『ブラック・エンジェル』松尾由美 光風社出版(創元社文庫)
文庫が書店に並んでいるのを見て、そーいえばわたしハードカバーが積読だわ、と思い出して、本棚の奥から引っぱり出してきました。松尾由美と言えば、初期のSFとミステリーの幸せな融合作『バルーンタウン殺人事件』はかなり好きなんですが、昨今の作品はやや後味が悪くて(社会やら人間性やらの正鵠を突いているとも言えますが)ちょっと敬遠しがちでしたが、この作品(1994年作)は非常におもしろく読めました。
大学のサークル、「マイナーロック研究会」のメンバーが見つけた一枚の中古CD。それは、カルトファンをもつ「テリブル・スタンダード」(”ドアーズの文学性、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの音楽性に、クリームのテクニックを兼ねそなえたバンド”なんてのが存在したら、そりゃぜひとも聴いてみたい!)の希少なファーストアルバムだった。さっそく、サークルのメンバーは一人のマンションに集まってそのアルバムを聴くが、「ブラックエンジェル」という曲が始まるや否や、この世ではあり得るはずのないことが起きる。メンバーの一人の死の真相は見つかるのだろうか?
元来ロックとオカルトは結びつき強いというか、熱狂的なファン心理はオカルトと結びつきやすいというべきか。遺盤となった音源に、あるはずのない音が入っているうんぬんなんてよくありますよね。そんな「常識」のはざまで、作者は「あり得べからざる存在」を謎解きの作法に従って、きれいに描き出しています。(ホラーっぽいところはないです。むしろファンタジーっぽいSF?)良質な青春小説でもありますね。
よく「本当の自分」に気がつくことが重要だ、偽りの自分を捨てると楽になる、みたいなことが物の本には書かれているけれど、結局「本当の自分」なんてあってないようなものなんじゃないかと思います。「なりたい自分」はあるし、「なりたくない自分」もあるけれど、でもそれは一つずつではないし、その時その時で変化もする。そのはざまで右往左往しながら漂うように存在しているのが「本当の自分」としか言い様がない気がします。(というあたりがわたしの甘さかもしれないけれど(^^;)。)まあ、「かくあるべし」みたいなものがたくさんあると窮屈なのは確かだし、特に10代の頃はその基準が自分が選んだものではないから、とても苦しくなるのだ、とこの年になると言えますが。
そんなことをつらつら考えつつ、やっぱり「天使」に会ってみたいというスリリングな欲望はありますね。その時自分はどう変わるんでしょうね? 恐いもの見たさけれど、なんだかわくわくしてしまうわたしはまだまだ青いのかも(苦笑)。
『聚落 太閤の連金窟』宇月原晴明 新潮社
実は2ヶ月くらい読みかけ状態で、読み終えるのにこんなに苦労した本もあんまりないですね。まあ自分が忙しくてなかなかまとまった時間をとれなかったということもあるのだけれど。
『信長 あるいは戴冠せるアンドロギュヌス』で第11回日本ファンタジーノベル大賞を受賞した作者の長篇第二弾ですが、やや評価に困る作品。
西洋と東洋をブリッジさせる妄想度合いは今回も冴え渡っていて、秀吉の甥・秀次が異端の伴天連と錬金術に身を捧げていたという設定で、壮大な夢をみせてくれるわけですが、構成に難有りかな。登場人物がたくさんいて、しかも視点がころころ変わるので、一体誰に焦点を当てて読めばいいのか迷いますし、かといって、第三者的に世界全体を見渡すにはあまりに登場人物の私情が前面に出過ぎているのですね。秀吉VS信長の関係に家康を巻き込んで輪を広げたみせた野心は買うけれど、それによって物語のまとまり度は犠牲になったような気がしました。
あと、この物語の底辺に流れる「すべてを手に入れたにも関わらず、手に入れなかったものを嘆く」というテーマに個人的には少々辟易としてしまったというのが、読みずらかった原因の一つかも。本来こういうテーマをもっと露骨に書きたい人なのではないだろうか? と邪推したくなるくらい、ある領域ではお定まりな文章が出てきたところでちょっとゲンナリしてしまったのですよ。(まあ、大多数の人が、気にならなければそれでいいと思うのだけれど。)
物語自体はけっしてつまらなかったわけではないところが、未練たらたらになってしまうところでしょうか(^^;)。忍びの者たちの闇の戦いのシーンが、一番精彩を放っていた印象です。次作に期待。