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『海の上のピアニスト』THE LEGEND OF 1900 1998
 地上に降りることなく船の上で一生をおくった天才ピアニストの物語。監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ。

 大西洋を横断する豪華客船ヴァージニア号のピアノの上に置きざりにされた、生まれたばかりの赤ん坊を黒人機関士が見つける。生まれた年にちなんで1900(ナインティーンハンドレット)と名付けられたその子供は、やがて迷いこんだラウンジでピアノに出会い、天賦の才を花開かせる。
 物語は、ヴァージニア号でナインティーンハンドレットと知り合ったトランペット奏者マックスの追想という形で進み、華やかな客船生活、そして、ナインティーンハンドレットの恋など数々のエピソードが綴られてゆく。

 さすがトルナトーレ監督、全体的に"legend"というタイトルに相応しい、詩的で華やかな色彩に飾られたシーンを切り取ってみせる優美な映像は素晴らしいです。ナインティーンハンドレット役のティム・ロスが非常によく、何を考えているのかわからないような表情や、ピアノの音色と一体となった姿は、他の俳優が演じるナインティーンハンドレットは考えられないという位、はまっています。
 嵐の最中、激しく揺れる船上で、グランドピアノのストッパーをはずして、”アリスのティーカップ”のように床を滑りながら演奏する場面には度肝をぬきました。よくこんなこと思いつくわ〜。
 他にも(自称)ジャズの発明者ジェリー・ロール・モートンとのピアノ対決や、時が止まった一枚の絵のように、ナインティーンハンドレットが窓の外の少女に視線を釘付けにしながら奏でる美しいメロディなど、印象的なシーン満載。映像と音楽に酔いしれてしまいました。(音楽も『ニュー・シネマ・パラダイス』のエンリオ・モリコーネ。)

 ただし、ラストは不満、というか、ちょっと違うだろ〜みたいな思いが込み上げてしまったので、感動にむせび泣くということはありませんでした。どうせならもっとファンタジックにちゃんと泣けるように幕を閉じてほしかったです。これって私としては中途半端に見えるんですよね・・・。

 「私ならこうするラスト」と違っていることを差っ引いても、好きな映画の一つにはあげられます。スクリーンで見れなかったのが本当に残念。



『CUBE』 1998
 目が覚めたら、正立方体(キューブ)の部屋に閉じ込めれていた。壁のハッチを開けると、同じ造りのキューブの部屋が続いている。しかも、部屋によって様々な殺人トラップが仕掛けられているのだ。ここはどこなのか? 誰が何のためにこの建物をつくったのか? 自分はなぜここに閉じ込められたのか? 登場人物たちはわけがわからぬまま出口を求めてさまよい始める。途中、各人の何らかの存在意義が判明されてゆくが、一方、長時間にわたる密室環境の中で、仮面がはがれ人の心の暗部がむき出しになってゆく。

 映像的にはかなり地味というか、ずーっとキューブからキューブに移動しているだけなのですが、退屈するどころか、じわじわと閉塞感・緊張感が高まってきます。夢の中で行けども行けども逃げられない、という感覚が再現される感じ。美しいまでに無機的な空間で展開される抑制のきいた人間ドラマは非常に上手いです。そしてエンディングに至っては、誰が何のために? という疑問すらどーでもよくなってくるほどの不条理感に冒されていました。

 カナダの若手監督ヴィンチェンゾ・ナタリが低予算で製作した作品ですが、なかなか、斬新。
 恩田陸が気に入ったというのはよくわかる気がします。



『ラスベガスをやっつけろ』 Fear and Loathing in Las Vegas 1999
 テリー・ギリアム作品といっても他の作品より別な意味でアクが強い作品。
 ストーリーはあってないようなもの。アメリカン・ドリームもラブ&ピースもベトナム戦争の傷跡も肌で感じたことがない私にとっては、現実だってしょせん映像の中の出来事なんですよね。そんなわけで、その時代とアメリカという国への断罪でありオマージュであるこの作品は、自分の中ではとっかかりがなくてとりつくしまがないなあという感じ。(もしかしたらハンター・S・トンプソンの原作の方が楽しめるのかも。)
 主人公たちがずーっとドラッグ漬けなので、空間が歪んでいたりギリアムっぽい幻想シーンもでてくるのですが、「ドラッグのせい」という理由がついていると、なんだか全然おもしろくないのです。(あれを劇場でみたら悪酔いしそう(^^;)。)

 主人公を演じているのはジョニー・デップですが、頭を剃っているという点をさっぴいてもまたまた見事に別人になってまして、やっぱりすごい俳優なのだと思います。



『ピーター・グリーナウエイの枕草子』 The Pillow Book 1996
 けったいな映画を見てしまった・・・一言で感想をいうならこんな感じでしょうか。
 グリーナウエイらしい計算されたカット割、エロチックで異色な映像美が繰り広げられます。イメージだけの「エキゾチック東洋」という視点で見ることができるならば、このむちゃくちゃなプロットもかなり楽しめるのではないかと思います。惜しむらくは自分が日本人だったということで、これが「エキゾチック西洋」とか「エキゾチックイスラム」な舞台だったら、時代設定や舞台設定のちぐはぐさなど気にせず無神経にひたれたかもしれません。

 日本人女性ナギコ(ヴィヴィアン・ウー)にとって、父親(緒方拳)が顔に文字を書いて祝ってくれた誕生日のイベントは特別のもの。千年前に誕生した『枕草子』になぞらえて日記を書き綴るナギコは、無理矢理結婚させられた相手から逃げ出し香港にたどりつき、自分の身体に書を書いてくれる人を捜し求める。そこで書を研究している翻訳家ジェローム(ユアン・マクレガー)に出会い二人は恋に落ちるが、ジェロームはかつてナギコの父親を辱めた出版社社長の愛人だった。ジェロームをめぐる三角関係は思わぬ結末に・・・。

 プロモーションで使われていた「裸体にびっしりかかれた筆文字」は、ナギコが紙の替わりに人の裸体に文章を綴ったもので、まあ総合アートみたいなものですね。そこには「メッセンジャー」という色まで加わりますし。「書」が「文字」ではなく「模様」に見えるとそれなりにインパクトがあるんだろうなあと思います。私なんぞは「耳なし法師」を思いだしたりとか、やっぱりちょっと違うんだなあ、みたいな違和感の方が先にきてしまいましたが。

 あと、耽美というよりグロくて猟奇になってしまうところがかなしいです。グリーナウエイだからしょうがないといえばしょうがないのですが。

 「アート系」フリークな人とか、話のネタに見たいという方以外にはお薦めしませんが、ユアン・マクレガーが「アケテクレ」などと片言日本語をしゃべるシーンを見られるのはこの映画くらいでしょう。



『リトル・ヴォイス』 Little Voice 1998
 『ブラス!』のマーク・ハーマン監督の最新作、おまけにユアン・マクレガーも出演ということで、公開時から楽しみにしていました。

 父を亡くしたショックで心を閉ざし口をきかなくなったLV(リトル・ヴォイス=エル・ヴィ)。対して機関銃のように絶えずまくしたてる母親のマリーが家につれこんだタレント・エージェント、レイ・セイは、LVがジュディ・ガーランドそっくりに歌えることを発見する。LVに大いなる夢を見い出したレイ・セイはLVを舞台に立たせようと強引に説得し、失敗にもめげず舞台の手配をすすめる。そして、父のために一夜だけのショーを繰り広げ、見事観客に熱狂的な興奮をもたらしたLVだが・・・。

 LV役のジェイン・ホロックスの物まねはすごいですね。歌もさることながら次々セリフをまくしたてるところは迫力。元々彼女にインスパイアされて書かれた脚本で、舞台で同じ役を演じていたというだけのことはありますね。
 一夜の夢のステージシーンとLVの自立のエピソードとが分断されてばらばらになってしまいそうな所を、自然な演技でサポートするのは、ユアン・マクレガー演じる鳩好きで人付き合いの苦手な青年ビル。どこにでもいそうな「隣のお兄さん」、誠実でシャイな青年という役柄にはユアンは実によくはまります。

 夢物語で終わるのではなくて、陰惨な現実を振り返ったところに素敵な笑顔を見い出させるところが、マーク・ハーマン監督ですね。『ブラス!』同様、大傑作というのではないけれど、佳作としていつまでも心に残るような作品。



『π』 1997
 あらゆる事象はすべて数字に置き換えられ、理解することができ、そこにはパターンがある。という仮説の下、全てを表す究極の数字の研究に没頭する天才数学者マックス。株式市場の予想のための演算を行ったコンピュータは216桁の数字をはきだしてシステムダウンしてしまう。その数字群は株価の予測を解く鍵であり、ユダヤ教正統派カバラ主義者の聖なる数字でもあった。偏頭痛と悪夢に苦しむマックスは経済マフィアとカバリストに追われるはめに・・・。

 とりたてて斬新なイメージや物語というわけではないですが、妄想なのか真なる神秘なのか境界で翻弄されるパラノイア主人公の物語なので「おお、これはディックだ・・・!」と思いながら見ていました。その他、ウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』(文芸春秋)や夢枕爆の『上弦の月を食べる獅子』(ハヤカワ文庫JA)といったあたりも脳裏に浮かび、さらに「碁盤の中に宇宙がある」まで飛び出し、気がつくとこの作品を独自に楽しむというよりは自分の中にあるたくさんのイメージと共鳴する部分で楽しんでしまったというところがあります。すなわち、映像的には「製作費約6万ドルでよくがんばりましたで賞」というのが先にきてしまい、すごくよかったとかおもしろかったという気はしないのです。ただ、こんなカルトな領域で勝負を賭け、しかもチープさよりも独自なスタイリッシュさの方が印象に残るという点で、このダーレン・アロノフスキー監督の才気には興味を覚え、ぜひとも十分な資金で撮らせてみたいという気がします。



『普通じゃない』 A LIFE LESS ORDINARY 1997
 『トレインスポッティング』のダニー・ボイル監督のロマンチック・コメディ。主演はご存じユアン・マクレガーとキャメロン・ディアス(『メリーに首ったけ』)。

 かたや小説家志望で掃除夫のロバート、かたや大金持ちのお嬢様セリーン。この二人が恋に落ち永遠の愛で結ばれるよう奮闘する二人組の天使。
 職を失い恋人にも振られたロバートは、社長に直談判しに行ったところ、娘のセリーンを人質にとって逃げるはめに。そもそも計画もなにもなかったこの誘拐事件。素人誘拐犯ロバートは、かつて誘拐された経験がありこれを機会に父親から金をふんだくって逃げ出そうと画策するセリーンにリードされっぱなし。悪戦苦闘の二人組の天使は果たして任務を遂行して再び天上界に帰ることができるのか?

 あらすじだけ聞くとありきたりの映画に思えるのですが、そこはダニー・ボイル監督。シニカルなユーモアが効いていて、「これってもしかしてパロディ?」ってところもあり、ついつい画面に引きこまれてしまいます。ユアンはナイーブな夢追い人の役どころにはぴったり。二人組の天使に紛するのはホリー・ハンター(『ピアノ・レッスン』)とデルロイ・リンド(『身代金』)という演技派で、彼らの存在感が映画を見ごたえのあるものにしています。

 『トレインスポッティング』もBGMがなくてはならない存在でしたが、この映画でも”Always On My Mind”や”Beyond The Sea”といったラブソングがキーとなる場面で上手く挿入されています。意外と上手いユアンの歌(おへちゃなキャメロンのデュエット付き)も聞けます。

 アクの強い『トレインスポッティング』に比べるとこちらの方が誰がみても楽しめる映画ですね。

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