2002年2月



『図書室の海』恩田陸 新潮社
 1995年〜2001年にかけて書かれた、連作シリーズ以外の短編と書き下ろし2編という構成。
 書き下ろし以外は全て再読でしたが、恩田陸作品は、読後にあらすじそのものよりもその中のとあるシーンが強烈な印象を残すということをあらためて確認しました。わたしの記憶力が悪いといってしまえばそれまでですが、デジャ・ヴを感じながら読むという感じで新鮮な楽しみがありました。

 個人的に好きな作品は、ダントツで「イサオ・オサリヴァンを捜して」、次点が「春よ、こい」。前者は大きな物語の予感をはらんだ緊張感がたまらないし、後者は色彩あふれた表現力が見事で、なんともいえない情感があふれてきます。
 『六番目の小夜子』の番外編、「図書室の海」は関根秋の姉、夏のエピソードですが、タイトルには非常に惹かれるのだけれど、短編としてはちょっと物足りない気がしましたが、みなさんはいかがでしたでしょうか。

 それにしても、いまだ書かれぬ大長編の予告編、というのはやはり反則ですよね。『グリーンスリーブス』に『夜のピクニック』、早くお目見えしてほしいものです。




『沈黙』古川日出男 幻冬舎
 言葉は感情をあらわすためではなく、世界をあらわすためにある、という理りを実践する作家をわたしは偏愛する。「世界」とは「存在」あるいは「不在」と置き換えても構わない。わたしが望むものは、わたしの心をからっぽにして、幻視のイメージで満たしてくれる言葉の力。

 大量に消費されていく本の中で、時に「これはわたしのためにある」と確信する出会いがあります。「この作品はわたしの中に消えない痕跡を残す」という意味で、特別なもの。わたしにとって古川日出男はそのような作品を創出する数少ない作家であり、物語の完成度としては数段上であろう『アラビアの夜の種族』に比べても、この『沈黙』という作品の痕は深く刻まれる気がしました。

 外国語に堪能で、顔と声を変えることができた大瀧鹿爾は、大東亜戦争時に情報機関の一員として活躍し、日本軍降服後もビルマに逃げのびたが、帰国後、長男修一郎が11歳の時に失踪。修一郎は地下室にジャケットもレーベルも剥ぎ取られた大量のレコードと11册のノートを残し、生命を絶った。
 修一郎の残したノートに記されていたのは「抹殺された音楽」=リコの歴史。それは、血縁の<あたし>秋山薫子によって読み解かれることになる。

 <<根源的な悪>>とそれに対抗する生きる意思、というテーマを<<音楽>>というキーワードで綴った作品とも言えますが、テーマや思弁、哲学、あるいは物語の結末、そんなことは二の次で、わたしはただただ言葉のパワーに圧倒されました。”音楽が聴こえる”というレベルをすら凌駕する文章がここに存在する、というその事実に打ちのめされた気分です。それは衝撃的、暴力的ですらあります。

 万人のためではなく、おそらく少数の”感電してしまう人”のためにある作品。
 自分の中では、スティーヴ・エリクソンやイアン・マクドナルドにつながる位置にあるようです。奥泉光、神林長平なんてところにもつながります。いずれにせよ、古川日出男は一人一ジャンルの作家としか言いようがありません。




『アラビアの夜の種族』古川日出男 角川書店
 寝食を忘れさせる本がある。むさぼるように読まずにはいられない物語を孕んだ特別な本。この本はそのように烙印を押された一冊。しかも、特別の中の特別、秘中の秘、怪物のような奇書である。

 中世の後夢をむさぼるカイロに迫るナポレオン艦隊。
 権力争いに明け暮れ事態を把握していないエジプト内閣の中で、ただ一人近代兵器を備えたフランス軍の脅威を認識していたのは、類い稀な才能に恵まれた奴隷側近・アユブールの主人イスマーイール・ベイだけだった。とは言っても、打つ手はあるのか? アユブールは自信ありげに主人に告げる、「もう手は打ってあります」と。歴史の闇に埋もれた『災厄の書』、読む者を狂気に陥れる一冊の本が究極の救いをもたらすと。

 『災厄の書』の中身として語られる物語に魅了され、6時間耐久読書の果てに辿り着いたラストでは、ナポレオン艦隊が迫る”現実のエジプト”に物語が立ち上がる様に、めくるめくような幻惑感、恍惚感を覚えました。とんでもない作品ですね。
 小林恭二の奇想に、野阿梓あるいは山尾悠子の華麗な文、池上永一の軽快な語り口、「グイン・サーガ」の映像性をブレンドしたような、と言う表現が的を得ているかどうかはわかりませんが、とにかく語り上手。蘊蓄に偏ることなく、感情におぼれることなく、奇想天外な物語のおもしろさで読者をひっぱっていくこの作者は、間違いなく現代の「語り部」であることは疑いようがありません。

 「暴夜」に「あらびあ」とルビを振った言葉が、後書きの冒頭に出てきますが、まさに、あらぶる言葉の魔力、圧倒的な物語の力に翻弄されました。こんな本を読んでしまったら、この後に一体何を読めと? と叫びたくなるくらいの威力。
 この本を読まずして「本好き」と称することなかれ!



『五人姉妹』菅浩江 早川書房
 『永遠の森 博物館惑星』で日本推理作家協会賞を受賞し、昨年はホラー幻想短編集『夜陰譚』を出版、と幅広く活発な活動がうれしい菅浩江の最新刊はSF短編集。

 ほとんどは初出で読んでいるのですが、こうしてまとめて読み返すと、まさに「珠玉の」という形容詞がふさわしい作品群。クローン、介護(される)ロボット、AIBOを彷佛させるペットロボット、人格トレースされたAIといった、比較的身近に感じられるテーマの作品ばかりですが、そこには読者をあっと言わせる、というよりは、「やられた」と泣かされる、巧妙な仕掛けが潜んでいます。

 特に印象的なニ作をあげると、「夜を駆けるドギー」は、ミステリタッチのストーリー展開もさることながら、ネットを通じてしかコミュニケーションできない主人公二人の微妙な心理劇が、リアルな鏡像としてとても好感がもてました。また、「老い」をテーマにした「賤の小田巻」は、「鷺娘」を思い出しながら読みましたが、また違った深みがあり、ラストでは思わず雅史と同じく涙が頬をつたっていました。

 SFというとどうしても日常からかけ離れたシチュエーションの作品が多いけれど、ここにあるのは日常から容易に手が届くような物語。去年出版された中編『アイ・アム I am』でも感じたのですが、菅浩江は、老い、介護、あるいは生きること、死ぬことについて真摯に向かい合っていて、それを作品に出してくるSF作家だと思います。しかも、それを押し付けがましさのない切ない物語として語ることができる。希少な作家ですね。



『ミステリ・アンソロジーII 殺人鬼の放課後』恩田陸/小林泰三/新津きよみ/乙一 角川スニーカー文庫
 スニーカー文庫とタカを括っていたらこれが結構リアルな秀作揃い。

 恩田陸の「水晶の夜、翡翠の朝」は、『麦の海に沈む果実』と同じ舞台で、時系列的にもその後の物語になっています。全寮制の学園で、マザーグース殺人事件ならぬ日本の童謡「わらいカワセミにははなすなよ」にちなんだ事件が起こります。見目麗しい、ダークファミリーの息子・ヨハンの手腕はいかに?
 『麦の海・・・』については好き嫌いがわかれるようですが、わたしはこの少女漫画的な雰囲気がとても好きですね。ちなみに「白い人形」で、『千と千尋の神隠し』に出てきた人形(ひとがた)を思い出しました。

 小林泰三の「攫われて」は、静かに残忍な描写をサラッと出してくる作者の筆が今回も冴えているので、気弱な女性(特に子供がいる人)にはおすすめしません。読んでいるのが、食後でなくてよかったーと思ったもの。最後の一ひねりがまた効きますね。

 新津きよみの「還ってきた少女」は、幽霊話のようなはじまり方が巧みで、構成はいまひとつと思うものの、一年の差の謎はちょっと盲点でした。

 乙一の「SEVEN ROOMS」は、明らかに映画『CUBE』を念頭においた設定ですが、淡々と描かれる絶望的な状況から不可能を可能にするラストまでなかなか読ませます。

 ちょっきりワンコイン500円(税込)で、あまり時間をかけずにささっと読める割には、充実した一冊。

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