2002年10月



『グラン・ヴァカンス 廃園の天使I』飛浩隆(ハヤカワSFシリーズJコレクション/早川書房)
 「ここにあるのはもしかしたら古いSFである。ただ、清新であること、残酷であること、美しくあることだけは心がけたつもりだ。飛にとってSFとはそのような文芸だからである。」(ノート p.306)

 セールストークは苦手だといいながら、著者後書きに記されたこの言葉ほど本書を雄弁に物語っている言葉は他にないのではないでしょうか。

 「古い」という意味は、「流れ硝視」に「ドリフト・グラス」とルビ打たれた単語に反応するSF読者向け、あるいは読みながらどこかしら「懐かしい」と感じる人へのメッセージであるのかもしれないし、さらに言えば、ある日突然表面的な世界の構造が崩れ、己の次元と異なる世界に属する者たちに接することになる物語構造であるとか、人間の本質が浮き彫りにされようとしている点とか、いわば普遍的な物語テーマを指しているのかもしれません。が、それは言わば、作者自身が過去のSFを愛してきた上に成り立っている作品という風に受け取れます。実際の作品としては、帯に山田正紀氏が「21世紀の新しいSFがついに雄叫びをあげた。」と絶賛している通り、まぎれもなく待ちかねていたテイストに、熱病に冒されたような感覚を味わっています。

 仮想リゾート<数値海岸>の一区画<夏の区界>にゲスト(人間)の訪問が途絶えて1000年。同じ夏の一日を繰返すAIたちの世界に、突如<蜘蛛>の大群があらわれる。プログラムである<蜘蛛>は街の構造、すなわち区界自体をすべて食べ尽くすために存在するかのようである。圧倒的な<蜘蛛>の存在に、わずかな生き残りのAIたちの抵抗が始まる。

 あらすじを読むと戦闘もののような感じがするし、確かに舞台としては戦っているのだけれど、物理的な攻防戦というよりは、心理戦であり、罠の仕掛けあいであり、謎を追い掛けるホラーミステリーという要素が強いです。

 仮想とは何ぞや? と一度も考えたことがない人。
 AIだから怪我をしても痛く無い、と思う人。

 こーいう人は読んでも面白くないと思うので、読まなくて構いません。
 わたしは読みながらぽろぽろ泣いてしまいました。自分でも何に対して泣いているのかよくわからないままに。単純な感情移入でも、単純な痛みでもなくて、何だろう? 登場人物の存在自体、あるいはこの世界の存在自体に対してなのかな。うまく言えないけれど。
 とてつもなく美しくて、残酷で、それでいて清らか。
 見事作者の意図通りのはまり方をしたわたしが、わたしてきに表現をするならば、たとえば、大原まり子の『ハイブリッドチャイルド』から血潮を引いて、もっと透き通りようなもろさと残酷さを加えたような。(あるいは牧野修の『MOUSE』をレース編みで折り直して切なさを加えたような、とか、人によってはジョン・ヴァーリィあたりを思い出すかもしれません。)そういう意味では、ある年代の人にはとっかかりやすい要素があるのかも。しかしながら、多分それは同時に、そんな過去の作品を全然知らない若い読者が熱狂しのめり込む要素でもあるのではないかと思います。

 飛作品自体は、わたしは良き読者ではなくて、思い出せるのは『デュオ』くらいなのだけれど、10年の沈黙の後に、よくぞ出てきてくれた、という感じです。 




『ラーゼフォン 時間調律師』神林長平/原作BONES・出渕裕 (徳間デュアル文庫)
 どーして神林さんがアニメのノベライズ? と、びっくりしたのですが、読んでみると納得。神林オリジナル作品と言われても、まったく違和感がない世界設定だからですね。『猶予の月』とだぶって感じられますし。

 わたしはアニメの方はまったくわからないのですが、オープニングからしてずいぶん地味な話で、主人公の思弁が長々続くので、これほんとにアニメでやったのかなあ??? と不思議に思ったのですが、やっぱりアニメのストーリー展開とはずいぶん違うようです。そのため、単純なノベライズではなく、世界設定を共有したコラボレーション小説、といらえた方がわかりやすいのではないかと思います。

 神林オリジナル作品だとこんなに簡単に決着がつかないような気がしますが、ともあれ、神林ファンが神林作品として楽しめる小説ですし、アニメの方もちょっと観てみたいなあという気になりました。


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