2002年3月



『アビシニアン』古川日出男 幻冬舎
 なんとなく古川日出男は装丁で損をしているような気がする。装丁が悪いわけではないのだけれど、一見した印象から「買いたい」と思う層と、実際に作品を愛でる層とがずれているような気がしてしょうがない。この『アビシニアン』もネコの顔アップ写真に赤い帯で、「ぼくは急いで書かなければならない。ぼくと彼女の愛についての文章を/もっとも気高く美しい者たちの恋愛小説」と書かれている。確かに間違ってはいないけれど、この作品を愛する人は、およそ”恋愛小説”と銘打たれたものを読みたい人とはかけ離れているのではないかという気がとてもします。

 『沈黙』に登場した、引っ越しのために親が飼い猫を保健所に連れていってしまい、公園で泣いていた少女が、中学を卒業し、家を出たところから物語は始まる。アビシニアンとの再会。公園で過ごす半野生の生活の中で、ほんとうの言葉と引替えに文字を捨てた少女。
 時折光りとともに襲われる激痛の発作をかかえる「ぼく」は、ダイニングバー「猫舌」で、文盲の少女エンマに出会う。

 文字・言葉の限界を突き詰めているからこそ、生まれてくる散文詩のような文章。言葉のイメージは重なり合い、映像のイメージと融合し、彷徨いながら象徴が膨れ上がった果てに昇華される。
 これは「再生」の物語。ただの「癒し」は何も生み出さない。「癒しの果てに生きる」、「生きのびる」というところまで書くことができるところがこの作者の強靱さだと思います。

 スティーヴ・エリクソンのようなあるいはポール・オースターのようなビジョンを、イコンを語ることができる日本人作家が生まれていることは本当にうれしい。

 というわけで、古川日出男耽溺月間はまだ続くのであります。(残すはあと一作ですが)


HOME