1960年代の初期、「妖星ゴラス」というSF劇映画があった。
太陽系にむかって、はるか遠方から未知な星が迷い込んでくる。 ゴラスと名づけたその星は、地球に衝突するコースにあることが判明した‥図1。 ゴラスは小さいけれど質量が大きい。 しかも煮えたぎる火の玉だから、押し引きするのは不可能。 衝突を避けたいなら唯一、地球のほうが軌道を変えるしかない。 そこで、南極大陸に巨大なロケットエンジンを設けて推力を発生し、地球を押しうごかして危機をのりこえる、という物語。
映画の制作当時、人工衛星や宇宙船はまだ登場したばかりで、軌道をあやつる技術などまだまだこれからであった。 そういうなかで、地球の軌道を変えるという発想は壮大にして大胆、異彩を放つSF作となった。
さて、地球の軌道を変えたのなら、危機が過ぎたあとは元の軌道に戻さなければならない。 戻すには、同じロケットエンジンを北極にも設ける必要がある。 その仕事はもっと難しくなるだろう。 そう語る場面が、物語の終幕まえにおかれていた。
では、北極にロケットエンジンが必要なのは、なぜだろう。 南極を押したから、北極を押して戻す? ‥そんな単純なことだろうか。 いや、もっと深い事情が、劇中では明かされないけれど、きっとあるにちがいない。
そもそも巨大ロケットエンジンとは何もの? その巨大な力で地面は壊れない? ロケットの噴射で大気はどうなる? といった諸々の問いは脇において、ここはもっぱら、軌道を変える‥そして戻す‥しくみにこだわってみよう。
シナリオ上でのゴラスは、図1のように、地球の軌道面(軌道が横たわる面)に沿って進入して、衝突する。 まずは単純化して、地球の自転軸(地軸)は軌道面に垂直であったと仮定しよう。 図2のAにおいて、南極のロケットを噴射すると、その後の軌道は*のように変わる。 すなわち軌道面を、直線ABのまわりに少し回転したことになる。 ゴラスはCで地球に衝突するはずだったが、軌道面の回転により地球はDに逃れて、衝突を回避した。
ロケットを噴射するA点は、衝突点Cから90度手前のところに選ぶ。 噴射は幾十日にもわたる期間をかけておこなうのだが、その期間のまん中がちょうどAになるようにする。 回避距離CDは、シナリオでは40万キロメートルなので、軌道面を回転した角度は0.15度と小さい。
さて、仮定した単純ケースでなら、軌道を元に戻すのは難しくない。 図2で地球がBにさしかかったら、ふたたび南極ロケットを噴射する。 噴射の分量は、Aでの噴射と等しくする。 そうすれば地球の軌道は、元の軌道に正しく戻る。 つまりロケットエンジンを北極に設ける必要はない。
ところが本当は、地軸は軌道面に対して垂直ではなく、垂直から約23度ずれて傾いている。 地軸が傾いていると、南極ロケットの推力は、軌道面に垂直な成分のほかに、軌道面に沿った成分をもつ。 すると状況は図3のように変わる。 いまAにおいて、推力はa向き(軌道に沿って地球を加速する向き)の成分をもったとしよう。 このときロケット推力は、軌道面を回転するとともに、軌道の形を変えるように働く。 元の軌道は円に近かったのが、B付近が出っ張って楕円軌道になる。
この状況において、北極のロケットエンジンが意味をもつ。 地球が一周して再びAにきたら、北極ロケットを噴射する。 噴射は南極ロケットのときと同じ期間をかけて、同じ分量でおこなう。 そうすれば、軌道面が回転したことと、軌道が楕円になったことを、両方あわせて元に戻すことができる。 
図3のAにて、南極ロケットの推力がb向き(太陽のほうへ押す向き)の成分をもったときはどうか。 やはり軌道の形は楕円に変わる。 ただし出っ張るのはBでなく、そこから90度先へ進んだあたりになろう。 そしてこの場合も、地球がAにきたときに北極ロケットを噴射すると、軌道面の回転と軌道の形を、あわせて元に戻すことができる。
では、北極ロケットが無かったとして、図3のBにて南極ロケットを噴射したらどうなるか。 軌道面の回転は元に戻せるだろう。 しかし楕円に変わった軌道の形は元に戻せない。 戻せないどころか、さらに楕円の度合いを増してしまう。 そうなると、太陽光の地球への届き方が元と違ってくるから、地球の気候環境に深刻な事態をまねくであろう。
やはり北極のロケットエンジンは、どうしても欠かせないものであった。


図1







図2







図3



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