触手


(ったくぅ)
 郁子は思うように走れないハイヒールを呪った。
 自動改札口を走り抜け、詰まっているエスカレーターを横目に階段を駆け上った。
 プラットホームに立ったときには息が上がっていた。
 十メートル先で最終の快速電車が待ってくれている。エスカレーターで上がってくる男たちに負けまいと、いく子はハイヒールが許す限界速度で走った。
 ヒールの高さもさることながら普段の通勤には細すぎる。しかしそれだけ足がすっきり映るような気がして、仕事始めに着ていくスーツにはこの靴と、暮れのうちから決めていた。
 近ごろは仕事はほどほどにして、少しでも見栄えをよくしようと心がけている。郁子もそろそろいい相手を見つけなけないと、と親からうるさく言われる歳になっていた。
 ホームに立つ人影は少ないが電車は満員だった。
 年始祝いに一杯引っ掛けたサラリーマンの酒臭い息が車両から漂い出てくる。郁子自身頬が赤らんでいる。
 大きく上下する胸を右手でなだめながら、入り込めそうなドアを急ぎ足で探した。
 どこも郁子が入り込める隙間はなかった。入り口に立つ男たちはみな、ドアの枠にしがみついて外に弾き出されないように踏ん張っている。
 出発ベルが鳴り始めた。
 各駅停車ならまだあるものの、この快速電車ならば十分は確実に早く帰れる。明日からは正常始業だけに少しでも早く寝床に潜り込みたい。しかし女ひとりの力でどうにかなる込みようではない。
 半ば諦めつつも未練は残る。けたたましいベルに急かされながら三両目のドアまで小走りに走った。無理してでも乗ってしまえば一駅なのだ。
 ベルがぴたっと鳴り止んだ。
 折角間にあったのに悔しいが、郁子は快速電車は見送るしかないと諦めた。
 と、目の前のドアに一人分の空間が生まれた。


「うぬっ!」
 乗ろうかどうしようかと迷っている女のために、信之は腰と背中でぎりぎりと乗客を押し込んだ。
 会社のラグビー部員である信之にしても、酔客のモールを後ろ向きで潰し、ひとり分の空間を前に作るのは容易なことではない。それでなくとも五年先輩の百恵に姫始めをどうしてもとせがまれ、済ませてきたばかりでくたくただった。
 男なら論外。女でもそこらの女だったら見て見ぬ振りをしていた。しかし目の前で躊躇しているのはすこぶる付きのいい女だった。ついいいところを見せたくなった。
 早くここに乗れと、信之は背中ですし詰めの乗客を押し込みながらぐずぐずしている女に目配せで促した。
 女はちらりと信之を見て肩をすくませるような会釈をすると、両足がやっとのスペースに信之に背を向けて立った。
 ほとんど同時に圧縮空気の音がした。
 信之がほっと力を抜こうとしたところで、閉まりかけたドアが半ばで止まってしまった。
 小柄な中年男が両開きのドアの間に体を横にして割り込ませている。
 男の背格好とその強引さが映画のコロンボ警部を思わせた。本人もそれを意識しているわけでもなかろうが、コートもよれよれだった。


(冗談じゃないわ!)
 ドアをこじ開けて入ってくる男を入らせまいと、郁子は意地悪く半身になって肩で押し返した。
 ここでドアが開いたら、やっと乗れた自分が押し出されかねない。蜘蛛の糸のカンダダではないが、後からの男には諦めてもらうしかない。それに乗られたらむさ苦しい男と顔を突き合わすことになる。そんなのはごめんだ。快速電車はノンストップだけに短くない時間なのだ。
 無理をしないでくださいと、郁子の代わりに駅員がマイクで怒鳴っている。
 まだ両足はプラットホームにあるのを構わずもがいている男を見かねて、ドア脇の乗客たちが手を貸した。
 郁子は余計なことをするなと言いたかったが、明日は我が身と思うサラリーマンたちの暗黙の連携プレーは見事で、とうとう男は満員電車に乗り込んでしまった。
 電車はよれよれのコロンボコートをドアに挟んだまま駅を出た。
 車内は超満員だが、まるで誰もいないほど静かなものだった。
 コロンボ男は郁子の肩に胸を押し当てて盛んにはーはーと喘いでいる。
 日本酒にニンニクの臭いが重なった吐息に耐えかね、郁子は露骨に嫌な顔を作って男に背を向けた。
 そんな郁子の気も知らず、男はリンスの残り香を漂わす黒髪に鼻腔を膨らませた。
 郁子の向かい合わせになった若い男は体格がよかった。
 ハイヒールの郁子のほほが肩口に触れる。恋人に寄り添うようで気恥ずかしくはあるが、親切にも自分を乗せてくれた男だと思うと甘えたい気持ちになる。
 二十分の辛抱だと、郁子は目を閉じて電車の揺れに身を任せた。


(む!)
 女のために力ずくでスペースを作った反発が、電車の加速と共に信之の背中にのしかかってきた。
 強化ガラスに両手を突っ張り対抗しているが、両腕の間に女とコロンボ男がいるので指先しか届かない。その指先の色が既に変わり、日頃鍛えている上腕二頭筋も悲鳴を上げている。
 女が胸に抱えているバッグが多少後ろに押し戻す助けになっているが、バッグの角がワイシャツの胸にゴリゴリと当たり痛い。胸ポケットに入れた自分の携帯電話も邪魔になっている。
 快速電車が一つ駅を通過し、けたたましく警報を鳴らす踏み切りを越えた。
 信之の左の指先が荷重に耐え切れなくなった。
 女とその後ろの男を圧力から護るためにこれ以上力を尽くす義理もないだろうと、がくっと手首を折り曲げた。
 二十センチ分信之とドアの間が狭まり、それだけ女の体が潰れた。
 信之の携帯電話がバッグを抱えている女の手の甲を強く押した。
 女が痛がっていないかと信之は心配したがどうすることもできない。自分の胸も痛いのだ。
 手とバッグをどかしてくれれば互いに痛い思いから逃れられるのにと、信之は恨めしげに女を見下ろした。


(痛いなあ、もう)
 コロンボ男に背を向けたときから、向かいの若い男の胸ポケットに入っている固い物が手の甲に当たっているのを郁子は我慢していた。
 手をどかせないこともないが、そうすると胸がノーガードになる。親切そうな男とはいえ胸を直接押されたくない。
 しかし一際強く圧迫されそうも言っていられなくなって手をどかした。
 前を留めていないコートは、はだけてしまって役に立たない。カチッとしたスーツの上着が、乳房をカモフラージュしてくれることを祈った。
 手を下ろすと男の胸ポケットの異物が直接郁子の右胸を潰した。
 しかしたっぷりの乳房の脂肪が緩衝材となり、郁子は痛くはなかった。ただ今度は目の前の若い男に胸の存在を意識させてはいないかと気になった。
 これまで紳士的に周りの乗客からの圧力から護ってくれていたのだ。故意に体を押し付けているとは思えない。全然こっちは何も感じていないという振りをしていれば、恥ずかしいこともないし、向こうだって気が楽だろう。
 そう思うことにしてすっと体の力を抜くと、それまで窮屈で苦しかったのがうそのように楽になった。


(あ!)
 信之の願いが通じて女の手がどいた。
 女への圧迫がわずかながら緩むと、かえって女体特有のふくよかな感触が生々しくなった。
 押しつけられているのは確かめるまでもなく乳房だ。それもかなりしっかりしたボリュームがある。
 信之はドキッとすると同時に、どさくさに紛れてもっと接触感を強めたいという下心がむらむらっと湧いた。
 手で触るわけではない。この混雑だ。誰も咎めることはできないだろう。女にしたって、わざとそうしているとは思わないに違いない。それに乗れそうもなかったのを、力を振り絞って乗せてやった貸しもある。
 信之は身勝手な理屈を女に押しつけようとしたところに電車が左に揺れた。
 車両に平行して立っていた乗客がよろよろと足の位置を移動した。信之は後ずさり、女は前のめりになった。すぐ元に揺り戻されたが、二人の胸の圧迫感はずっと軽くなった。
 信之の胸で潰された女のブラジャーはブラウスの中で形を戻した。
 揺すられたことで、わずかながらも乗客の間に余裕が生まれた。
 信之はドアに右手も突かずとも真っ直ぐ立てるようになり、まだ女の左胸に宛がわれていたバッグが自然に下りた。


 また揺れた。今度は右方向に揺れた。
 郁子の前の男がのしかかってきたが、コートをドアに挟まれた男に背後を絶たれて一歩も下がれない。
 とっさに若い男がかばおうとしてくれたが間に合わず、さっき以上に強く胸で乳房を押し潰された。それも左右両方同時に。
「…うっ」
 男の体を胸で受け止めた郁子は、息が詰まってうめいた。
 十二分に熟してはいるがそう多くの男の手でほぐされてはいない。その乳房で男の胸を一旦跳ね返したが、すぐまたブラジャーのカップの半分を押し潰された。
 同時に太ももの付け根に男の中心部も当たってきた。ほんの一瞬だったがはっきりとそれとわかる感触が残った。
 郁子は疑わしげに前の男を盗み見た。
 ネクタイの結び目と同様にきりっと締まった口元に下卑た気配はない。むしろ風呂上がりのようなすがすがしい雰囲気がある。満員電車で意に反して体を寄せられのは不快にしても、こうした男ならまあまあ許せる。
 確かに電車が大きく揺れたし、わざとではないとは思う。
 郁子の胸がちょっと騒いだ。


 信之は狼狽した。胸に受けたふくよかな衝撃だけではなく、はずみでズボンがスカートに当たったからだ。
 男盛りの肉体が軽くトンと当たっただけで反応を始めている。
 これはまずいと、仕事の段取りなぞを思い浮かべるのだが、神経が血の流れる方にどうしても向かってしまう。
 さっきまで一緒に風呂に入って戯れていた百恵が股間に甦ってくる。
 腐れ縁をそろそろ清算しないといけない時期になっているのだが、体の相性が悪くないだけにずるずると続いている。
 ダイアの遅れを取り戻そうとしているのか、いつも以上に快速電車のスピードが速かった。そのあおりですし詰めの乗客は右に左に揺すられ、信之のワイシャツが女の胸を一定の周期で強く弱く押した。
 これは百恵の倍、Eカップはありそうだと、信之は電車の揺れの乗じて手を使わずに見知らぬ女の胸をいたぶっていた。


 バッグと腕で胸をかばおうと思えばできなくはなかったが、郁子はそうしなかった。
 付かず離れずリズミカルに胸を押されるのはそう不愉快でもなかった。駅に着くまで続けてくれて構わないとさえ思った。それより郁子には気掛かりなことが生じていた。
 コートの腰辺りがもぞもぞして気持ち悪い。後ろの中年男が自分に何か悪さをしようとしているように思えてならないのだ。
 少しでも後ろの男から離れようと腰を前にした。すると、スカートのちょうど中央に、前の男のもっこりした部分に当たった。
 好感が持てるとはいえ、名も知らない男に電車の中で勝手に昂奮されても困る。
 スカートの前にバッグを据えようとした左手が、心ならずも男のふくらみをこすってしまった。
 郁子は予期せぬ生温かい感触に慌てた。
 故意に触っていると勘違いされては、と慌てて手を引き上げた。
 それが悪かった。
 太く長いサツマイモの根元から先までを、手の甲ですりすりっと撫で上げる結果になってしまった。
 ベルトのバックルまで手を上げたのにまだ郁子の人差し指と中指の先に丸い頭が触れている。
(うそ! こんなとこまであるなんて!)
 その長さに郁子は驚いた。
 昂奮時は平静時の二倍近くなる男を知っているが、これほど長大な逸物は触ったことも見たこともない。二本の指に挟まれている先も太い。
 郁子の手がズボンに貼り付いた。中の形を確かめるように、指に挟まったものを無意識にくりくりといじくった。


(うおっ!)
 どうにかして気を散らそうと努めていた信之は、ふいに急所を突かれて目をカッと見開きもう少しで声を出しそうになった。
 しなやかな指で翻弄されて信之は焦った。ズボンの中で勢いよく立ち上がり、ブーメランブリーフから先が顔を出しそうなのが自分でもわかる。
 あろうことか、その先端部をころころと二本の指でこねくり回され膨れあがった。
(おい!)
 信之は女の異様な行動に驚いた。
(痴女?! これがあの痴女か?)
 夕刊紙のエロコラムで読んだことがある。電車の中で男を触って楽しむ女がいるらしい。
 改めてあごを引いて女を見下ろしたがごく普通のOLとしか見えない。
 ぴたりと体がくっついて、男を楽しむどころかむしろ恥じ入っているようにさえ見える。
 よしんば痴女だとしてもこれだけ若くきれいならば望むところだと、信之は好奇心もあってしばらく様子を見ることにした。
 次に何をしてくるかと信之はドキドキして待ったが、女の指は先端部分を挟んだままもうピクリとも動かなくなった。 


(こっちはじっとしているつもりなのになぜ?)
 郁子は男を指先でいじっている自分に気づいて猛烈に恥ずかしくなった。
 ここ一年近く男と接する機会がなかったが、満員電車の中でこともあろうに男の股間をまさぐるほど体が男を欲しているとは思っていなかった。
 まだ指がぴくっぴくっと脈打っている。
 意志に反して勝手に動く指に郁子は混乱した。
 それが男の脈動のせいだとわかると、鼓動が激しくなった。
 心なしか男が体を上下させているように思われる。上がれば人差し指と中指が広がり下がると閉じた。
 故意にしていることなのか、電車の揺れによるものなのか、判然としない微妙な動きだった。
 他人の手になってしまったようで挟んでいるものから指を外そうとするができない。それをいいことに、男がぐいと指股に強く押し込んできた。
 股を裂かれ犯されるような恐れに郁子が手を上げかけたその時、手首をつかまえられた。
 かなり大きく明らかに男の手だった。腕時計の上からつかまれた。びくとも動かせまいとする、強い意志が感じられた。
(違います! 悪いことなんかしてない!)
 犯行現場を刑事に押さえられた痴漢かスリにでもなったような気持ちだった。ズボンの上から男を触っていたのは事実だっただけに、「離してください!」と叫べなかった。ぎゅうぎゅう詰めの車内ではもがくこともできない。
 誰が何のために手首をつかんでいるのか。離してくれればそんなことはどうでもよかった。
 腕時計を狙ったスリにしては不自然なつかみ方だった。つかんだだけで、そのまま動かないのが不気味だった。
 これからどうする気なのかさっぱり見当がつかないが、手を握られるよりはまだましだと、少し心に落ち着きが戻った。
 郁子はズボンの中身のことで頭がいっぱいで、後ろでもぞもぞしていたコロンボ男に対する警戒がおろそかだった。
 手首をつかまえられたとき、既にスカートは尻を覆っていなかったのだが、うかつにも郁子は全く気づいていなかった。


(おい、これで終わりかよ?)
 再び女が指先で刺激してくれるのを信之はじりじりとして待った。しかし一向に動く気配がなかった。
 先端部を指に挟まれたままのはずだがその感触が薄らぎ、与えられている圧迫感は自分のパンツのゴムのせいではないかと思えてきた。
 ほんの少し体を上下させてみた。
(まだ触ってるぞ!)
 錯覚ではない。確かに女はまだ自分を指で挟んでいる。
 嬉しさに信之は思わず口元を緩ませた。
 悟られないように腰の上下を続けた。
(いい)
 ズボン一枚を隔てたもどかしい快感が何とも言えない。
 目を閉じると、たおやかな白い指が猛々しい自分を慰撫している図が目に浮かぶ。
 これなら満員電車も悪くないなと信之はしばらく悦に入っていたが、さらなる刺激が欲しくなった。そして自分が密かに楽しんでいるのを女は勘づいているのか知りたくなった。女も意識してくれたほうが楽しめると思った。
 慎重に電車の振動にカモフラージュさせて上下させていた腰をはっきりとした動きに変えた。
 指はちょっと驚いたようだったが逃げることもなく信之をきっちり挟み続けている。
 信之は気をよくして大胆なことを思いついた。
 女の手首を握った。
 腹をへこませてズボンのウエストから手を差し込ませる。そのつもりで握った。しかしいざとなると、もしそんなことをさせて痴女ではなく普通のOLだったらどうすると心配になった。猥褻行為を強要したことになる。
 女は手首を握られても振りほどこうとしない。
(まさかおとりの女刑事じゃないだろうな?)
 女の手首をつかんだまではよかったが、疑心暗鬼に陥った信之はそれっきり動きが取れなくなった。


(えっ?!)
 郁子はパンストを撫でられて初めて、スカートがまくれてしまっていることに気がついた。
 まさぐるという言葉がピッタリの遠慮なしの触り方だった。
 痴漢している男も最初のうちは、混雑のせいだと言い訳ができる程度にさりげなくコートの上から触っていた。が、一向に女が気づかないのを幸いに、コートのスリットから手を差し入れてスカートを徐々に引き上げたのだった。
 女が拒む素振りもなくさせるがままでいるので調子に乗ったのだろう。かなり露骨にパンストを撫で回し始めた。
 右手にバッグを抱え、左手は手首をしっかり握られている郁子は、悔しくとも痴漢の手を追いやれない。
 太ももから這い上がってふたつの尻山を厚ぼったい手の中に収められ、郁子はたまらず腰を左右に振った。
 触られていることに気がついている。止めないと痴漢だと叫ぶぞ。その意思表示のつもりだった。
 やっているのはよれよれのコートの男とわかっている。ちらりと見たっきりだが小心者の親父だ。こっちが強く出れば引っ込むはず。郁子はそう読んだ。
 果たして尻肉を握っている手が尻の揺さぶりに驚いたか、そのまま尻から離れていく気配があった。
 郁子はほっとした。
 その矢先だった。
 握られていた手首が引き上げられたかと思うと、再び下ろされた。
 指先に何かぬめっとした肉の感触があった。
 気持ち悪さに思わずこぶしに握った。このときになって手をズボンの中に入れられたと知った。そして先程来自分の手首を握っているのは、目の前の男だったことを。
(いったいなんのつもり!)
 状況が許されればそう怒鳴っていただろう。だが左右前後をびっしり男たちに囲まれている満員電車の中では下からにらみ上げるのが精一杯だった。
 郁子はズボンから左手を抜こうとした。そうさせまいとする手が引っかかりこぶしにした手が自然に開いた。また指先にぬめっとしたものが触れた。
(あっ…)
 郁子はびっくりしてあんぐりと口を開けた。
 触れたものが男根の先であるとはっきり認識させられた。
 その驚きだけではない。一旦尻から離れた手が今度はパンストのシームに沿って股の真下をすりすりと撫でさすり始めたのだ。
 そうはさせまいと郁子はきつく太ももを締めた。その力がつい握っている手にも入った。
 郁子の抵抗は何の足しにもならなかった。
 無骨な指一本は造作もなく後ろから侵入して、怖気を震う郁子をあざ笑うかのように、ぽってりした上唇に似た小さな肉丘を左右にぷよぷよと押し弾いておもちゃにした。


(どうよ)
 思い切って自分のズボンの中に手を入れさせて、信之は女を自慢げに見下ろした。
 女はびっくりしたような顔で信之を見上げていた。
 予想以上に巨大なのに驚いているのだろうと、信之は気をよくしてさらに奥まで手を入れさせた。
 遠慮がちだったが女は信之のものを握ってきた。
 少し開いた口から舌を覗かせている。嫌々ながら…といったその風情が実に艶めかしい。
 意外なことに男を触り慣れているようでもなかった。ぎごちない手の動きが、ここが満員電車の中だということを忘れさせた。
(いいぞ。遠慮しなくてもいい。好きなだけすればいい)
 腰を上下して信之は促した。
 これが何なのかちゃんとわかっててしているのよと言わんばかりに、キュッと女が強く握ってきた。信之は気持ちが伝わったのだと思い込んだ。
 女が後ろにいる男に指を尻に突き立てられ、思わず信之を強く握ってしまったとは信之が知るはずもない。
(そうだ、その調子だ。もっとやってくれ)
 百恵に使い果たして空になった精嚢が満ちてくる。信之の鼓動が速まったがまだこの時点では余裕があった。
 もう信之が手首を押さえていなくても女は自主的に強く弱く握るのを繰り返している。
(さすが痴女だ。わかりが早い)
 女は上下にしごくようなことを始めた。
 信之を見上げる瞳が潤んでいる。
(感じているのかい? これが欲しいか? でもここじゃあ無理だ。これで我慢しろ)
 我慢するのは信之のほうだった。恐らく女が欲している以上に信之自身が女と結合したくなっていた。
 こうなれば他人行儀でいることもなかろうと、信之は女のコートを抱き寄せた。
 信之の下腹、女の手、男根、ズボンとスカート、女の下腹。これらがぴたりとひとつになった。


(やめて!)
 後ろからふっくらした肉丘をもてあそんでいた指が、すすーっとパンストのシームをたどって尻に戻ると、今度はパンストを強引に引きちぎろうとしている。
 そう簡単には破れないとは思うが伝線させられるだけでも嫌だ。なんとか止めさせてくれと郁子は前の男を見上げた。
(後ろにいる男がいやらしいことをしているの! わかってちょうだい!)
 熱い男根は握っているだけでも逞しく頼りになりそうだった。郁子はそれを揺さぶって助けを求めた。
 無言の訴えに若い男も何かを感じたか、郁子をかばうようにして抱き締めた。
 郁子は抱いてもらうと、痴漢の魔の手からは逃れられないにしても、自分はひとりではないのだと思えてずいぶんと心強くなった。
 パンストが引っ張られコロンボ男の両こぶしがグリグリと尻を押している。
 顔を真っ赤にして男がやけくそでパンストを破ろうとしているのが郁子には目に見えるようだった。
(五分もすれば駅。もうちょっとの我慢)
 力を入れるのは痴漢だけでいいのになぜか郁子も一緒になって尻に力を込めてしまう。
 ピッピー…
(ひゃっ!)
 聞こえるはずのないパンストが裂ける音が郁子にだけ聞こえた。
(パンストが!)
 痴漢されている以上にパンストを駄目にされたことのほうがこのときの郁子にはショックだった。
 ブルブルブル…
(あ、あ、あ…)
 右の乳首にバイブレーターが当てられた。
 郁子を抱いている男の携帯が鳴動していた。
(と、止めてー!)
 振動は数秒で止まった。
(はぁ〜)
 乳首から乳房の底にジーンとしびれが残った。そのしびれが消えるのを待たずして、パンストの破れ目から男の手が中に入ってきた。


(あっ)
 信之は突然の胸ポケットの振動に慌てた。
「チッ」
 高ぶりを見知らぬ女に握らせ、次の駅までの束の間の快楽を楽しんでいたところを邪魔されて、こんなときに忌々しいと信之は舌打ちした。
 放っておいてもよかったのを、寸刻でも早く止めたくて右手は女の腰に残して左手をワイシャツの胸ポケットにやった。