶が鉄吉を伴い遮那王の本拠地めざして、もののけが出る”逢魔ヶ森”を進むシーンは、タルコフスキーの映画『ストーカー』を彷彿させます。こんなことを考えるのは私だけかと思っていたら、連れのSFファンその1も同じ感想をもらしていたので、どうやらそーいうもののようです(^^;)。
蛇足ついでにタイトルですが、どうせなら『GOJOE』だけにすればよかったのに、と思います。”霊戦記”というあやしげなタイトルのせいで、損をしている気がします。
『マルコヴィッチの穴』 BEING JOHN MALKOVICH
また変な映画に出会ってしまいました〜\(^o^)/。
主人公のクレイグは人形使いとしての才能を生かすことができず街頭芸人に甘んじている。妻ロッテからも職に就くようせっつかれ、ある日新聞の求人欄で見つけた「手先の器用な人求む」という会社に面接に行く。そこはマンハッタンの真ん中にある7と1/2階にあるオフィスで、クレイグはファイルングの仕事を得るが、ビルの説明会で美女マキシンに出会い一目ぼれしてしまう。マキシンに相手にされないクレイグは仕事中偶然に「15分間だけ俳優のジョン・マルコヴィッチになれる穴」を見つけてしまう。クレイグはマキシンと共にこの穴を使って商売を始めるが・・・。
シリアスで痛烈な風刺でブラックで、でも全体のトーンはコメディタッチ。最初は”ちょっと変”くらいが、あれよあれよと思う間に”だいぶ変”になってしまい、クレイグが激情に翻弄されながら、ふと「どーして俺はこんなことをやっているのだろう」と困惑するあたり、観ている方も思わずうなずいちゃいます。
「マルコヴィッチの穴」にマルコヴィッチ自身が入ってしまったら、どうなるのか? 前半の山場ですが、もー、これが本当におかしい! 一番好きなシーンです(笑)。(でも、その直前に穴に入っていた人は一体どういう体験をしたのでしょうか(^^;?。)
一部分だけを取り出すと、SFや奇想天外小説が好きな人にはそれほどめずらしくないシーンということになるのかもしれませんが、この全体の構成といい展開の仕方といい、いやはや口あんぐりという感じでした。
ラストのきわめてブラックなオチとあの透明なブルーのプールの映像との取り合わせは絶妙。
私やあなたの頭の中につながる穴がどこかにあって、誰かが行列つくっていたりして・・・。
『ホワイトアウト』
雪に閉ざされた巨大ダムを舞台に織田裕二が『ダイ・ハード』に挑む。なかなかの力作。
日本最大の貯水量を誇る奥遠和ダムがテロリストたちに占拠される。犯人グループはダム職員を人質にとり、日本政府に対して50億円を要求する。24時間以内に要求がのまれなければ、ダムを爆破すると宣告。ダムへの唯一の道シルバーラインは爆破により通行不能となり、吹雪ふきあれる悪天候の中ではヘリも飛べず奥遠和ダムは孤立。あやうく人質として囚われることを逃れたダム職員・富樫は、なんとかして外部に連絡をとり、仲間たちを救出しようと孤軍奮闘する。
企画・製作サイドも役者サイドも予想以上にがんばってます。”こじんまりしたローカル・ダイ・ハードもどき”ではなく、現代日本を舞台にそれなりのリアリティが感じられる設定、かつ映像化困難な物語をよく映像にしています。特に前半の地味な富樫奮闘シーンが良いです。例えば、派手なハリウッド・アクション・エンターテイメントが錬金術系としたら、こちらは鍛冶屋系の地に足がついた質実剛健アクションという感じ。富樫がスーパーマンではなく、あくまで普通の人間が極限状態に追い込まれるというところを織田裕二が上手く演じています。この映画は、ある意味「織田裕二の映画」なのですが、それを不快に感じさせないくらいによくがんばっています。俳優としての力量を初めて感じさせてくれました。
後半はお約束のアクション・シーンが展開され、「この状況でちょっとそれは無茶だろう・・・」という突っ込み箇所はたくさんありますが、まあご愛嬌の範囲でしょうか。ただし、そのために物語の展開に若干無理が生じていて、ラストはどう考えても「ホワイトアウト・エンド」で泣かせるべきだった、としか思えないのです。これは、富樫が助けられなかった同僚・吉岡の婚約者、平川千晶というキャラクターの描かれ方が、原作と映画で異なっているせいもあるかもしれませんが。(映画では嫌な女に見えます。)というわけで、原作にあったラストの説得力が映画ではちょっとぼけてしまったように感じました。
それを除けば、脚本の出来はかなりいいですね。原作者の真保裕一が参加していることもあるのでしょうが、状況の説明をきちんと過不足なく観客に伝え、かつ画面の緊張感が途切れない構成になっています。吉川のジャケット、コンパスといった小道具の使い方もうまいです。(携帯の使われ方は、スポンサー根性まるだしでちょっと興醒めでしたが。)
全体としては、かなり見ごたえのある作品で楽しめました。
『ジュブナイル』といい『ホワイトアウト』といい、この夏は、がんばってる邦画が見れて実にうれしいです。
『M:I-2』
トム・クルーズ主演『ミッション・インポッシブル』第二弾。
前作が思いの他楽しめたのとジョン・ウー監督のアクション・シーンが期待できそうだったので見てみました。
製薬会社の科学者が発明した”キマイラ”という名の脅威のウイルス(とワクチン)をめぐって、イーサンとテロリストのアンブローズが対決。今回の相棒・女泥棒ナイアと恋仲になったイーサンはナイアをアンブローズの元に送りこまなければいけない羽目になる。
相変らずストーリーはペケですが、冒頭のロック・クライミングシーンに始まり大画面を意識した映像は見ごたえがあって二重マル。期待のアクション・シーンも大いに楽しめました。手に汗にぎる、というよりは、「おー、豪勢、豪勢」とか「がんばってる、がんばってる」という感じなんですが、やっぱりアクション映画はこうでなくちゃね、というノリが良いです。あと、水鳥がはばたくシーンなんかも「かっこつけるぞ〜」って意気込みが私は好きざんす。(あれがトム・クルーズでなければ「きゃー!」と叫びたいほどでした(^^;。)
感染経路がどうたらこうたら、とか、頭使いながら見ると腹立ってくると思いますが、まあそこは何も考えずに楽しむ映画と割り切りましょう。(でも、いくらイーサンの元替え玉と言っても、現恋人と元恋人の違いくらい気付けよ>ナイア。)
疲れた頭を浮世離れした世界に浸りながら気分転換を計りたい方には最適。レディース・デイ1000円の元は十分取れました。
『ジュブナイル』 Juvenile
世間様は夏休みというのをすっかり忘れていて、観客の半数以上をお子様が占める映画館で見るはめになってしまい、いささかうんざりしてしまいましたが、それでもしっかり心に焼きついた映画でした。
2000年の夏。片田舎の小学生4人組はどこからともなく現れた球形の小型ロボットに出会う。テトラと名乗るそのロボットはなぜかユウスケの名前を知っていた。一方、地球に飛来した異星人は隠密に何かを企んでいた。テトラを追う異星人の存在に気づくユウスケたちだが・・・。
テトラがかわいいです! あのコンパクトさといい、動作といい、フクロウのようななおめめといい、「グロテスク」アイボくんにも見習わせたいものです。やっぱり、愛玩ロボットは丸くないとね。(って、テトラが丸い理由はデザイン効果とは別にちゃんとあるんですが(^^;)。)
映画の中ではあまり説明されていませんが、設定はきちんと細部まで作りこんでいる印象で、それが映像の重厚さにつながっている感じがしました。SFファンの間で評価が高いのもうなずけます。なにより「今」の物語として素直に受け入れられるストーリー展開が非常に上手いです。
日本映画も洗練されてきたなあと感心することしきり。『スタンド・バイ・ミー』の甘やかなせつなさを追体験するような(しかもSFマインドあふれる物語をもつ)邦画に出会うことがあるとはよもや思ってもみませんでした。丁寧な映像に加えて、また音楽がいいのですよね。山下達郎ってどーしてこんなに泣けるんでしょう。
「レイちゃん」と呼びたくなる鈴木杏はじめ子役の子供たちの演技もよかったですし、変人と噂される天才科学者役の香取慎吾の演技もなかなかの見物。
しかし、エピローグを見ながら、この映画を今見ているこの子供たちには「もしかしたらこんな未来があるかもしれない」わけで、なんだかむくむくと嫉妬心が・・・(^^;;。(自分が過ごしてきた時間を強烈に悔いているわけではないけれど、でもやっぱり白紙の未来を持っているってうらやましいじゃないですか。)
ともあれ、マニア向けではなく、世界に誇れる「ジュブナイル」作品であり、子供と大人が一緒に楽しめる作品ですね。