『劫尽童女』恩田陸 光文社
薬物と遺伝子操作によって特殊な能力をもつ生物をつくり出す研究に従事していた伊勢崎博士。彼は犬で成功したその研究結果を自分の子供・遥にフィードバックさせ、研究機関『ZOO』と仲たがいののち、行方をくらませていた。7年後、博士と遥が日本に戻ってきたところから物語は始まる。
超能力者の物語というのは古今東西かなりの数あるわけで、特に'70's, '80'sに学生だった年代は、はまり込んで一時は抜けられなくなった物語の一つや二つあると思うし、物語のパターンも学習済みなことでしょう。でもって、恩田陸は物語の王道を意図的に踏んでいく傾向があるのですが、今回もそれはもう見事に王道を突っ走っています。
ミステリータッチの第一章、孤児院を舞台にラストは派手な展開の第二章と、掴みは完璧、ぐいぐい読者を物語に引き込んでいきます。ところが、起承転結の「転」となる第三章と第四章、すごく期待していた割には、ここから先わたしは今ひとつのれませんでした。王道でもとんでもない話でもそれはもう全然構わないのだけれど、「あり得るかも知れない」と思わせてしまう説得力というか存在感というかそういうものが、やや足りないように感じられました。(もちろん、とても個人的な感覚なので、すごく入り込めたという方もいるかもしれませんし、それはそれで全然おかしくないと思いますけど。)
そして、ラスト「結」となる第五章では、王道中の王道なエピソードが出てきます。それ自体は気にならないのですが、遥が辿り着く先とそこでの行為は、半端に現実社会とからめられているような気がして、物語が小さくなってしまったような気がしてなりません。もちろんそうは言っても、物語の設定を「現代」にしてしまった限りは、現実との接点は必要でしょうし、また単に「奇跡」のシーンを書きたかっただけで、それを実現する展開がこれだった、と片付けてしまうと、まあ仕方がないかなあという気もするのですが。とにかくラストのシーンは鮮烈で、ここだけのシーンがあれば、そこに至る展開なんてどうでもよいという気がしたくらいです。
「誰も読んだことがないような物語」を期待する人にはお勧めしませんし、納得できないと途中で読むのがとまってしまう人にもあまりお勧めしません。
それでもわたしはこの作品でとても気に入ったシーンというのがあって、それは前述の「奇跡」のシーンと第四章で遥かとハナコがまっすぐな道をドライブするシーンなのですね。それらのシーンを取り出すと、この物語の展開とは別の物語が(無責任に)無尽蔵に広がるような気がするのです。(これがあるから恩田陸はやめられないんですが。)うーん、個人的には惜しいなあという感じかな。
『13』古川日出男 角川文庫
「一九六八年に東京の北多摩に生まれた橋本響一は、二十六歳の時に神を映像に収めることに成功した。」(本書 p7)
この冒頭の文章を読んで、読者はどんな物語を想像するだろうか?
こんなにも挑発的な始まり方を古川日出男は処女作でやってのけているのですね。(しかも、読者の期待感を裏切らないどころか、それを上回る物語を立ち上らせています。)
物語は二部構成で、第一部は響一の生い立ちに始まり、ピグミーチンパンジーの研究をしている叔父と共にザイールに旅立ち、密林の原住民族との交流が描かれる一方、狩猟民族とは対立する農耕民族の間に「黒い聖母」=マリア・ローミが出現するエピソードが折り込まれている。
第二部では、一転してハリウッドの映画界にあらわれた新星監督と女優が登場し、響一の軌跡は彼等との邂逅へとつながっている。
何と言うかすさまじいほどの情報量(しかも物語に必要のない蘊蓄は出てこない)で、濃密な物語空間に溺れかけました。(ローミのエピソードだけで長篇一作になりますよね。)それにしても、「色の中に神を見い出す」というのは、言うは易し行うは難しで、これを文章で描き出すというのは生半可なものではないわけで、いやはや感服しました。第一部で自然の中で見い出された「神」は、第二部でコンピュータの力を借りて再現されるわけですが、第一部の旋律が第二部で変調して裏返されるような構成がわたしはとても気に入っています。この作者は本当に変幻自在な情景にぴたっとはまる文章を書ける人ですよね。
ラストシーンでココが響一に告げた響一と映画との関係は、なんだか作者と作品との関係に重なるようで、まだまだこれから驚愕するような作品を書いてくれるのではないかと期待が膨らみます。(実際、この作品後の活躍には目を見張るものがありますし。)
蛇足ながら、『アムネジア』という映画のテーマ曲がでてきますが、RADIOHEADが2001年に出したアルバムタイトル『AMNESIAC』と共鳴するようで、個人的にはおもしろがっていました。