『ワイルド・ワイルド・ウエスト』 WILD WILD WEST
世の中にはくだらないけれどつい笑ってしまう映画というのがあって、またそーいう笑いを必要とするメンタリティな状態というのもあって、かくてこういう映画に存在意義が生まれるのではないかと。
南北戦争直後のアメリカを舞台に、大統領の命を受けた二人の連邦捜査官が、南軍出身のマッドサイエンティスト、ドクター・ラブレス(ケネス・ブラナー)の野望を打ち砕こうと奮闘するお話。連邦捜査官のジム・ウエスト(ウィル・スミス)は猪突猛進型、対するコンビの片割れアーティマス・ゴードン(ケヴィン・クライン)は発明マニアのインテリ派。二人の掛け合い漫才はばかばかしくもおかしいです。ゴードンの珍発明品の数々とともに、とりわけ前半、かなり受けました。しかしながら、全編通して”お約束”で成り立っているストーリーですが、それにしても後半はもうちょっとなんとかならなかったんでしょうか。タランチュラ・ロボットが動くシーンで「おお、よく動く!」と楽しめるだけで、ドクター・ラブレスとの対決シーンはいまひとつ盛り上がりません。”お約束”なら”お約束”らしく、かっこよさがないと・・・。ポスターのケヴィン・クラインからはもう少しシニカルなキャラクターを期待していたのですが、今一つスマートさに欠けるところが残念。ラブレスも(愛はなくていいけど)品がないのは悪役としておもしろみに欠けます。
よかれあしかれアメリカ人によるアメリカ映画なのかな。(例えるなら関ケ原の合戦直後の時代劇パロディのようなものだし。)スチームパンクという点では、私自身はメカ的なおもしろさよりはロンドンと結び付いたイメージの方が強いので、「広大な大地よ!」的な西武劇スチームパンクになるとそれほど思い入れを感じられなかったりします。
まあ”壮大な無駄”と言われてもあながち間違いとは言えないかも知れませんが、世の中もっとつまらない映画はたくさんあるし、とりあえず「笑いは百薬の長」。映画を見る前にガンガンしていた私の頭痛は収まりましたのでよしとします。
『マトリックス』 THE MATRIX
ブラボー!
と、歓声をあげたくなりました。様々なエッセンスを結晶させ、ヲタク心をくすぐりながらかつ一般受けもするこの傑作の誕生を素直に喜びたいですね。「サイバー物で、カンフーアクション物、主演はキアヌ・リーブス」と聞いて、実はそれほど期待していなかったのですが、どうしてどうして堂々たる仕上がり。
表の顔は一流企業のコンピュータ・プログラマー、裏の顔はネオ(キアヌ・リーブス)と呼ばれるハッカー。裏稼業が発覚し秘密諜報機関に捕えられたネオは謎の女トリニティ(キャリー=アン・モス)に助けられる。「マトリックスとは何か?」その疑問に導かれて、ネオはモーファイス(ローレンス・フィッシュバーン)と名乗る地下組織のリーダーに会い、この世界の”真実”を知ることになる・・・。
『JM』の失敗に象徴されるような映像化されたサイバーパンクの”ダサさ”を、発想の転換によって”かっこよく”見せる仕掛けが実にすばらしい。設定世界の約束事がシンプルながらも上手くつじつまが合っていて、映像的にも非常にわかりやすいです。(このあたりがSFファン以外にも受け入れやすい点でしょう。)主人公がワイヤー釣りカンフーアクションをしてもOKな”説明”がちゃんとあり、しかも闇雲に何でもできるというわけではなく、そのなりのプロセスを経ないといけない所が単なる何でもありのヒーローアクション物と一線を画していて好感がもてます。
こういったしっかりした骨組みの上に立った怒涛のアクションシーンは魅せます。確かに大友克洋・押井守作品はじめ日本のアニメファンにはおなじみな構図があちこちに出てきますが、何といっても、これ実写ですからね。様々なVFX(ビジュアル・エフェクト)が違和感なくかつ安っぽく見えずにきれいに映像に溶け込んでいるのは、技術とそれを使いこなす人々のセンスの勝利でしょう。ただ迫力があればいい、というのではない。むしろ様式美を十分意識しながら、”ブレット・タイム”(弾丸の飛ぶ速度に流れる時間)と呼ばれる超高速度撮影風のアクションシーンをちりばめた構成が良くできています。
ブラックに身を包んだネオとトリニティが敵陣にのりこんでいくシーンのほれぼれすること!
もちろん最新技術だけでなく、演じる生身の人間側も4カ月のトレーニングを受けスタントシーンも自らこなしているとか。体重を絞って精悍な姿を披露したキアヌ、そして、とりわけトリニティ役のキャリー=アンのエレガント&クールビューティな存在感が絶品。
ネーミングやキーワードにギリシア神話、聖書、『不思議の国のアリス』等がでてきて、シンボリックなイメージを膨らませるようなネタも適度に蒔かれています。『スター・ウォーズ』、『2001年宇宙の旅』、『ターミネーター』等おなじみSF映画を彷彿させるシーンも当然有り。
大満足な出来ですが、「パート2」「パート3」の製作が予定されているというのが期待半分不安半分でしょうか。「この世界は実は・・・」という種明かしのインパクトがこの映画のおもしろさに大きな役割を果たしており、また余分な説明せずに終わっているが故に穴が見えにくいという気もするので、果たして次作がこれを越える出来となるかどうか・・・「エイリアン」シリーズの轍をふまないことを切に祈ります。
ともあれ、1999年を彩る作品としては、『エピソード1』以上に要チェックでしょう!!
『エリザベス』
ELIZABETH
16C半ば、新教徒と旧教徒に分裂し、諸外国の争いがからんだ権力闘争に揺れるイングランド。
ヘンリー8世の愛人の娘であるエリザベスが、ロンドン塔での幽閉、義姉メアリー女王の死による女王就任、そして周り中敵に囲まれながらの宮廷闘争の果てに、<ヴァージン・クイーン>となるまでの物語。
陰謀、暗殺、恋、裏切り・・・と予告編はこの上なくおもしろそうだったのですが、うーん、「大絶賛!」とまでいかなかったのは、歴史のおさらいをしていかなかったせいかも。イギリス人には”常識”なのだろうと思うのですが、歴史的背景の説明がほとんどないままに物語が進んでいくのですね。年月の経過や、系図、人物関係がわかりにくく(その上登場人物の見分けがつきにくい)、「???」と気をとられて、途中物語に集中できなかったところが残念です。
エリザベス役のケイト・ブランシェットの演技は見事。恐れ、哀しみ、喜び、怒り、時に感情を爆発させながら細やかな心理描写を丹念に表現し、ラストで、能面のように白塗に感情を封じ込めた肖像画そのままの<ヴァージン・クイーン>を見せてくれます。豪奢な衣装(これだけでも見る価値有り)に負けない存在感ですね。戴冠式、国教統一を賭しての議会との対決、そしてラストと切り取られた各シーンは圧巻です。
女王の警護及び秘密情報部ヘッドとして暗躍するウォルシンガムを演じるのは『シャイン』のジェフリー・ラッシュ。謎めいた役柄を味のある演技で見せてくれます。『恋におちたシェイクスピア』のジョセフ・ファインズが演じた、エリザベスの恋人ロバート・ダドリーは、どーいうわけかいまひとつ魅力に欠け・・・(;_;)。ジョセフ・ファインズにお貴族さまは似合わないのかしらん。(『恋におちた・・・』とまったく同じシチュエーションにはまりこむ所で笑ってしまうのはご愛嬌(^^;。)
全体的に閉塞感が感じられたのですが、これはエリザベスの孤立感や、当時のヨーロッパ大陸の中心から離れた辺境国イギリスの孤立感をあらわしているのでしょうか。この後のスペインの無敵艦隊を破る強国にのし上がる時代の物語も見たいなあと思うことしきり。
これだけ密度のある題材なら、もう少しボリュームのある作りにしてもよかったのではという気がします。カプール監督の「2時間ではその時代と物語のスピリットを描くことしか出来ない」というのはよくわかりますが、スコットランドの戦場、あやしい人影(バラード)が宮廷に登場するシーンなどなど、それぞれが単独の雰囲気を出すだけに終わってしまって、全体にうまく絡み合わないところがもったいないなあと。緊張感をもたせながら、かつ観客に見えないシーンまでも想像する余裕をもたせることは非常に難しい綱渡りだと思いますが、これだけ重厚感のある映画だと期待するものも大きいので。
映画の(原作でない)ノベライズは、たいてい映像を見た後に読むとかったるくなるので読まないのですが、今回は読んでみて正解。人物背景や映画では描かれなかった事件はじめエリザベスが衣装を選ぶ際の心理といった細かい描写もでてきて説得力がありました。ケイト・ブランシェットの表情を思い出しながら読んでいて、ラストにはじーんと込み上げるものがありました。もう一回映画を見ると見落としたものが見えてくるかもしれません。
*参考
- ○”ELIZABETH”by Tom McGregor, BOXTREE/『エリザベス』トム・マクレガー 新潮文庫:
- 映画の脚本を元にしたノベライズ。
- ○『エリザベスとエセックス〜王冠と恋〜』リットン・ストレイチー 中公文庫:
- エリザベス朝後期、女王の寵愛を受けたエセックス伯(ロバート・ダドリーの義息子)を中心とした物語。エリザベスという人物に対する著者の”見方”が一貫した骨組みになっていて、生き生きとした文章がおもしろいです。エリザベスを苦悩する一人の人間として描き出しているところは映画『エルザベス』の視点と重なります。
- ○The Life And Times Of Queen ElizabethI:
- 英語のサイトですが、ウェールズで歴史の研究をしている方が作成していて、エリザベスの生涯および歴史的背景について要領よくまとまっています。「エリザベスに関する逸話は本当?」というTrue or False Qestionのコーナーもなかなかおもしろいです。リンクも充実。
『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』
STAR WARS EPISODE I / THE PHANTOM MENACE
非常におもしろかったし、迫力はあったし、楽しめました。もう一回くらいは劇場でみてもいいかな。
ただ、いうなれば、遊園地のアトラクションで「あ〜おもしろかった。もう一回乗ろうよ〜」という感覚に近いです。何も考えずに楽しめる超一級エンターテイメント。
ストーリーは言うまでもなく、『スター・ウォーズ』三部作(エピソード4〜6)からさかのぼり、後にダースベイダーとなるアナキン・スカイウォーカーの少年時代のお話。侵略を受けた惑星ナブーの女王アミダラをジェダイ騎士が助けるというエピソードの中に、アナキンがジェダイ騎士として見い出される出会いが組み込まれています。
ルネッサンス風の都で脱走劇があるかと思うと、森の奥の池の底に水中都市が現れ、海底二万マイルばりの冒険劇あり。辺境の砂漠ではアナキンが疾走するポッドレース、緑の平原では原住民とドロイド軍の”合戦”、そして宇宙空間でのスターファイターのバトルもばっちり。もちろん、ジェダイ騎士のライトセーバー・チャンバラだって見せ場はてんこ盛り。よくぞここまでつめこんだものです。
念入りに微に細に設定して作り上げたという感じの映像で、時間とお金と熱意を注ぎ込んだという点はひしひしと伝わってきます。でも、なんだかワンシーン、ワンシーンが完璧に切り取りとられていて、そこからの拡がりが感じられない気がするのは、私の想像力が退化しているのでしょうか? もちろん、ストーリー的には、「アナキンがどうしてダースベイダーになったのか?」という肝心かなめな物語はまだ語られていないので、先行きはとても気になりますが。
役者陣はそれなりの出来。アナキン役の子役ジェイク・ロイドは好演ですね。オビ=ワンを演じるユアン・マクレガーはこのところ個人的にも注目株で、『トレインスポッティング』、『ベルベット・ゴールドマイン』他、様々な役をきっちりこなすところを見ると、幅のある役者かもしれないなあと。「めざせ、ハリソン・フォード!」と成長を期待したいところです。アミダラ女王を演じるのは、”『レオン』のイメージはもはや伝説”のナタリー・ポートマン。演技はいいのですが、あのバレバレの演出や着せ変え人形化がやや興醒めでした。不気味な悪役ダース・モールはさすがに動きが洗練されています。
この夏、必見の映画。(ただし、”感動”は期待しないこと)
『ポケットモンスター 幻のポケモン・ルギア爆誕』
ポケットモンスター劇場版第二弾。
世界中の珍しいものを集めているコレクター、ジラルダンは、伝説のポケモンに目をつける。オレンジ諸島に住む「ファイヤー」「サンダー」「フリーザー」を捕え、その後に現れるという海の神「ルギア」を手に入れようとする。ところが、炎、雷、氷という生命の源を司るポケモンが捕えられることにより、世界中に異常気象が起きる。そんな最中、アーシア島に辿り着いたサトシたちは、島の伝説を聞かされ、サトシは「優れたる操り人」としてポケモンたちの怒りを鎮める役割を担うことになる。
どうも映像に凝った分、脚本に精彩を欠いている印象でした。
ポケモン同士の空中戦がやたら長くて、ストーリー展開がとまってしまうし、サトシたちのポケモン達もうまく生かされていない感じ。もっとも、『天空の城ラピュタ』か『キングギドラ』か、いやいや『フィフス・エレメント』だ、などと様々な映画を彷彿させるシーン多数で、ニヤニヤしながら見ていると退屈はしませんが。やっぱり一番おもしろかったのは敵役ジラルダンでしょう。鹿賀丈史のくせのあるちょっとニヒルな声がいいですね。途中忘れ去られたかのごとき展開にもかかわらず、しっかり”月をバックに廃墟でポーズ”という再登場をはたした上、”懲りない奴”というキャラクターぶりもみせつけてくれますし。
道徳的路線を押さえた上で、あえてちょっとだけはずすところは、”大きなお友達”をもおもしろがらせるところかもしれません。最後のサトシのお母さんのせりふは絶妙。
というわけで、『ミュウツーの逆襲』ほどの感銘はありませんが、まあそこそこ楽しめる出来ではあります。(
しかし、安室奈美恵のエンディング・テーマは浮いていた・・・。)
p.s.
実は非常に笑えたのは併映の『ピカチュウたんけんたい』だったりします。例によってストーリーがあってないような単純なお話ですが、ディズニー風だったりインディ・ジョーンズ風だったり、トトロ風だったりと、見ていて実におかしい。ポケモンって何でもありな演出でもポケモンなんだ、としみじみ感心しました(笑)。
『フェアリーテイル』 FAIRY TALE / a true story
とてもすてきな映画をみました。忘れたくない思いをいつでも思いだせるように映像に残してくれた、そんな風に思える作品です。
第一次大戦下のイギリス。父が戦地で行方不明となったフランシスは、ヨークシャーのいとこエルシーの家にあずけられる。二人は秘密の遊び場の小川で妖精に出会う。大人たちは二人の話を信じないが、二人が撮った写真には妖精の姿が写っていた。やがて写真はコナン・ドイルの手に渡り、世界中から注目をあびることになるが・・・。
「コティングリー妖精事件」を題材に、虚実おりまぜ、美しい英国風景をバックに、ピュアな少女たちと彼女らをとりまく大人たちの騒動を、仰々しさのない自然な物語に仕立て上げています。世紀の「脱出王」フーディーニのマジックシーンが効果的に使われ、また一方で、エルシーの兄を亡くしたショックから立ち直れない母、家族を守ろうとする父という家族の物語があり、外の世界と身近な世界とがバランスよく描かれています。
作品をもりあげる背景、アイテムもすみずみまで行き届いた演出。木漏れ日のさしこむ小川、そよ風にゆらぐ木の葉、手作りの”妖精の家”、素朴でシックな調度品、あこがれの古きゆかしき少女の服装・・・等々、見ているだけで満たされる気分になる美しい映像です。妖精が飛びまわるシーンも、そこだけ周囲から浮くことなく、うまく撮影されています。妖精の羽の動きが羽虫のように見えるところは好き嫌いがわかれるでしょうが、私は魔法のように羽が動かずに移動する動きより自然に見えて、この映画にはあっているなあと思いました。
二人の美少女のきらめくばかりの純真な演技を支えるのが、コナン・ドイル演じるピーター・オトゥールとマジシャン、フーディーニ演じるハーヴェイ・カイテル。とりわけ、ハーヴェイ・カイテルは偽物を本物と信じさせるマジシャンであり、妖精を否定しながら、暖かい目で少女たちを見守るという象徴的な役どころをにくいほどの名演で全体を引き締めています。
成長すること、大人になることは、夢を捨てることではなくて、夢を忘れずに見える世界を広げることであってほしい・・・。だから、「信じるか、信じないか」「本物か、偽物か」という二者択一よりも、「信じたい」という気持ちの方が私にとっては大切な気がします。フーディーニの言葉や少女たちをたずねてきた負傷した中尉の笑顔に、そんなことを感じていました。
実際の「コティングリー妖精事件」については、この映画の原案となったジョー・クーパーの『コティングリー妖精事件』(朝日新聞社)に詳細が語られています。
*おまけ:映画をすでにご覧になった方向けに若干の補足。(ネタバレありなので要注意)
『奇蹟の輝き』 WHAT DREAMS MAY COME
「死後の世界を描いた・・・」と言われると、ちょっとひいてしまいがちですが、これはなかなか良い出来ばえ。
医師のクリスは旅行中にアニーと出会い結婚し、幸せな生活を送っていたが、4年前に二人の子供を事故で亡くし、クリス自身も交通事故にあい死んでしまう。クリスが目覚めるとそこは画家のアニーが描いた風景画に似た美しい世界、”天国”だった。一方、残されたアニーは孤独に耐えかね自ら命を断つ。自殺者は”地獄”に行かなければならず、アニーとは二度と会えないと知ったクリスは彼女を探しに地獄への旅に出る。
なにをおいても一見の価値ありと思うのが映像美術。ウォード監督が“僕らは天国と地獄の全体像を、1シリーズの連作絵画として描くことにした。極めて主観的なヴィジョンの絵画シリーズだ”と述べているように、見事なイメージのヴィジュアル化に成功しています。例えば、クリスが”天国”で目覚めるシーンでは、モネの絵のような花畑はただの背景ではなく、絵画そのものに入り込んでしまったように油彩の花や草が動きだします。またドイツ・ロマン派のカスパール・ダヴィッド・フリードリヒ、英国の風景画家ターナー、オランダの幻想画家ヒエロニムス・ボッシュなどの作品世界も登場します。アニーが描く絵とクリスの世界が連動して変容するシーンは圧巻でしたし、その他の天国や地獄のシーンで、絵的にあるいは古典的イメージとしてなじみがある世界が、目の前に出現し「動く!」という感動がありました。
ストーリー的には単純な話ですが、華麗な映像とともに、ストーリー構成がうまいです。(リチャード・マシスン*の原作を『レインマン』のロン・バスが脚本化。)死後の世界の話に過去のシーンを挿入して、親子、夫婦、といった現実味のある人間の物語が語られています。私はラストよりも、子供たちとクリス、アニーとクリスのそれぞれのエピソードにぐっときました。クリスを演じるロビン・ウィリアムス、人間味あふれるキャラクターにはぴったりですね。
よく考えると、押しつけられる”天国”もいやだけれど、個々人が勝手につくりだす”天国”っていうのも、どうかな、という感じはしますが、まあ、結局のところ死後の世界より現世に重きをおいた話なので、世界観というよりは小道具の一つとしてとらえればいいのかなあという気がします。
ともあれ、映像のすばらしさだけをとっても幻想文学好きな方は必見でしょうし、ストーリーを含めた作品としてもなかなか感動的な作品だと思います。『ゴースト ニューヨークの幻』を引き合いにだすのはあまりに表層的だと思いますが、『奇蹟の輝き』はより深みがあって私は好きですね。
*リチャード・マシスン:SF作家であり、「ミステリー・ゾーン」「ヒッチコック劇場」「スター・トレック」などの脚本家としても活躍。マシスン原作の映画には、『縮みゆく人間』、『地球最後の男』、『ヘルハウス』、『ある日どこかで』などがある。
『恋におちたシェイクスピア』 SHAKESPEARE IN LOVE
今年度アカデミー賞で最優秀作品賞他、主要7部門独占受賞という話題作。
興味本位で見てみましたが、これが期待以上に当たりで、約2時間作品世界にひたって大いに楽しめました。
ストーリーは、簡単に言うと、スランプに陥った人気劇作家シェイクスピアが、ミューズ(詩の女神)に出会い恋をし、新作「ロミオとジュリエット」を作り上げるまでのエピソード。シェイクスピアのミューズとなるのは、グウィネス・パルトロウ演じる美女ヴァイオラ。芝居好きな裕福な商人の娘で、変装しトマス・ケントと名乗ってシェイクスピアの新作舞台のオーデションを受ける。二人は運命的な恋に落ちるが、ヴァイオラには親が決めた貴族の婚約者がいた。人目を忍ぶ恋と劇場での芝居の準備シーンがからみあい、ヴァイオラの婚礼の日と舞台初日に向けて物語は展開していく。
この作品のおもしろさはなんといっても脚本の妙です。(脚本担当の一人トム・ストッパードは『未来世紀ブラジル』の脚本にも携わっていると知ってびっくり。)ヴァイオラという現代的な魅力あふれるキャタクラーを用い、架空の物語を白々しさを感じさせずに観客を楽しませます。シェイクスピアの愛のささやきが芝居のせりふとなり、それを稽古場でロミオを演じるヴァイオラが語るという、まるで音楽のように流れる作りが独特で、見ていて非常に心地好いです。そして、「果たしてどうなるのだろう?」という緊張感を最後までもたせる展開。大団円のシチュエーションのうそっぽさは、せりふの重みできちんと昇華させている印象でした。
ラブ・ストーリーに奥行きを与えているヴァイオラの魅力は、夢見がちのお嬢様が夢を追い、夢の一部である恋をし、やがて現実と自分自身に直面した上で、自分の足で立って人生を歩んでいこうとする様です。ヴァイオラの心情、変化をさまざまな表情でグウィネス・パルトロウが見事に演じています。
そして、シェイクスピア役のジョセフ・ファインズ。これはもう個人的な好みですが、あのするどいまなざしにはぞっこん惚れました。舞台経験が豊富なせいか、キメのポーズがきちんときまるところが見ていて気持ちがいいです。今秋公開予定の『エリザベス』でも、エリザベスの恋人役で出演というので大いに楽しみ。
その他の役者陣もなかなか豪華。興行師ヘンズローに『シャイン』のジェフィリー・ラッシュ。『アナザー・カントリー』のルパート・エヴァレットとコリン・ファースが、それぞれ、シェイクスピアのライバル作家マーローとヴァイオラの婚約者ウェセックス卿を演じています。ルパート・エヴァレットは今でも独特な雰囲気で、一方ルパートとは対照的な体型に年月を感じさせるコリン・ファースでした。エリザベス女王役のジュディ・デンチは貫禄ですね。
誰にでもおすすめできる一作。
『ベルベット・ゴールドマイン』 VELVET GOLDMINE
見終わって、思わず「このまま夜通しひたっていたい」と思ってしまいました。
ゴージャスでチープでグラマラスなアダ華のような存在を、かくも華麗な映像に仕立て上げてしまうとは・・・。妖しい魅力に満ちた映像美あふれるこの作品はそれだけに終わらない奥深さをもっています。
1970年代初期、ビートルズを失ったロンドンで一大センセーショナルを引き起こしたグラム・ロック。その頂点に立ったスーパー・スター、ブライアン・スレイドが1974年ステージ上で射殺される。しかし、その事件は狂言であったことが明らかになり、ブライアンの人気は急降下、やがて彼は音楽界から姿を消す。10年後、かつてブライアンを崇拝していた新聞記者アーサーは、特集記事の取材を命じられ、過去の事件の真相とブライアンの消息を追うことになる。元マネジャー、セシルや、元妻マンディの追想に自らの過去と重ねながら調査をすすめるアーサーの前に一つの”真実”が浮かび上がる・・・。
物語は実は三重構造で、デビット・ボウイとイギー・ポップを彷彿させるブライアン・スレイドとカート・ワイルド、二人のミュージッシャンの出会いと切ない別れを中心とする物語、ブライアンの物語を追うアーサー自身の過去と自らを見い出す物語、そして、それらを包み込むようにオスカー・ワイルドの世界が登場します。観客は時代を越え行き来する映像を、時に行間を読むように物語として再構成することを要求されるので、若干わかりづらい面もあるかもしれません。どちらかというと、グラム・ロックについて知らなくてもOKですが、オスカー・ワイルドについて知らないと映画を楽しむ上では若干つらいかもしれません。なにせ、冒頭からオスカー・ワイルド生誕時のあっけにとられる演出が飛び出します。(「そうそう、これは、かつてデビット・ボウイが宇宙から来た異星人ジギーを演じたグラム・ロックを描いた映画なんだよね」と頭をよぎるまで、一瞬茫然・・・。)オスカー・ワイルドが持っていた伝説のエメラルドが受け継がれていくという、時代の異端児の精神が脈脈と伝えられていく様をあらわした演出はにくいです。因習に捕われぬ孤高の存在にして、愛と美の殉教者たるオスカー・ワイルド。映画の中で”男色裁判”のパロディーが描かれるように、同性愛が一つの共通項ではありますが、そこには魂の刻印、「自分のイメージを描け」のラストのせりふに凝縮される、自己の存在と”求めるべきもの”が語られているような気がします。
ブライアン役にジョナサン・リース・マイヤーズ、カート役にユアン・マクレガーと、今をときめくイギリス映画界の若手スターの起用は大当たり。かわいらしい顔だちに線の細いしなやかな四肢のマイヤーズ、野生味あふれるノーコントロールな演技がまたすごいマクレガー。二人ともライブ・シーンは自前の歌を披露していますが、なかなかどうして大健闘。アーサー役のクリスチャン・ベールはなんと『太陽の帝国』の子役だったというからびっくりですが、内気そうで秘めたパッションを持つ役柄を、ブライアン&カートコンビの華やかな「動」に対する「静」の演技で好演しています。
憧れは虚構の中にしか存在しない・・・。
たとえばロック・スターへの憧れというように、憧れは実体とは関係なく自分の想像したイメージに他ならないものですが、では虚構は意味がないかというとそんなことはなくて、おそらくそれなくしては生きていけない。この映画のすばらしさは、なにより時空を越える体験をさせてくれること。80年代にデビット・ボウイに出会った私にとっては、グラム・ロックは当時すでに「憧れ」であった時代をさかのぼった自分への郷愁でもあるわけですが、この映画の「憧れ」の虚構世界は過去とオーバーラップしながらも、郷愁を遥かに越え、異なる一つの世界を体験させてくれます。
ともあれ音楽と映像に心ゆくまで酔いしれるこの作品、「最大音響で語られるべき物語 TO BE PLAYED AT MAXIMUM VOLUME」は、できればぜひ映画館でご覧になることをお薦めします。
『ガメラ3・邪神<イリス>覚醒』
何を期待してこの映画を見るのか?
それによって、評価がわかれる映画かもしれません。
私自身は特撮怪獣ものに対する思い入れがあまりないので、「こだわり」も「大きな期待」もない分、失望感を味わうこともないとも言えるかも。
「私は、ガメラを許さない」
というセンセーショナルなキャッチフレーズで宣伝されていますが、今回は4年前ガメラとギャオスの戦闘に巻き込まれて両親を失った少女・比良坂綾奈が登場します。奈良の親戚の家で暮らす彼女は、神獣“柳星張”が眠ると伝えられる村の祠で奇妙な卵を発見。卵からかえった生物を<イリス>と名付けて密かに育て、ガメラへの復讐を託そうとします。
内閣情報調査室のあやしい女性・朝倉美都や推測統計学者で天才ゲーム作家の倉田真也といったニューキャラがでてきますが、アクが強いばかりで物語に上手く生かされていないのが残念です。結局、鳥類学者の長峰真弓と「私はガメラを信じる」草薙浅黄がいれば物語は成り立つと。
あれこれこねまわした”理屈”も今いち。『ガメラ』1くらいにとどめておくのがシンプルで美しいと思うのですが。まあそのあたり、映像で説明することの限界であるのかもしれません。イリス自体の設定には興味ひかれました。イリスに完全融合してしまったらどうなっていたか、とか考えるとわくわくします。(でも、あのイリスのどっかでみたことあるようなデザインは気に入らないです。太っちゃうし(笑)。)
逆に映像のおもしろさという点では、今回の「壊れ方」は断トツです。渋谷と京都が舞台となりますが、すごい! すごい!! 感動ものです。とりわけ自分がよく知っている場所は細部まで凝っているのがよくわかっておもしろいですね。ただ、たくさんの人が犠牲になるというリアリティ描写をつけたといっても、ラストあれだけめちゃくちゃやって主要人物がみな生き残るというのは、お約束とはいえ物語として納得いかない気分になります。(それにしても京都駅って頑丈・・・)
ラストのガメラはむちゃくちゃかっこいいです。こんなヒーローしちゃうガメラが見られるなんて。「人間のため」かどうかなんてどうでもよくて、「敵がいるから戦う」、それでいいじゃないかと思ってしまった私(^^;)。終り方としては、「これで終り」と観客に放り投げるならそれはそれであっぱれなんですが、「終わらせる気はないのね」と思ってしまうと若干興醒めかな、という感じ。
一人で見たい映画ではありませんが、見た後に友人と与太話で盛り上がるにはネタが豊富で楽しめます。投資分は十分回収できました。