『青猫の街』涼元悠一 新潮社
第10回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞受賞作品。
本を読むということは自分を読むという個人的な体験に他ならない、ということを思いださせるノスタルジックな作品です。
1996年10月。旧式パソコン1台を残して高校時代の友人Aが失踪。システムエンジニアの主人公・神野は、街角で偶然センセイと名乗る探偵と出会い、ホームレスの格好をしたAを見かけたという噂を頼りにセンセイと渋谷の街で聞き込み調査をするが空振り。一方で、神野は「青猫」という謎のキーワードを頼りに、インターネット、パソコン通信、地下BBSへと探索をすすめる。
導入から物語のテンポがよく、とりわけネットを使った探索シーンはスピード感があって一気に読めました。横書きについては内容も内容なので違和感は全然ないです。表紙やオビの売り文句から想像したのはサイバーホラー風味だったのですが、実際はかなり違いました。一応サスペンスタッチではありますが、むしろ等身大かつ同時代性をもった青春小説として読むと好感がもてるなという感じ。そういう観点から読めば、このラストもありでしょう。(「それで、あなたは何かから自由になれた気がしたのか?」とAに対して問いたい気はいたしますが。)ただし、私はいっそ「青猫」なんか壊してしまえ、と思ってしまうタチだったりします(^^;)。
この作品は、放り込まれたアイテムに対する読み手の反応によって各人の読み方が異なる作品かもしれませんが、表面的な記号を取り去ってしまった後にも何かが残る筆力が感じられるシーン(たとえば、お台場のシーン)があるため、この作者のまったく別仕立ての物語を読んでみたいと思っています。
以下個人的な述懐。
私自身はHow many files(0-15)?と聞いてくる初めて触ったパソコンには全然愛着がわかなかったという体験の持ち主で、出てくるパソコン談義やその周辺話もせいぜい聞きかじりの単語を認識できるくらいなので、そこらへんの郷愁感は持ち合わせていないのですが、それでもそれなりにこういう世界があることを聞きかじってしまった自分に対して、なんというか「こーいうのぜ~んぜんきいたことないし、わっかりませ~ん」と言い放つ人生だってあり得たはずだよね、という思いがわき上がってきたりするわけです(^^;)。・・・それでも、
「僕らが大人になった頃、必ず現実になる。少年の日にそう信じて疑わなかった約束の期日を、酒場で馬鹿話をする僕らが追い越そうとしている。(本書p.87)」
に共感する気持ちは、やっぱり自分の中で大切なものだったりするのですね(笑)。
『涼元悠一WebPage』はこちら。
『エンディミオン』
ダン・シモンズ 早川書房
『ハイペリオン』『ハイペリオンの没落』に続く新2部作の第一部。
<連邦(ヘゲモニー)>の<崩壊(フォール)>から約三百年後。次の政体<平和(パクス)>は、寄生体聖十字架による復活の秘密をてこに勢力を伸ばしたカトリック教会が権力を握っている。
ハイペリオンの狩猟ガイド、エンディミオンは、態度の悪い客との諍いから死刑判決を受けてしまう。彼を死刑執行から救いだした謎の老人は、エンディミオンに<時間の墓標>から現れる少女の救出を頼む。その少女アイネイアーはレイミアとキーツ・サイブリッドの子供であり、教皇庁護衛隊もその身柄を押さえようとしていた。ホーキング絨毯にのったエンディミオンは少女との邂逅を果たし、二人はアンドロイドのA・ベティックと共に、閉鎖された転移ゲートを使って少女が夢に見た”場所”を捜しに旅に出る。一方、<教皇のディスキー>の大権を与えられ少女の身柄拘束を命じられたデ・ソヤ神父大佐は、超高速飛行による”死”と”復活”を繰り返しながら二人を追う。
前半は新たな登場人物と過去の登場人物の影を巧みにからませて、読者をぐいぐいひっぱっていきます。<領事>の船の登場の仕方なぞは、ぞくぞくするほどかっこいいです。そして、「銀河ヒッチハイクガイド」ならぬ『<ワールドウエッブ>旅行ガイド』を頼りに進むエンディミオンとアイネイアーの旅では、転移ゲートの封鎖で分断され原始化の道をたどった辺境の惑星でのサバイバル・アドベンチャーが展開されます。エンディミオンは「ヒーロー」にのみ許される無謀さと優しさを持ちあわせ、同行のA・ベティックもアンドロイドならではのいい味をだしています。表紙のイラストとなっているマーレ・インフィニトゥスという海洋衛星でのエピソードは、映画のワンシーンのような活劇で中盤の見せ場となります。しかしながら、ハイペ2作に比べると全体的に地味ですね。あとがきを読むとどうやらすべてが完結編へとつながるようなので、この巻は完結編への布石でもあるのでしょう。
衛星軌道に閉じ込められた死刑囚としてこの物語全体を「回想」しているエンディミオンと、<救世主>となるアイネイアーに何が起きたのか? オールドアースの謎は? "The Rise of Endimion"の刊行が待たれます。
『蒲生邸事件』
宮部みゆき 毎日新聞社/光文社カッパノベルス
好きな作家の日本SF大賞作品なんですが、私にとっては、出会うべき時期でないのに出会ってしまったのか、あるいは本質的にあわなかったのか・・・。
予備校受験のために上京した尾崎孝史は、2月26日未明宿泊したホテルで火災にあう。彼は謎の男に命を救われるが、その男とともに、昭和11年の2.26事件直前の蒲生亭へとタイムスリップしてしまう。そこで、孝史は元陸軍大将・蒲生憲之の自決事件に遭遇することになるが、自決に使われた拳銃が発見されなかったことに疑問を抱く。蒲生亭の人々をめぐる複雑な人間ドラマは、やがてタイムトラベラーもからんだ”事件”であることが判明してゆく。
推理ドラマの展開に入ってからは、それなりに楽しめるのですが、そこまでの展開がちょっとかったるいというか、孝史の行動にはがみしてしまうことが多かったです。現代のあるがままの若者の視点から見る、という意図に素直にのれなかったという感じ。
また、後半、タイムトラベラーである平田の選んだ道に納得がいかなかったのです。「予想も先回りもなし」で時代の一員として生きたいという気持ちはわかりますし、蒲生大将というきっかけがあった結果であり、あの時代に生き、そして死んでいくことの方がはるかに困難なこともわかります。でも、自分が属すべきだった時代があって、そこにいられない理由は何一つないにもかかわらずそれを捨ててしまうこと自体が「ずるいなあ」と感じられてしまって・・・。「抜け駆けのない同時代の人間」として生きたいというならば、自分が生を受けた時代で(あるいはそれ以上未来をみていない時代から)やり直すことだってできるのではないかと。(こういうところにひっかかってしまうのは、自分がこの時代に縛り付けられているという被害妄想からくる嫉妬ゆえかもしれませんが(^^;)。)
おそらくこの作者ならば、昭和22年そのものの物語を描くことで、もっと切々と訴えるような作品を書くことも可能だったと思うのですが、あえてこういう手法を使って書きたかったことがあることはわかるわけで。これが全然違う星の全然違う歴史の物語だったら、自分はどう受けとめたのか、なんてことまでつい考えてしまいました。
というわけで、もやもやしたものを抱えたままラストを迎えたため、泣かせの場面もいまひとつのりきれずに読み終わってしまいました。うーん、もったいなかった気がします。ともあれ、この物語で一番精彩を放っているキャラクターは蒲生家のお手伝いさんのふきであることは間違いないですね。
『魔法の庭<1>風人の唄』
妹尾ゆふ子 プラニングハウス
昨年12月に刊行された『風の名前』のその後の物語という時系列になっていますが、こちらから先に読んでもまったく問題ないと思います。(むしろこちらを読んでからの方が『風の名前』をより楽しめるような気がします。)
かつて栄えた伝説の北方王国。かの城に南方軍が攻め入った時、イザモルド姫の呪いの言葉によって大地は氷りつき南方軍は潰走した。そして、氷雪に閉ざされた北方王国そのものも滅び、一人氷姫イザモルドは今も<魔法の庭>で想い人を待ち続けているという。
北方の音楽に魅せられたうたびとのアストラは、禁じられた音楽を求めてひたすら北へと赴き、イザモルドの庭にたどりついた経験をもつ。奇跡的な生還を果たした彼の下に、妖魔の王シリエンが現れる。北の大地に春を呼ぶために氷姫の魔法の庭捜しの案内を請うと。
『風の名前』を読んだ時にも思ったのですが、登場人物の表層的な出来事だけに気を取られていると、見落としそうになる世界の構造的なおもしろさが実に興味深いです。『風人の唄』では、音楽、魔法のあり方にあらわれる、南方と北方の禁忌の違いに、大きな神話的な背景世界が見え隠れします。つい『風の名前』を読み返したくなるような糸もはられていますし。(個人的には、この後すべてを包含するような大きな物語展開があるとものすっごくお好みなんですが・・・。)
この作品には音楽、歌のシーンが多く出てきます。本を読みながら「音楽が聞こえる」というのは私にとっては至福の状態ですが、なかなか自分好みの描写にめぐりあうのは難しいものです。アストラがアーンの歌に捕われ、そこから望郷の歌によって抜け出すシーンは僥倖のひとつであり、私のお気に入りのシーンとなりました。いまだ発展途上のアストラが完成の領域に達したとき、果たしてどんな音楽を聞かせてくれるのでしょうか。実に楽しみです。
『風の名前』の時に比べるとずいぶん”成長”した妖魔の王シリエンとアストラの珍道中、そしてイザモルド姫との対決場面・・・この後の展開に期待がもたれます。
『グランドホテル』
井上雅彦監修 廣済堂文庫
異形コレクションシリーズ9冊目は、「グランドホテル」という共通設定を基に書かれた短編アンソロジーです。「聖ヴァレンタインの夜に<グランドホテル>で宿泊すると、幸福になれる・・・・・・」という伝説や幽霊話がささやかれ、不可思議な地震もおこる特別な空間、「グランドホテル」を舞台に様々な味わいの短編が楽しめます。個々の作品の比較はともかく、アンソロジーならではの楽しみという点ではシリーズ中でもぴか一です。
以下、とりわけ印象的な作品をあげてみます。
- 芦辺拓「探偵と怪人のいるホテル」
- 【前号までの粗筋】という古びた紙片を主人公がホテルの部屋で見つけるところから始まります。現実と<<物語>>が交錯する雰囲気がおもしろい作品。
- 恩田陸「深夜の食欲」
- この作品だけをとりだして読んだ場合にはまた違う印象を受ける気がしますが、異様な物語が並ぶ中では、他の恩田陸作品に顕著な”異様なざわついた雰囲気”が薄れている印象です。なんとなく恐さというよりはコミカルな感触を覚え、私は『アダムス・ファミリー』を連想しました。
- 京極夏彦「厭な扉」
- 本シリーズ初登場。独特な<厭>という感情がいつまでも晴れない霧のようにまとわりつく感じ。
- 田中啓文「新鮮なニギ・ジュギペ・グァのソテー。キウイソース掛け」
- すっごくグロいんですが、「ぎゃー」と叫びながらも期待をこめてページを繰ってしまうという感じ。梶尾真治のグロ系のおもしろさと共通性があるかも。
- 榊原史保美「運命の花」
- 写真散文詩。紙質としては写真向きではないにもかかわらず、すばらしい出来ばえですね。まるで吉田秋生のイラストが実体化したみたいです(^^;)。
- 北野勇作「螺旋階段」
- 現実と幻想の境目の揺れを一番楽しめました。
- 津原泰水「水牛群」
- どことなくとぼけたような雰囲気ときちんとしたオチのまとめ方に好感をもちました。
ラストの井上雅彦「チェックアウト」は、読者サービス満点というところでしょうか。こういう遊び心はたまらなく好きですね。下手にやると内輪受けになってしまうのですが、各作家の一言などは本当に心地好い笑いを楽しみました。
舞台設定の基になっている映画『グランドホテル』もなかなかおもしろい作品です。映画をみた後にアンソロジーを読み返すと、ニヤリとするところがたくさんあるでしょう。私の場合、映画を見ながら「いつ復活するんだろう・・・」と最後まで期待していたガイゲルン男爵が、「チェックアウト」でコンシェルジュとして登場するシーンに思わず感動致しました(笑)。