99年7月



『長い長い殺人』宮部みゆき カッパノベルス(光文社)/光文社文庫  
 「10個の財布が語る」しかも「長編推理小説」と言われて、一体どんな仕上がりなのか想像がつきませんでした。読みはじめてみると、語り口が絶妙で実におもしろい。

 最初に登場するのは「刑事の財布」。持ち主の刑事が遭遇したひき逃げ事件の被害者には8000万円にのぼる保険金がかけられていた。容疑のかかった妻、その愛人の周囲でさらなる殺人事件が起きる。マスコミを巻き込み、二転三転する展開を、登場人物のそれぞれの財布が語っていきます。一つ一つの財布の物語は短編としてもまとまっているので、連作形式ともいえます。

 かつて(執筆当時かな)日本中を騒がせた”ロス疑惑”を彷彿させるモチーフが使われており、「人によって見えているものが違う」という真実を見極めることの難しさがうまく描かれています。一つの結末として語られる犯人像については、若干唐突さもあり、好みがわかれるところかもしれません。しかし、この犯人の「異質」さは『理由』(朝日新聞社)に通じるものがあるように思いました。人情物が得意な宮部みゆきですが、必ずしも共感する心地好い人間像のみに限られない”人間”の掘り下げ方から、彼女の社会・人間を見る観察眼の深さが感じられます。

 少年と探偵と刑事のエピローグには、心がほわっとします。「世の中いやな奴ばかりじゃない」って信じたいですね。



『佐藤君と柴田君』佐藤良明/柴田元幸 新潮文庫  
 単行本が出た当時(1995)おもしろいエッセイだという評判は耳にしていたのですが、その著者である東大の「教養英語の革命」を行った先生コンビが、トマス・ピンチョンの『ヴァインランド』の訳者・佐藤良明とミルハウザーやポール・オースターの訳者・柴田元幸とは露知らず・・・。本との出会いは偶然のようでいて、なにかひかれるものにはその場で出会わなくても、「そうか、そうだったのか」とわかる頃合を見計らったかのように不思議とめぐりあわせるものですね。

 で、肝心は中身ですが、このエッセイ集、非常におもしろいです。
 なにげない生活感の描写とともに話題は言葉、音楽、カルチャー、社会までさまざま。(初出掲載誌も『朝日新聞』、『文藝』、『TVコスモス』、『カルディエ』などさまざま。)
 「律動と憂鬱」「田舎と西部」と訳された『ランダム・ハウス百科事典』の英文の話、「岩と回転」。言葉の語尾について『わたしは真悟』『タッチ』『エースをねらえ』を使って解説する「とてもへんだ、わ。」。ほんの四十数年前の日本の”差別と脳天気”について書かれた「一九五六年の世界地理」。米国大統領演説の「非言語的メッセージ」を読み解いた「発声の政治学」・・・等々。きわめつけ、「ある男に二人の妻がいて」では、必死になった人間の想像力のたくましさに(大笑いの)涙しました。

 エッセイのおもしろさを支える大きな要因は筆者の個性のおもしろさですが、それにとどまらず、1950年代生まれの両氏が、その時代に生まれ、育ち、今を生きている、という時代性が見られるところも興味深いです。これはただ思い出話をつづればその時代があらわれるということではなく、自覚的に時代の変化を俯瞰している人というのは、たわいのない話をしながらもこんな風に時代を切り取れるのだなあと。

 ともあれ「笑う”本”には福来たる」。大いに楽しんでください。英語やロックや「60年代」に興味がある人はより楽しめるかな。



『キリンヤガ』マイク・レズニック ハヤカワ文庫SF  
 「歴史は真実からはじまって作り話になる。わしの物語は作り話からはじまって真実になる。」(同書 p.340より)

 ユートピア寓話小説として秀逸。SFファンのみならず、ユートピア、ディストピアに関心のある方に広くお薦めしたい作品です。

 近未来。絶滅に瀕したアフリカの種族、キクユ族のためのユートピアを作るため、小惑星キリヤンガに移住してきた人々がいた。ヨーロッパで教育を受け、キリンヤガ創設者の一人である主人公コリバは、ムンドゥムグと呼ばれる祈祷師としてキクユ族の伝統と習慣を固守することで、西洋化されないキクユ族のユートピアをめざす。しかしながら、楽園を楽園たらしめる基盤の一面は”無知の幸せ”であり、エピソードはこの楽園が抱える矛盾、綻びを語ってゆく。

 人間の価値観に絶対的な優劣はつけられない、が故に、伝統に依拠するユートピアであれ、西洋化されたユートピアであれ、そこに生きる人間が幸福であるか不幸であるかは、同じだけの重みをもち、それが「正しい」とか「優れている」という基準でははかれない。だから、頑迷なまでのコリバの行為は物悲しくもむなしい・・・。しかしながら、コリバに対して反発と同時にどこかで感情移入してしまうのは、外部からもたらされる文化とのせめぎわに身をおく時の理屈ではない感情が他人事ではないからかもしれません。(より広く、日本人=伝統を捨て近代化したキクユ族、との観点から書かれた堺三保氏によるSF-Onlineのレビューは興味深かったです。)

 変化していくということは(意識的にしろ無意識的にせよ)何かを選んでいくことであって、それは同時に何かを捨てていくこと。それでも人間は、「生きていく」、それだけで変わっていかざるを得ないものです。

 連作短編なので、各々単独で読んでも構わないですが、通して読み終わった時の感慨は格別です。
 割り切れなさを抱えながら深い感慨を覚えるラストに、篠田節子の『弥勒』(講談社)を思いだしていました。



『マイノリティ・リポート』フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫SF  
 ディックの短編集の新刊です。(といっても収録作品は他の短編集と重複有り。)
 表題作映画化のおかげで刊行されたとのことですが、スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演ときくと、『トータル・リコール』の主演シュワルツネッガー、と聞かされたときの衝撃を思いだします。”現実と思われているものが変容していく”いかにもディックらしい作品という点で、「マイノリティ・リポート」と「追憶売ります」は似ていますが、一体どんな映画になるのでしょうか・・・。(しかし、「マイノリティ・レポート」が『トータル・リコール』の続編として、以前に企画があがっていたというのは知りませんでした。)

 以下収録作品。
「マイノリティ・リポート」(新潮文庫『悪夢機械』収録の「少数報告」と同じ)
「ジェイムズ・P・クロウ」
こういう風刺がきいた話はとても好きです。
「世界をわが手に」(『SFマガジン』1998年1月号掲載)
原題は”The Touble with Bubbles”。「バブルの災い」とでもいうと、どこかの国の経済情勢のようですが(^^;)。世界球が一斉に床に叩きつけられるところは、壮観。
「水蜘蛛計画」(『SFマガジン』1969年8月号掲載)
ポール・アンダースンが主人公として登場します。ユーモアにニヤリとする作品。
「安定社会」
事実上の処女作。ディックらしさが随所に見られる、妙にどきどきする作品。
「火星潜入」
話をふくらませて映画を作るとしたら、この作品はふくらませようがあっておもしろいなあと個人的には思います。
「追憶売ります」(新潮文庫『模造記憶』収録)
言わずと知れた映画『トータル・リコール』の原作。ひさびさに読み返しましたが、やっぱりおもしろいですね。玉ねぎをむいていくような感覚が絶妙です。

 ディックといえば、やはり創元文庫で「近刊」と書かれて早幾年の「あれ」とか「これ」とか、早くお目にかかりたいものです(^^;。

HOME