99年4月




『夏の災厄』篠田節子 朝日新聞社/文藝春秋文庫
 バイオ・ハザードものは食傷気味という感じで、長らく手を付けずにいたのですが、いざ読んでみると確かにこれは「一味違う」のです。

 東京郊外のニュータウンで突如発生した奇病は日本脳炎と診断されたが、何かがおかしい。奇妙な匂いを訴える、光りをまぶしがる、感染源が不明、なにより感染者の死亡率が高すぎる。対応に追われる市の保健センター、しかし硬直した行政システムの中で感染防止も原因究明も遅々として進まず。じわじわとパニックが拡がり、病の流行は数知れない人々を個々の地獄に突き落とす。奇病の脅威を目のあたりにした保健センターの年配看護婦・堂元房代、センター職員・小西、左翼くずれの診療医・鵜川らが独自に感染源の調査をすすめ、5年前にインドネシアのある島に発生した謎の熱病事件へとたどりつくが、病原体は予想とは異なり・・・。

 「ヒーロー不在のパニック小説を書いてみたかった」という作者の言葉通り、主要登場人物はけっして「ヒーロー」ではありません。「ヒーロー」が対峙すべき「悪魔的所行」は存在しないのです。主人公は「災厄」そのものであり、それに翻弄される人々、街、社会が丹念に描かれています。あくまでリアルに「等身大」を追及したところがこの作品の醍醐味です。感染源を追うサスペンス仕立ての部分もおもしろいのですが、それ以上に冷静な目で見つめた人間社会の脆さや、「全体」を俯瞰しながらそこに存在する個人の生をも的確に描き出すところが見事です。

 物語ならではのイージーな感動がほしい方にはおすすめしません。でも、ここに描かれる一筋縄ではいかない世界こそが私達が住んでいる世界なのです。
 それにしても、篠田節子は奥が深い・・・。



『星ぼしの荒野から』
ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア ハヤカワ文庫SF

 久しぶりのティプトリーの短編集。味わいながら一編一編ゆっくり読まないともったいないと思いながら、やめられないとまらないで次々ページをめくってしまいました。
 しかし、ティプトリーの作品は「痛い」です。ティプトリーの様々な経歴から作品を読み解くことも可能でしょうが、そんなことは脇においてしまっても、作中からこぼれる「誰か」の心の叫びが「痛い」のです。

 以下、私がとりわけ気に入った作品。
「ラセンウジバエ解決法」
地球に”フェミサイド(女性殺し)”病が蔓延する話。ラセンウジバエになった気分とともに極上のラブストーリーが味わえます。
「時分割の天使」
「ラセンウジバエ解決法」に比べたらおだやかな”天使”の行いというべきか。少なくとも今ある”生”はまっとうできますから。
「われら<夢>を盗みし者」
みなさん考えることは同じで、思いだすのはル・グインの「世界の合言葉は森」(『世界の合言葉は森』収録)ですね(^^;)。ラストの痛烈さがたまらないです。
「スロー・ミュージック」
「気に入った」というよりはきわめて「印象的」な作品です。なんとしても留まってほしかった・・・。
「たおやかな狂える手に」
私にとっては一番ティプトリーらしさを感じる作品かもしれません。「愛されない」環境に育ち、星ぼしへの強烈なあこがれを実現した女性宇宙パイロットの話として、思いだしたのがコードウエイナー・スミスの「星の海に魂の帆をかけた女」(『鼠と竜のゲーム』収録)なのですが、その二作間の見事なまでの落差にティプトリーらしさがつまっているような気がします。

 その他、「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ!」もいいのですが、いかんせん読んでいてつらすぎました。自分の身体にナイフ突き刺しながら読んでるみたいな気になってしまって。「ビームしておくれ、ふるさとへ」(『故郷から10000光年』収録)や「たおやかな狂える手に」の地上バージョンという感じがする物語ですが。表題作の「星ぼしの荒野から」は以前SFマガジンで読んでしまっていたので、あらたな感慨はわいてこなかったのかな。

 ティプトリーの作品の「痛さ」は、身に覚えのある「痛さ」だからこそ、さらにさらに読み続けたくなるのだと思います。未訳の作品はまだあるようなので、ぜひぜひ翻訳出版してほしいです。ぜ~んぶ読みたい!



『時間怪談』
井上雅彦監修 廣済堂文庫
 異形コレクションシリーズ第10作目。
 タイトルからSF味が濃いかなあと期待していたのですが、「『時間SF』からの独立性を周知していただきたかったがため、敢えて、SFとして評価されるような作品は載せませんでした(本書あとがき)」 とのこと。別にジャンルにはこだわらない方ですが、今まで比較的SFネタ作品を気に入ることが多かったのでちょっとさみしい気がします。
 以下いくつかコメント付きでピックアップ。
恩田陸「春よ、こい」
桜の花は毎年繰り返された学生時代の春の思い出と切り離せないもの。桜を見ると、不思議と思い出とデジャ・ヴの洪水に放り込まれるような気がします。さて、春の時間を扱ったこの作品は、丹念に編まれたリフレインの味わいが心地好い作品。映像的で、桜の薄桃色、朝の冷たい空の青、マフラーの水色、制服の紺色、そしてその中に一つだけ”直接”は描写されないあざやかな”赤色”のインパクトが見事。
倉坂鬼一郎「墓碑銘」
最後の一行で突き放すこういう話って好きなんですよ。
早見裕司「後生車」
「ノストラダムスの大予言」とスプーン曲げが一大ブームだった”あの頃”の雰囲気とその数年後『幻魔大戦』を読んでいた最中の高揚感を思いだして、なんだか懐かしい思いがしたのです(^^;。
北原尚彦「血脈」
冒頭ジャック・ザ・リッパーものかと思ったのですが、うれしい誤算で大いに楽しめました。
朝松 健「『俊寛』抄ー世阿弥という名の獄ー」
若干長いのですが、一つの世界を描ききっていて、題材的に私の好みでした。
竹内志麻子「むかしむかしこわい未来がありました」
何があってもこういう悪夢だけは見たくないという気持ち悪さでした(^^;。
牧野修「おもひで女」
今回、一番怖かったのがこの作品。記憶が徐々に冒されていくおののき、「くるぞ、くるぞ、くるぞ、きたっ・・・」と盛り上がりを裏切らないラストはさすが。
梶尾真治「時縛の人」
「だるま落としプラズマ変換機関」によって身の回りにあるものをエネルギーに替える画期的なタイムマシンを発明したはいいが・・・。ちょっとユーモラスでラストの”哀れ”がにくいです。

 こういうアンソロジーは数編づつ小分けに読む方がより楽しめると思うのですが、私はなかなかそれができません(^^;)。ともあれ、回を重ねるにつれてこれは本当に貴重だなあと思うのが「編集序文」。格好の読書案内ですね。



『極微機械ボーア・メイカー』『幻惑の極微機械 上下』
リンダ・ナガタ ハヤカワ文庫SF

 タイトルを見て「知らない作家だし、うーん、これおもしろいんかなあ・・・?」と、躊躇した人もいるのではないかと思うのですが、手を出さなかった人(あるいは読む途中で止まってしまった人(^^;))に対して「それは、もったいない!」と言いたくなるような、”当り”作家であります。

 『極微機械ボーア・メイカー』

 ナノマシンとはごくごく小さい分子大の機械で、例えば治療メイカーは人間の身体の中に入り込んで怪我や病気を直したり、物を作るメイカーはゴミから有用品を作り出したりします。こんなメイカーが日常で使用されている未来世界が舞台ですが、しかしながら、何でもできるナノテクノロジーは両刃の剣でもあり、連邦法では人間の遺伝系質に人工的な機能を混ぜることや意思や意識をもった機械知性体は禁じられています。

 実験モデルとして生まれた人造人間のニッコーは、存在自体が違法であり、与えられた30年間の猶予はまもなく終りを告げようとしています。彼は「ボーア・メイカー」と呼ばれるどんな奇跡も可能にする違法ナノマシンを手に入れて、生き延びようと必死です。ところが盗みだされた「ボーア・メイカー」は、ひょんなことから自由貿易圏内のスラム街に住む元娼婦、フォージタの体内に注入されてしまいます。無学な彼女は自分が魔女になったと思い込みますが、「ボーア・メイカー」の行方を追って、ニッコーそして連邦警察による彼女の追跡が始まります。

 川に浮かぶゴミ(死体も含む)を分解してできる泡滓という”食料”で餓えをしのぎ、テクノロジーを”魔法”ととらえるフォージタの世界と、かたや、ナノテクノロジーの最前線であり、脳を改造し枢房と呼ばれる補助器官によって電脳空間を利用することができるニッコーの世界と、どちらも異質感あふれ、なじむまでにちょっと時間がかかりました。その上、行ったり来たりの物語展開には「読みにくい」という感じがするかもしれません。

 どのキャラクターも良くも悪くもアクが強いですし、それなりにその者の立場としての理屈があるわけで、途中で「私は一体どーいうラストを好ましく思うのだろう?」と思わず自問してしまいました。そして迎えた夏別荘社の運命は、もはや誰が正しいという問題ではなく、”個”は単なるひきがねにすぎないというべきでしょう。このクライマックスの描写はとにもかくにも圧巻で、「ブラボー!」と拍手を送りたくなりました。しかし、予定調和的なエピローグも含めて、一つの結末であって問題解決というわけではないラストです。そこで読者は、「遺伝子操作」をはじめテクノロジーの行く末を見守らなくてはいけない自分の世界を振り返りたくなるのではないでしょうか。


 『幻惑の極微機械 上下』

 当然『極微機械ボーア・メイカー』の続編だと思って読みはじめると、どうやら舞台は遥か遥か未来のずいぶん異なる世界なのですね。
 物語は、陥穽星と呼ばれる惑星の軌道エレベーター上にある<絹市>を舞台に始まります。かつて入植した人類が謎の悪疫によって死滅し、封鎖されている惑星。ところがその陥穽星こそ理想郷と唱えるジュピターの率いる一団が惑星に降りようとします。混乱の果てにジュピターの息子ロトは<絹市>に連れてこられ、軟禁状態に。10年後に彼が対峙する自己の、<絹市>の、そして人類の過去と未来につながる陥穽星の真の姿とは・・・?

 どういう世界なのか最初はつかみにくく、物語の展開もいくつもの山を登っては一旦休止、登っては一旦休止という感じで、もうちょっとなめらかに流れてくれるとうれしいなあと思うのですが、それでも、主人公とその世界が直面する”未知なる”体験の連続はどきどきするもので、「一体何が(誰が)正しいのか?」と謎が謎を呼ぶ展開は最後まで気がぬけません。(ラストにはお待ち兼ね、『極微機械ボーア・メイカー』とのつながりが(意外にも?)かなりダイレクトにでてきます。)

 前作も拍手喝采もののクライマックスでしたが、今回はさらにスケールアップ。謎の宇宙兵器、天国かはたまた地獄の惑星、その惑星の軌道エレベーター上に存在する崩壊寸前の人工都市、ミトコンドリアと悪疫とカルト・・・と単語だけ並べると何が何やらという代物ですが、これらがなんと見事に収束していくわけです。読み終わってみて、「さて・・・」としばし思考を泳がせたくなるような深みのある作品というあたりも前作と同様です。(といっても、あくまで触発されるためであって、作中に説教臭さはありません、念のため。)200%の満足とまではいきませんが、私が読みたいおもしろいSFってこういう感じ、と言える作品です。
 
 蛇足ですが、前作、今作ともに主人公の少年VS父親の構図がでてきて、しかも、母親は”不在”。遺伝子提供のためだけの”父親”=不在である母子関係というのはよくありますが、その逆パターンで、しかも作者が女性というのがちょっとおもしろいなあと思いました。

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