99年8月



『欲望の未来〜機械じかけの夢の文化誌〜』永瀬唯 水声社  
 帯に「科学と欲望の系譜学」とあって、なにやら小難しいものかと思いきや、目次を見れば、「エイリアン」から『もののけ姫』までなじみのある単語ばかり。興味深々で読みはじめると、これが非常にわかりやすくておもしろい。うんうんうなずきながら読むことしきりでした。さまざまな雑誌に掲載された文章を一冊の本にまとめた形ですが、うまい編集ですね。

 PART1「ウエット・サイボーグー単為生殖のユートピア序説」では、フェミニズムの視点から映画「エイリアン」シリーズ、サイボーグ、クローン・テクノロジーをSFや社会現象とからませて読み解いていみせます。羊クローンの実現が、性差的あるいは人種主義的なユートピア思想に結び付きうるという点は、SF読みにはわりとなじみがある話ですが、もっと人工に膾炙してほしい論点ですね。「エイリアン」シリーズの変遷、すなわちこの20年間の流れもおもしろく読みました。個人的には『エイリアン4』を越える続編は難しいだろうと思っているのですが、『エイリアン5』について「リプリーこそが、彼女こそが、ハイブリッドたちの女王になるだろう(p.37)」と言われると、つい期待が・・・。

 PART2「ハイ・ファンタシー高みへと至る夢想」は、人の進歩を求める心とそれを象徴する物たちの歴史が語られています。19C半ばに大流行した「心霊写真」、空港都市(エアロポリス)という夢の青写真、浮遊感覚を求めるジェット・コースター等のアミューズメント・マシン、そして現代の衛星携帯電話が可能とする世界に広がる電子空間。人の夢想が物を作りだし、その物が人に精神的かつ物理的影響を及ぼす、その繰り返しが歴史であり、劇的な変化とそれでも変わらずに人が求め続けるものはいつだって同時に存在するのでしょう。

 PART3「地の呪われたるものどもー都市と森との暗い森」では、文学、アニメ等フィクション作品を使い、日本(東京)で展開されるポストモダンな風景を切り取ってみせます。久生十蘭『魔都』にでてくる地下迷宮とは何か?、日本SF運動の流れからはずれて登場し、反進化論ファンタシーの先駆けとなった筒井康隆『幻想の未来』のビジョン、押井守『機動警察パトレイバー』に展開される都市論的世界、宮崎駿『風の谷のナウシカ』がたどりついた”清浄と汚濁をあわせもつ生命”という思想、そして『もののけ姫』の欠陥。漠然と感じていたことが背景の流れをともなって読み解かれるのは快感です。『幻想の未来』はこういう位置づけの作品なのか、とあらためて読み返してしまったり。(角川文庫で入手可。)『もののけ姫』を見た後の「コミック版『風の谷のナウシカ』のラストを描いた宮崎氏が、どーしてこんな作品を?」という心の叫びを思いだしてしまったり。(コミック版『風の谷のナウシカ』を読まずして2000年を迎えることなかれ>未読の方。)
 かなり作品のネタばれがあるので、「何が何でもネタばれはイヤ」という方は先に作品を読むなり、観賞するなりしてから読んでください。ただし、引用されている作品全部を網羅している人はあまりいないでしょうし、逆に、「今まで知らなかった(興味がなかった)けれど、読んでみたい(観てみたい)」という気を起こさせる文章だと思います。

 定価¥2500というお値段が若干のネックですが、キーワードに反応した方にはお薦め。



『GOD』
井上雅彦監修 廣済堂文庫
 「異形コレクションシリーズ」最新刊のテーマは”GOD”。一口で「神」といっても、内容的には、”Sacrament”、”Almighty”、 ”The sacred place”、” Nirvana”、 ”Miracle”、 ”Icon”、 ”Stigmata”、 ”Apocalypse”、” Myth”と分類されているように、いつもながら幅の広い作品群です。しかし、いずれにしてもテーマが決まっているということは、読者はどこかで「でてくるな」と想定しながら読んでいるわけで、オチとして「実は・・・」と驚かせるのはなかなか難しいように思います。そのため、全体的には、最後にどんでん返しというよりは、積極的に設定をあかしながらも巧みなストーリーテリングで「読ませる」作品が多かったような気がします。
 以下いくつかコメントつきでピックアップ。
恩田陸「冷凍みかん」
なぜみかんなのか?と言われても困る話なのだけれど。あの赤いネットに入った冷凍みかんのほわほわっとした雰囲気と、話の深刻さの対比が意外性でしょうか。そーいえば、子供の頃、みかんの皮でこたつの上に”世界地図”をつくって遊んだなあ・・・。(え、そんなことしたことない(^^;?))
笹山量子「神様助けて」
ブラッドベリの短編を思いだすネタですが、語り口調が上手く、主人公から見たKの軋み具合がうまいです。(同作者のインターネット文芸新人賞作品も読んでみようと思ったのですが、ComKetってマックでは購入できないんですね(;_;)。)
倉坂鬼一郎「茜村より」
ひたひたと恐怖に向かってはまりこんでいく典型的なホラーですが、このラスト後「名無」はどうなるのでしょうね。
久美沙織「献身」
どういうオチになるのだろう?と予想がつかなかったのですが、”逃れ得ぬ原罪”がこう描かれるとは・・・。切り込みの鋭さが心地よいです。
篠田真由美「奇蹟」
「パパ」=マフィアのドンかなあと漠然と読みはじめましたが・・・。信仰とはなにか?という問いについて上記「献身」と対比させるとおもしろいかも。
大場惑「大黒を探せ!」
大黒様がすたこらさっさと逃げ出すイメージがなんともいえずおかしいです。最後のオチもニヤリとさせてくれます。
早見裕司「バビロンの雨」
せつない思いと、血まみれの天使と玉座というまがまがしさがうまくブレンドされていて、赤い雨のイメージとともに余韻が残る作品。
牧野修「ドギィダディ」
イメージの気持ち悪さはほとんど私の許容範疇を越えそうな程ですが、ラストの”世界の揺れ”で一気に引き込まれてしまいます。
田中啓文「怪獣ジウス」
これまた冒頭の怪獣ジウスの描写はなんともおぞましいのですが、設定といい展開といいラストのオチといい、とんでもなくおもしろいです。
加門七海「小さな祠」
ぼうっとともる提灯の明かりに魅せられたような雰囲気が最後までただよう作品。どことなく懐かしくも、ぞーっとする作品。
井上雅彦「夢見る天国」
こういうシーンを切り取って集めたオムニバスのような作品は個人的にはとても好きです。



『からくりからくさ』梨木香歩 新潮社
 うさぎ屋さんこと妹尾ゆふ子さんのHP”うさぎ屋本舗”(「Fantasy Bookshelf(幻想書棚)」国産小説のページ)に掲載されている紹介文にひかれて読んでみました。

 亡くなった祖母の家で、祖母から譲り受けたりかさんという不思議な人形と3人の下宿人と共に暮らしはじめる蓉子。管理人の蓉子は染色を学び、下宿人はそれぞれ、アメリカから来日中のマーガレットは鍼灸を、織機に向かう美大生二人は、紀久は紬、与希子はテキスタイルの研究をしている。各人のこだわりを尊重しながら、個性豊かな女性達の共同生活は、ゆるやかに軌道にのっていくが、やがて偶然集った彼女達が、りかさんとつながる不思議な縁で結ばれていることが明らかになってゆく・・・。

 前半の共同生活の描写には、どちらかというとおままごとめいた雰囲気がちょっと苦手かなあと思っていたのですが、人形師であり能の面打ち師であった赤光にまつわる物語や、人が人に惹かれていくことと常に表裏一体である心の闇の物語が蔓草のように絡み合いながら展開するにつれ、知らず知らずのうちに引き込まれていました。
 いろいろなプロットが交錯し、筋立てとしては混沌とした印象がありますが、シンメトリーな幾何学模様ではなく、繰り返しながら変化していく蔦唐草のような織物を、リバーシブルに表と裏と交互に別の物語を見せていくという展開だったのかなあとも思います。
 読みながらそれほど感情移入している自覚はなかったのですが、紀久が己の闇から這いあがりマーガレットを祝福する場面、そしてラスト近くで竹田が「ねえ、これからきっと、こうやって、僕たちも、何度も何度も、国境線が変わるようなつらい思いをするよ。何かを探り当てるはめになって、墓を暴くような思いもする。向かっていくんだ、何かに。・・・でも、それはきっと一枚の織物なんだ」(p.368-369)と言う場面でじーんときてしまいました。

 作者の梨木香歩は児童ファンタジーでデビューし、今までの著作はほとんどファンタジー物のようです。私は他に『西の魔女が死んだ』と『裏庭』を読みましたが、その中ではここにあげた『からくりからくさ』が一番気に入りました。『西の魔女が死んだ』も『裏庭』もおもしろくは読めたのですが、主人公の眼で物語を読めなかったというか、周りの大人の生活が気になったり、作者が意図したであろう登場人物の言動の比喩、含有が気になってしまって、素直に世界に入り込めなかったようです。

 というわけでこの作者についてはファンタジー方面から照射するのが正しいのかもしれませんが、私はそれほどファンタジーを読んでいないので、自分の偏った読書歴の中で勝手な連想をすると幻想味のある普通小説にとんでしまうのですね。『からくりからくさ』のラスト、紀久が思い浮かべる川のイメージになんとなくスティーヴ・エリクソンを連想し、『裏庭』に出てくる「癒し市場」にはポール・オースターの『最後の物たちの国で』を連想していました。(もちろん語っていることは同じではないし、表現手法としては橋のあちら側とこちら側というくらいにかけ離れていますが。)個人的には、梨木香歩の作品はファンタジー、人形といった表面的な記号を取り払っても、ひろがりのある読み方ができるのではないかなあという気がしますし、普通小説っぽい「ふしぎ」な物語をさらに書いてほしいと思います。

 文章全体の雰囲気としては、『からくりからくさ』に限れば、江國香織より若干骨太で、池澤夏樹よりややたおやかという感じが私はしました。(そーいえば、帯に池澤夏樹推薦とありますね。)三者に共通しているのは言葉への繊細な感覚でしょうか。例えば『からくりからくさ』というタイトルが実にいい。最初は「なんだろう?」という不思議な音感だけなのですが、読み終わってカチリと歯車がはまるような、そんな味のあるタイトルですね。

 いろいろ書きましたが、現代という時代に生きているということを、ほんの少しの「ふしぎ」を加え、芯のあるやわらかさで表現している作品であり、ジャンルにこだわらず広くおすすめしたい作品です。



『屍鬼』小野不由美 新潮社  
 発売当初、「怖い」ホラーとの宣伝帯とあの分厚さにちょっとひいてしまい、今まで読まずじまいでしたが、おどろおどろしいイメージとは違って、むしろ淡々と共同体の人々の日常が非日常へと冒されていく様が描かれています。

 樅の林に囲まれた孤立した山村・外場村。一組の家族が引越して来たことをきっかけとするかのように、猛暑の中、原因不明の死者が増えてゆく。果たして村に何が起きているのか?

 丹念に書き込まれた村の人々の描写はシンプルな物語を立体的な厚みのあるものにしています。が、それにしてもこの長さは若干しんどいです。読んでいて決してつまらないわけではなく、逆にもう少し短ければ緊張感が途切れないのに・・・という感じがします。

 登場するキャラクターはそれぞれに愚かしくも、非常に人間的であるというべきか。ただ、後半主要キャラクターに対して感情移入するよりは、はがみすることが多く、読後、構想に対する「すごい」という感銘はあっても、「共鳴した」という感動には結び付きませんでした。とりわけ屍鬼の「めざしたもの」があまりに愚かであるため、ラストの”人の秩序からはずれた屍鬼”という構図が、人類VS屍鬼の相いれない哀しさという種レベルの感慨に昇華するというよりは、振り返って、人間社会における異端、集団と排他性という個レベルの否応ないいびつさにやりきれない思いを感じる方が強かったです。これは、静信の信仰と絶望の極みが必ずしも屍鬼を介する必要がないことと共通している気がしますが、そのあたりの屍鬼の物語でありながら集団の中で生きざるを得ない人間を描いている重層性がこの作品のおもしろさでもあります。

 小野不由美の他の作品と同様、好き嫌いはわかれるかもしれませんが、読んで損はない力作。

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