『宇宙消失』グレッグ・イーガン 創元SF文庫
「ナノテクと量子論が織りなす、戦慄のハードSF」と裏表紙の紹介にありますが、サイエンスな理論はよくわからない私にも「宇宙規模の壮大なアイディアをもつ小説」として十分楽しめました。
2034年、太陽系は謎の暗黒球体に覆われ、地球の夜空から星が消えた。世界中をパニックにおとしいれた<バブル>の出現から33年後、元警官の探偵ニックは病院から疾走した先天性脳損傷患者ローラの捜索依頼を受ける。調査は意外な展開をみせ、ニックは紆余曲折しながら<バブル>の謎へと近づいていくことになる。
物語世界のテクノロジーと社会背景をうまく描きながらストーリーをすすめ、読者をひきつけます。<バブル>出現時の人々のパニックや、その後タケノコのように次々出現した新興宗教、そしてカルト教団を茶化している”現在”の若者達の描写は、いかにもありそうで非常におもしろいと思いました。同時に、南半球のオーストラリアから世界を見るという視点が新鮮でもありました。
中盤で明かされる量子論がからむ<バブル>の正体は「おお〜、すご〜い!」という感じで、こういう大風呂敷を広げる話は大好きです。一方、主人公の心理描写と密接に絡まっているナノマシン”モッド”の存在も、この作品を特徴づける重要なファクター。ナノマシンを脳にインストールすると、能力を向上させたり感情をコントロールさせたりできるわけです。逆らうことが出来ない忠誠心を植えつけることもできれば、妻の死の痛みを感じなくすることもできる・・・。毛を逆なでされるような気持ち悪さがぬぐえないのですが、この設定があるからこそストーリーがおもしろく、また「状態の固定」というのが大ネタにつながる低音として響いているのかなあ、などと思ったり。
私はラストで「いっそ、全部こわしてしまえ〜」と思ったのですが、さてみなさまはいかがでしょうか(^^;)。
『リメイク』コニー・ウィリス 早川文庫SF
コニー・ウィリスといえば、フェミニズムSFとして有名な『わが愛しの娘たちよ』、21世紀の学生が中世にタイムトラベルする物語『ドゥームズディ・ブック』と比較的重いイメージがあったのですが、『リメイク』は21世紀初頭のハリウッドを舞台にした夢とロマンと映画の物語。
コンピュータグラフィックス技術の発展で、いまや映画の製作とは撮影ではなくカット&ペーストの編集作業。作りだされる映画は『ターミネーター9』やマリリン・モンロー主演の『プリティ・ウーマン』といった続編とリメイクばかり。主人公は映画マニアでアルバイトにCG編集作業を請け負う学生トム。パーティで出会った美しいアリスは、もはや製作されることのないミュージカル映画で踊りたいという夢を追い求めていた。実現不可能な夢はどうやってかなえることができるのか?
ストーリー自体はオーソドックスだし、SF的な(?)トリックにもあまりこだわらない方がよさそうだし、二人の主人公だって全然スマートじゃないです。でも、映画のタイトルとせりふの出てこないページはないのではないかという程、全編にあふれる映画への愛にはたまらなく愛着を感じてしまいます。アリスに振り回され、行動パターンは「もうちょっとしっかりしないさいよ」と言いたくなるトムを嫌いになれないのは、彼が頭のてっぺんまで映画にどっぷりつかったどーしようもないロマンチストであるがゆえでしょう。やっぱり『カサブランカ』好きだし。
読み終わってそこそこの感動を得たわけですが、でも、本当の良さは『ザッツ・エンタテイメント』で<<ビギン・ザ・ビギン>>のシーンを見て初めてわかったという感じ。フレッド・アステアとエレノア・パウエルのまさに「奇跡的」としか言いようがないダンス。『リメイク』のラストシーンがだぶって「ああ、これだったのかあ」という感慨が押し寄せて思わず泣きそうになってしまいました。『コンチネンタル』等でフレッド・アステアを見たことはあったのですが、これは特別。だからこそ、ただ「夢がかなう」ではなくて「夢に入り込む」ことの意味がでてくるわけですね。ともあれ、このシーンを見たくなるということだけでも、『リメイク』を読む価値があるというもの。
巻末の詳細な注釈と映画データはボーナストラックという感じでうれしいおまけ。
『夢想の研究〜活字と映像の想像力〜』瀬戸川猛資 創元ライブラリ
たとえばどれだけ人工知能が発達しても、このような想像力を根底においた刺激に満ちた文章は人間でなければ書けないのではないだろうか・・・。
非現実の夢の世界へと誘う本と映画を題材に、両者の想像力をクロスオーバーさせ、現実とのかかわりにおいて一つの主題を浮かび上がらせてゆく評論集です。映画好きなミステリー、SFファンなら楽しめることうけあい。
『十二人の怒れる男』は、なぜ『十二人の怒れる男女』ではないのか?
アメリカ映画には、なぜアメリカ建国神話大作ではなく、聖書スペクタル映画が多いのか?
H.G.ウエルズが映画『メトロポリス』をけちょんけちょんにけなした、その心は?
『市民ケーン』と超有名なダイイング・メッセージ・ミステリをむすびつける奇説とは?
まるで謎解きのようなおもしろさ。次になにが引きあいにだされ、どこへ思考は飛んでいくのか、非常にスリリングです。
たとえば、「天空の人々」という章では、「ガイア理論」からはじまり、同様の思想が見い出されるポオの文章を引用し、そして大地・地球=女、天・宇宙=男の構図へと転じ、人類の天空への憧憬と男性的なるもの、その関係を書き続けた稲垣足穂、足穂の作品を「男性の秘密を売った」と評した三島由紀夫、さらに同じテーマが垣間見れる映画『バーディ』へと結び付けられていくのです。古今東西、文学、SF、ミステリー、映画と縦横無尽に共通項を見つけてゆくあざやかな串刺し論法に知的好奇心が刺激されました。
それにしても、この方のあらたな映画評を読む機会ももうないのかと思うと残念でたまりません。
『でも私は幽霊が怖い』佐藤亜紀 四谷ラウンド
佐藤亜紀のエッセー集。書き下ろし「戦争について」以外は、'92〜'97に新聞、雑誌等に掲載された文章です。
三部構成で「ブラチスラバ・エクスプレス」は旅行関連の話題、「豪華無類の晩餐マイナス1」は食の話題、「平成カラオケ倶楽部」はその他の話が集められています。読みながらやたらとお腹がすいたのは、よだれが出そうなほどおいしそうな食事の描写に刺激されたのか、それとも大笑いしてエネルギーを使ったからか・・・。どれをとっても相変らずの痛快な文章で楽しませてくれますが、とりわけおもしろかったのは「平成カラオケ倶楽部」。日常の身近な話題が多いせいかも。
「自由を我等に!」では、服のサイズと本屋の女流棚を題材に「型にはめられるのはゴメンだ」という話がでてきますが、私の知人を鑑みる限りでは、女性であれ男性であれこういう話に何らかの理解を示す人間が佐藤亜紀の読者なのかなという気がします。広く言えば、世間にはびこる”基準”というものに対して自覚的かそうでないかというところに当りつく話なので。(あ、もちろん男性の方の感想は聞いてみたいですけど(笑)。)
本屋の女流棚といえば、佐藤亜紀が入っているのもそぐわないのですが、野阿梓なんかが入っていたりするのも「違うだろ〜」と言いたくなりますね(^^;。(この間寄った古本屋では、『戦争の法』が『○○艦隊の最期』みたいな本の隣に並ぶ戦記棚にあって、これもまた違和感があったのですが・・・。)佐藤亜紀の作品がおもしろいのは、他の作家を引き合いにだして「○○のような」という形容詞を付け難いところであって、その意味ではどういう棚にあるのが一番売れるのかはよくわかりませんが、例えばミステリー、SFからなし崩しに、ファンタジー大賞関連の作家やら笙野頼子やらが置かれ、その並びで隣の海外文学(ウンベルト・エーコなんかが並ぶ)に一番近い場所に佐藤亜紀が置いてあるというのはいかがでしょうか。
といっても、どの棚であれ肝心の本が置いてないことにはどうしようもないわけで、ちなみに、この『でも私は幽霊が怖い』を見つけるのにはかなり苦労しました。比較的大きめの本屋でも無かったりするので、周りで見当たらなければ早めに注文をかけるのが正解でしょう。
『SFマガジン9月臨時増刊号〜星ぼしのフロンティアへ』
早川書房
スペース・オペラ特集で、人気シリーズ、傑作選、新鋭作家競作、その他シリーズ解題や作品ガイドの資料編もついた豪華な一冊。
PART.I では、高千穂遥「ダーティペアFLASH3」先行掲載、神林長平「敵は海賊」、野田昌宏「銀河乞食軍団」、森岡浩之「星界の紋章」それぞれのシリーズの外伝が掲載されています。久々におネジっ子たちに再会できたのがうれしかったですね。神林長平の「わが名はジュティ、文句あるか」は、不思議と「敵は海賊」シリーズより『ライトジーンの遺産』の雰囲気がしました。ハードボイルドっぽいキャラクター、マリオンやジュディの人間くさい過去のエピソードのせいでしょうか。
PART.IIは海外宇宙冒険SF傑作選。ポール・アンダーソン以外は、ほとんど意識して作品を読んだことがない作家ばかりでしたが、それぞれ懐かしい雰囲気の作品でした。中でもロマンただよう異星冒険もの「逝きしものの湖」(リイ・ブラケット)と掛け合い漫才がおかしい「総花的解決」(キース・ローマー)が気に入りました。
PART.IIIは、ライトノベル系で人気の高い作家の新作で、期待以上に秀作そろい。「超機甲戦士・野谷」(岡本賢一)は、ナノテクかつ直球ヒーローもので、リーダビリティの高い作品。下手するとこそばゆくなりそうなネタでありながら、これだけ素直に楽しませるというのはなかなか難しいと思います。「太陽の簒奪者」(野尻抱介)は本格宇宙ものというか、現在の延長として手が届きそうなSFで、こういうSFの書き手がいるというのはうれしい限りです。読後に余韻が残る味のある作品でした。そして、同じファースト・コンタクトものでもまったく色あいの異なる「銀河を駆ける呪詛」(田中啓文)は想像を絶するおもしろさ。”呪詛の通信”というアイディアの奇想天外さはもとより、この作家の言葉センスには脱帽です。電車の中で読んでいて、「人を呪わば・・・」の下りで爆笑しかけて苦しかったのなんのって。
ハードカバー1冊分になるかならないかの値段(¥1650)でこれだけ楽しめればお買い得。