『ザ・ビーチ』 The Beach
『トレインスポッティング』のダニー・ボイル監督、主人公はレオナルド=ディカプリオということで、撮影時から何かと話題になっていた作品ですね。環境保護団体と喧嘩しながら撮影したビーチの映像は確かに美しいです。
満たされた生活に何か物足りなさを感じる若者・リチャードは観光客ずれした旅に飽き足らず、偶然知り合った男から聞いた秘境のビーチを目指す。
アレックス・ガーランドの原作の雰囲気は非常によく出ていました。特に前半ビーチを見つけるまでの展開はイメージ通り。ホテルでリチャードに地図を渡した謎の男を演じているのがロバート・カーライルで、彼の切れまくった演技は実に見ごたえがあります。後半は、楽園の人間関係の描写が小説のように細部まで描き切れていないので、なんかどいつもこいつも「あんたバカ?」みたいにしか見えないのが残念でした。(まあ、原作でも”共同体の夢”を信じられない私としては感情移入は全然できなかったんですが。)コミュニティのリーダー、サルを演じるティルダ・スウィントン(『オルランド』)は独特の雰囲気を醸し出していて、予想以上にはまっていました。
原作ではイギリス人、映画ではアメリカ人になっている主人公ですが、ディカプリオはぴったりでしたし、「いかにも」な演技を見せていました。この役はやっぱりユアン・マクレガーでなくてよかったですね。ユアンだとやぼったくなっちゃいますから。(あのすれてない感じが彼の魅力なんですが。)
一つ非常に違和感があったのは、リチャードが「ゲーム」となぞらえた見張りのシーンで、本当にビデオゲームのキャラクターとなったリチャードの映像がでてきた所。小説の該当シーンの現実味が薄れていく様がかなり好きだったのですが、この映像はちょっと違うなあ、と。もしかしたら、ゲームをやり慣れている人は同じ文章からこういう映像を想像するのかもしれませんが。
飛行機の中で見たので公開版と若干違うようですがどこが違うのかはわかりません。(原作から想像すると、お食事中には見せられないシーンがカットされたのか、あるいはサルのエピローグはちょっとまずいよね、ということになったのか、なんて考えたりもしましたが)
無理してもぜひ見て欲しいと薦める気はさらさらありませんが、原作にはないリチャードとフランソワーズのラブシーンと言い映像はきれいなので、ちょっと興味があって期待しないで見る分にはそれほど損はしないと思います。
『エスカフローネ』
「野心作」。音楽と映像の見事なコラボレーションは実に見ごたえがあるのですが・・・。
TVシリーズ『天空の城エスカフローネ』を元に劇場用に新しく設定・ストーリーを作り替えた映画。
簡単に要約すると、一人の少女が異世界にはじき飛ばされ、悪の帝国と立ち向かう国を失った少年王と出会い、少女はその世界を変える鍵となるというお話。
確かにこうして書くとあら筋はあまり変わっていないのですが、TVシリーズのおもしろさはかけらもなくなってしまったという感じ。短い時間の中で展開仕切れないという制限はよくわかりますが、せめてひとみとバァンの物語だけは説得力を持たせてほしかったです。あんなに簡単に「そばにいたい」と言うひとみを見ると、「あんた、人の気持ちを理解しようとしてないでしょう」と言いたくなりますし。ひとみが中途半端なヒロインに成り下がっているので、まるで恋する乙女がナウシカポーズしているような感じ。
フォルケンについては、まあ百歩譲って単なる悪役になってしまうことは諦めるとしても「世界を滅ぼしてしまいたい」という所が全然納得できない。どうせなら、神の力を欲し、「制御できない力を解き放つと世界が滅びますよ」と言われて、「それもまたいさぎよい・・・」とうそぶいてくれたら(型通りでも)なんぼかましだった気がします。
設定が変わっても一番のびのびしていたキャラクターってもしかしてディランドゥかも。
ともあれ『カウボーイビバップ』のスタッフが手掛けた映像は一見の価値有り。いかにも「宮崎アニメ、ガンダム、エヴァンゲリオン、ディズニー、そしてスターウォーズも越えたかったのね・・・」という印象を与えてしまうところはありますが、見ごたえ十分です。景観の描写はまさに実写を越えた質量感ですし、大胆なカット割や戦闘シーンの迫力も印象的。エスカフローネのマントが瞬時に作られるCGならではの動きもよかったです。そして、それを盛り上げる菅野洋子の音楽も一段とパワーアップしていて素晴らしいです。
でもねえ、やっぱり私としてはストーリーの魅力あっての映像だと思うのです。そりゃ、ストーリーは中途半端でも映像で評価されている『攻殻機動隊』とか、アニメ作品に映像重視の傾向があることは否めませんが。でも、この作品、断片的にはものすごくいい、と思っても、作品全体を通して「エスカフローネ」でしか表現できない何かが感じられないように思います。
TVシリーズを知らない人にはそれなりにシンプルなストーリーとして受け入れられるのかもしれません。それで流してしまった人は、ぜひともTVシリーズの怒涛のストーリーをご覧になってほしいと思います。画質は落ちますが、私のお気に入りのフォルケンにーさまが映画のフォルケン総統とどれくらい別人であるか、とか、ひとみとバァンの物語がファンタジーの王道としてどれほどの感動を呼ぶか、等々十分ご納得頂けると思います。
『ムッソリーニとお茶を』Tea with Mussolini 〜A story of civilised disovedience〜
ノーチェック作品でたまたま友人に誘われて見たのですが、これがすっごく良かったのです。
1935年フィレンツェ。この町に住むイギリス人たちは、元大使の未亡人レディ・ヘスターを中心に英国風を気取りシニカルに人にかみつくため、地元の人からは”サソリ族”と呼ばれている。そのうちの一人メアリーは、服地商パオロの秘書をしているが、孤児院から逃げ出してきたパオロの息子ルカを引き取ることになる。芸術を愛するアラベラをはじめメアリーの友人たちは喜んでルカのために手を貸す。一方同じ異邦人でもラフなアメリカ人たちをヘスターたちは疎ましく思うが、豪富の夫を持ち派手な振る舞いのエルサはルカの亡くなった母親の友人であり、ルカの教育資金としてメアリーに信託基金を申し出る。
やがてフィレンツェにも外国人に対する暴動がおき、ムッソリーニを紳士と信じるヘスターは彼に抗議しに行く。ムッソリーニは英国式のお茶でヘスターをもてなし彼女たちの身の安全を保証するが、時代の流れはいやおうもなく傾いてゆく。ルカも父親によってオーストリアへ留学させられてしまう。
1939年、ムッソリーニは英仏に宣戦布告。ルカが戻ってきたフィレンツェでは、どこまでもムッソリニーを信じて残っていたヘスターやメアリーたちが外国人強制収容所に移送されるところだった。ルカはエルサに協力し、ユダヤ人を逃がしヘスターたちを助ける役割を果たすが、やがてアメリカも戦線に加わる日が来る。
美しいフィレンツエの町並みにためいきをつき、シニカルなイギリス(おちょくり)ユーモアに笑いつつ、気がつくと登場人物たちの演技にのまれていました。中心となるのは老婦人と熟女と子供で見かけの派手さはありませんが、燻し銀のようなベテラン女優たちの演技は見事。凛としたイギリス貴婦人たちは時代遅れであろうと人間としての尊厳を感じさせます。『Queen Victoria/至上の恋』や『恋におちたシェイクスピア』で女王役だったジュディ・リンチが、今回は芸術家で風変わりなアラベラを演じていますが本当に上手いです。大金持ちで奔放なエルサを演じるシェリー(『月の輝く夜に』『イーストウィックの魔女たち』)は相変らずの美しさ。(50代とは信じがたい・・・)豪奢さが似合う魅力にあふれ、かつ、女のもろさやルカへの慈しみも好演。
また、男性陣では成長したルカもなかなかかわいいですし、ラテン系美男子の典型のようなエルサの恋人、ムッソリーニの親衛隊員などちょっとした目の包容も楽しめます。
全体的にユーモアにあふれつつ品のある仕上がり。素敵な笑いと人間性への信頼をさりげなく表現し、人としてHappyな気分にさせてくれるいい映画を見せてもらったなという感じで、お気に入りの一本になりました。
『スペーストラベラーズ』
(以下の感想には『スペーストラベラーズ』に関して若干ネタバレ気味な部分が含まれますのでご注意ください。)
『踊る大捜査線』の本広克之監督の最新作。
監督いわく”今までなかった「サンプリング映画」”。見る人によって違った見方ができる、というのは確かで、どうやら観た後の感想も二分されているようです。私の結論としては、手放しで「ブラボー」とは言えないけれど、でも「もう一回観たい!」ですね。
閉店間際のコスモ銀行に銀行強盗に入った3人組。5分間で大金をせしめ南の島(パラダイス)めざして一直線、のはずが、トラブル続きで警察に包囲され銀行内に立てこもることになってしまう。人質の中に国際的テロリストがまぎれこんでいたために凶悪なテロ集団と誤解され、人質は犯人役を演じる羽目になり、いつの間にか犯人と人質の間に奇妙な連帯感が生まれてくる。
キャストはかなり豪華で、銀行強盗三人組は金城武、安藤政信、池内博之。リーダー役の金城はもちろんのこと、頼りなさそうで硬軟併せ持つブラック・キャットこと安藤政信、孤独なスナイパー・池内博之も好演。日本の若手俳優はあまりよく知らないのですが、立派にスクリーン負けしない俳優ですね。いいとこ取りのテロリスト・渡辺謙は目立ち過ぎというくらいの存在感。思わずため息がでるほどかっこいいです。人質の銀行員役の深津絵里はやっぱりうまいですね。その他、離婚寸前の夫婦(筧利夫と鈴木砂羽)、気弱な銀行員(甲本雅裕)、電気屋(倉沢慎太郎)とそれぞれに味のあるキャラクターがきちんと演じられています。
「躍る・・・」とのリンクはご愛嬌。新城さん、緒方警官はじめ、そのまんまのSAT隊長他、ちょい役キャストにも見覚えのある人がぞろぞろでてきます。(思わず警視庁車から室井さんが降りてくるのではと・・・(笑)。)
「スペーストラベラーズ」って一体何? と観る前から気になっていたのですが、劇中劇ならぬ劇中アニメのタイトルで、そのアニメの登場人物たちと人質をまきこんだ”犯人グループ”がオーバーラップする仕掛けになっています。で、このアニメですが、いきなり挿入される画像は、「ガンダム!」「クラッシャージョウ!」「マクロス!」「きゃ〜〜〜、ビバップ!!」と笑えるシーン満載で、登場人物のキャラクターも”いかにも”なのでそれなりのアニメ世代、アニメファンには受けるはず。反面、全然免疫のない人が見ておもしろいのかどうかはちょっと疑問。
全体を通して個人的にはかなり笑えたし、ラストを含めて結構気に入りましたが、「これ、『躍る・・・』ほど一般受けはしないだろうなあ」と。笑いのツボがちょっとマニアックな匂いがするのと、娯楽映画としてはむちゃくちゃでもいいから最後にスマイルできないとつらいでしょう。
娯楽映画の中で、”祝祭”である非日常と現実との距離をどうとるか、というのは難しいところで、非日常という舞台で登場人物たちにリアルな存在感、共感性を持たせれば持たせるほど、現実への回帰が難しくなる。SFやファンタジーでは、異界からきた存在によってひっかき回される非日常の物語は、最後、現実に戻るために異界からきた存在はまた異界に戻るという枠組が使えます。しかしこの映画の非日常的な存在である強盗3人組には戻る所がない・・・。
『明日に向かって撃て』ならもうただただ涙にくれてしまえばいいのですが、「スペトラ」のラストは気持ち良く泣けるというには苦いですね。あえて、現実との接点をつくった意図もわかるし、「あなたは今なにをしていますか?」という問い掛けが心にしみてくるラストではあるのですが、それでも他の結末を模索している自分に気づきます・・・。
まあ、それだけ作品世界にはまってしまったってことですが。オープニングとエンディングに流れるクイーンの”NOW I'M HERE”にはやられました、はい。
『ケイゾク』
ドラマを見ずにいきなり映画を見てしまい、「もしかして、これはドラマを見てからなら深〜い感動が得られるのだろうか???」とちょっとだけ期待してドラマ&スペシャルをレンタルで見ましたが、あらかたの印象は変わらずがっくり。(映画だけだと謎だったまだら目と彩の関係ははっきりしましたが(^^;。)
けっしてつまらないわけではないし、見ている間は結構おもしろがっているのですが、いかんせん後に残るものがないのです。実在感が乏しく「こういう人どこかにいるはず!」という感覚がわかず、ビデオのスイッチを切った途端に忘れてしまう感じ。
映画は、前半は一応謎解きミステリーで、後半はドラマの展開を引きずった朝倉との最終対決という構成。ドラマもそうでしたが、謎解きミステリーの部分は、古典のパロディだったりするので、こういう結末しかないな、というのはある程度読めます。それを上手く引っ張るのはやっぱりキャラクターの味ということになるのでしょうね。未解決事件担当の警視庁捜査一課弐係の、東大出キャリアの柴田と一匹狼・真山の迷コンビ。中谷美紀演じる柴田のワンテンポはずした雰囲気はとても気に入っていますし、渡部篤津部演じる真山の予測できない言動には目が離せません。ドラマで毎回何が楽しみだったかというと、真山が「最後に何というか?」「どういう態度をとるかな?」でした(^^;。
朝倉についてはどーでもよくて、人並みはずれた能力あるのにつまんないことしてるねえ・・・という思いが強いですね。映画の「エヴァ」な展開に至っては「それがどうした!」ですし。同じネタでもめちゃ感動する料理の仕方というのが存在するのは恩田陸で証明済みですが、「ケイゾク」ではとりたてて新鮮味も驚きもなかったなあと。
ただ、作り手の映像へのこだわりはひしひしと感じられ、こういうシーンのためにこのストーリーという選択があったとしてもうなづけます。ドラマ編を含めて、一瞬のカットに「おお!!」と思ったことは少なからずありました。オープニングにいみじくも象徴的な映像がありますが、究極的にはストーリー展開よりもあの関連性のないイメージ集合体の方が「ケイゾク」の魅力を表現しているのではないかと思っています。例えば、さりげなく幻想的な風景、人物のポーズなどの選りすぐりカットばかりを集め、きめのせりふやト書きを入れた写真集が一次媒体として世に出されたならば、よりわけのわからなさは増したと思いますが、とてつもなく洗練されたシャープなものが生まれたのではないかと思ったりします。
自分としては琴線に触れるには半音及ばずという感じで、「ケイゾク」にはまった、という方がいたら、ぜひとも、どのあたりにぐっときたのかうかがいたいところです。
p.s.
余談ですが、このスタッフに『球形の季節』の映像版を撮らせたらおもしろいだろうなあ、とふと思いました。
『スリーピー・ホロウ』 Sleepy Hollow
「ゴシックホラーの大傑作!」というよりは「ティム・バートン流ゴシックユーモアホラー(怖くないからみんなで見てね!)」という感じ。
NY市警捜査官のイカポッド・クレーンは”首なし”連続殺人事件の捜査のためNY郊外のスリーピー・ホロウ村に向かう。その村に伝わる”首なし騎士伝説”を聞かされたイカポッドは非科学的な話として取り合わないが、犠牲者は増えついにイカポッド自身も”首なし騎士”の犯行現場を目撃し失神してしまう。恐慌から立ち直ったイカポッドは犠牲者の息子マスバス、大地主の娘カトリーヌと共に西の森の魔女のお告げに従い森の奥深く分け入り”首なし騎士”の手掛かりを見つけるが、事件はさらに続いてゆく・・・。
白霧に包まれた孤立した村、剣を振り上げ疾走する首なし騎士、魔術を信じる美しい娘、イカポッドの子供時代の悪夢、など全体的なトーンはゴシックで美しい仕上がり。首なし死体や生首がごろごろしている割には全然気持ち悪くないです。あまり血がでてこないし、いたずらに苦しむ描写がないからかも。あと主人公のキャラクターに因るところも大きいです。端正で憂いのあるハンサム、宗教を信じず科学的な調査を信頼する理性的な探偵役、のはずなのですが、あやしげな道具を取り出すわ、気絶するわ、子供を盾にするわと絶妙な「すかし」キャラ。(見終わってからも、NYに帰ってこの事件をなんと報告したのだろう? 捜査官クビになったらあやしげな私立探偵になるしかない! 等と後日談まで想像させる活きの良さ(^^;。)作りようによってはどろどろの怪奇現象パニックホラーにもなり得る話ですが、あくまでおとぎ話の雰囲気から離れずに”謎解き”エンターテイメントにおさめた作品ですね。
キャストは個性派ぞろいで豪華。主人公イカポッドを演じるのは作品毎に別人に見えるジョニー・デップですが、やっぱり実力派なんだと思います。『アダムス・ファミリー』のウエンズデイの印象が強いクリスティーナ・リッチ(カトリーナ役)は美しく育ったなあという感じで、この存在感は先行き楽しみ。その他ティム・バートン映画ではお馴染みの役者がぞろぞろ登場する上、村の医師はパルパティーン議員のイアン・マクダーミッド、ニューヨーク市長はドラキュラ伯爵のクリストファー・リー、そして首なし騎士にはクリストファー・ウォーケン(こんな姿におなりになってしまって(;_;))。ちなみに首なし騎士のスタントシーンは『エピソード1』のダース・モール役で一躍有名になったレイ・パーク。いや〜、道理で鎌を両手に持った二刀流アクションがかっこいいわけです。
実にティム・バートンらしい作品ですが、他の作品に比べるとアクが強くないので、誰がみてもわりと楽しめる映画でしょう。逆にあまりに王道できれいにまとまっているのでちょっと物足りない気もしますが、でも映像的にはとても気に入りました。
『シュリ』
韓国映画を見るのは初めてでした。
北朝鮮テロリストVS韓国情報部員のスパイアクションものに悲恋味付けという感じ。
観賞魚の店に勤める恋人をもつジュンウォンは、韓国で暗躍する暗殺者ビンヒを追う韓国情報部員。なかなかビンヒの手掛かりがつかめない中で、北朝鮮テロリストによる新型液体爆弾CTX強奪事件が起きる。爆弾テロ阻止のために手を尽くすジュンウォンの前に、ビンヒの影、内部情報漏洩の疑い、そしてクライマックスの舞台はソウルの巨大スタジアムへと・・・。
東西二極対立が成り立たなくなって以来、大掛かりでシリアスなスパイものというのは設定が難しくなっているわけで、その意味では背景的なリアルさがある作品。近くて遠い朝鮮半島でスパイ合戦は現実ですからね。この映画では北朝鮮の第8部隊というテロリスト集団が敵国と祖国と双方の指導者達への怒りに駆られて行動を起こしているところがミソ。冒頭から陰惨な訓練シーンがあったり、テロリストの言い分も語られるわけですが、基本的にはアクション娯楽恋愛映画という作りなので、それほどアクが強いというわけではありません。(この映画に込められた思いの深さを受けとめるには、日本人はあまりに平和ボケすぎるんだろうなあ・・・とは思ってしまいますが。)
脚本はもうちょっと整理した方がいいと思うし、銃撃戦は意味なく長くて緊張感が途切れてしまったり、「このカメラワークはもしかしてセットの粗をごまかしてます?」っていうところもあったりするのだけれど、結構楽しめたし、何よりクライマックスの主人公VS暗殺者ビンヒのストップショットが決まっていて、このシーンだけで入場料の元は取れたという気がしました。最初は相棒と顔の区別がつかなかった主人公ですが(^^;、抑えた表情の中に一瞬の激情が走ってGOOD!。こんな風に目だけで演技ができる比較的若めの女優俳優が日本に何人いるか? と考えると、暗澹たる気分になってきます。あの二人の演技ならエピローグはいらなかったのではないか、という気がしました。感傷的な英語の歌が流れるのは「西洋にあこがれる東洋人の図」が見えて、ちょっと興醒めだし。(私はその間、目の前の映像ではなく、ずーっと残像を反芻して余韻を味わっていたのですよ。)
ともあれ、見ることができてよかったです。日本映画がんばれ!ってちょっと言いたくなりますね。