『星の砦』柴田勝茂 理論社
あまり児童文学はフォローしていないので、この方の作品は初めて読みました。
いや〜、こういうストレートな話ではひさびさにぐらっときた感じ。
マンモス団地「新東京タウン」の中の「タウン第一街区小学校」に新しく着任した校長と教頭は進学第一主義。六年生のクラスを受験志望別に分け、実力テストの結果を成績順に掲示、クラブ活動もおけいこごとも禁止する。受験しない公立志望クラス、6年5組に集まった個性豊かな生徒たちは、そんな学校の方針に疑問をもち、自分たちのやりたいことを手に入れようと奮闘する。新しくきた担任の先生という味方を得て、6年生のクラスの中で唯一5組だけが学校祭への参加を決めるが、予想外の妨害が待ち受けている・・・。
受験戦争って、今やヒートアップしているのは小学生どころか「お受験」組なんでしょうが。
前半は、児童文学特有のストレートさが汚れた大人としてはちょっと気恥ずかしかったのですが、それでもいつのまにか物語に引き込まれてしまい、運動会の歓声や合唱コンクールの歌声が明瞭に聞こえてくるな気がしました。そして、クライマックスでいきなりSFな世界に放り込まれるのですが、これが実に上手い。多くを語らず、それでいて言わんとするポイントはきっちり伝わってきます。栗本薫の『レダ』(ハヤカワ文庫JA)のエッセンスが凝縮されているような感じ。
ラストでじわっと泣けましたが、後に残るのは感傷ではなく、力強いメッセージ。ひねた大人が読んでも白々しさが感じられないのはすごいです。
例えばこの作品に小学校6年生くらいの時に出会ったら後々まで引きずる作品ではないかと思います。
そして、ぜひ大人にも読んでもらいたい作品ですね。
『パロの苦悶』(グイン・サーガ72巻)栗本薫 ハヤカワ文庫
取り立てて感想を書くほどではないなあと、HP開設以来ここではグイン・サーガは取り上げていませんでしたが、そもそもパソ通にはまったきっかけがグイン・サーガだったりと(^^;)、まぎれもないファンであり、今でも律儀に読み続けています。
で、新刊72巻は「ナリスさまの独壇場再び」なのです\(^o^)/。
あれだけ痛め付けられて健康を害し今にも死にそうって感じのナリスでしたが、しぶとい、しぶとい(笑)。
パロの都で叛乱だ〜!ってなわけで、キタイの竜王にのっとられたレムス国王に対しナリスはついに挙兵。リンダもヴァレリウスも王宮で囚われの身となり消息を断つ。ランズベール城にたてこもるナリスに勝機はあるのか!?
ナリスさま、あなたは、リンダもヴァレリウスもアムブラの学生もパロの市民も、全て犠牲にして己の道を歩んでくださればいいのですよ!!!
と、叫んでしまうのがナリスファンというものですが(笑)。(ヴァレちゃんごときで動揺しないで〜)
しかし、待望のヴァレリウス拷問シーンがしっかりでてきて、いや〜、作者に愛されてますなあ>ナリス&ヴァレ(^^;。
どんなに優れていても「所詮人なり」のナリスが次元レベルの違うヤンダル・ゾッグと渡り合えてしまう理由が、古代機械との関係でそれなりに説明されています。もっとも古代機械の謎についての説明は進展なのか修正なのかよくわからないけれど(^^;。
あとがきを読むと100巻完結の見込みはまずなくなったようですが、ナリスさまはさて何巻までご存命かしらん。
ともあれ、しばらくは楽しめそう。
『日蝕』平野啓一郎 新潮社
そもそも読もうと思ったきっかけが、「佐藤亜紀が『鏡の影』との相似性について話題にしたから」なので、当然読み始める前からバイアスかかっています。
それでも、私にとっては、似ているか、似ていないかが問題なのではなく、自分にとっておもしろいか、おもしろくないかが判断基準であり、少なくとも途中で投げださずに最後まで読み終えられるくらいにはおもしろいし、文章も下手ではないです。
ただ、なんというか擬古文体で上手くコーティングされているけれど、底が浅い感じがするというか、魂を揺さぶられるものはなかったなあと。私には異端に触れた僧侶の苦悩(とどこかの宣伝文句に書いてあった記憶が)も世界の真理に触れた一瞬の重みもうまく伝わってこなかった気がします。
「エヴァンゲリオン」や「ベルセルク」との相似性も話題になっているらしいのですが、まあ、SFやらファンタジーやらをある程度の量読んでいる方には目新しくないストーリーとは言えます。もっとも、目新しさだけが感動の基準ではないのは当然ですが。
読んでいてちょっと首筋がかゆくなってきちゃうあたりは、若書きと思えばしょうがないのかもしれないけれど。でも、古代の異教哲学の研究を志す主人公が目的の村へ向かう道でなぜ南フランスで異端が広まったのか、と考えながら、「太陽の所為か」と独り言ち、おまけに道端の皓い蜘蛛をみて「ーそれは練稠せられた、白昼の眩暈であった。」という文章を目の辺たりにすると、ちょっとくらくらと・・・。20ページ余りそれなりに真剣に読んでいた私の緊張の糸がここでぷっつり切れてしまった気が。(それでも最後まで読ませるというのはそれなりに立派なストーリーテリングとは言えましょう。)
世の中もっと文章が下手な作品や価値のない本は巷にあふれているし、自分でおもしろいかおもしろくないか判断できない人が「○○賞」というマーケティング戦略に躍らされて「消費する」のだと思っているので、この作品に人様がどんな価値を置こうが、感動を覚えようが別に構いませんが、私にとっては取り立てて心に残るものがなかった作品かなと。
『悪童日記』『ふたりの証拠』『第三の嘘』
アゴタ・クリストフ 早川書房
佐藤亜紀の書評(『検察側の論告』)を読んで非常におもしろそうだったので、読んでみました。
いや〜、期待違わず、どんどん作品世界に引き込まれてしまい、3冊一気読みしてしまいました。
小説ってこんなにもおもしろく、奥深いものだったのかとあらためて実感する作品。
舞台は第二次世界大戦末期から戦後にかけてのハンガリーの国境付近の田舎町。オーストリアを併合していたドイツ軍が進駐し、やがて<解放軍>という名のソビエト軍の進駐をうける町。町のはずれに住む「魔女」と呼ばれる祖母の家に預けられた双子のしたたかな生活が淡々と綴られる。二人が書いた「作文」という形式の文章は、「あるがままの事物」を書くことをルールとし、漠然とした感情を表わす言葉を使うことを禁じている。すなわち「おばあちゃんは魔女に似ている」と書く代わりに「おばあちゃんは”魔女”と呼ばれている」と書くように。
二人はお互いに罵倒しあったりなぐりあったりして心身の苦痛を克服するために鍛練したりしながら、独特のモラルを持ち、大人を手玉にとって生き延びてゆく。
『悪童日記』のラストもなかなか衝撃的なラストですが、それ以上に『ふたりの証拠』の冒頭で物語設定がひっくり返される衝撃というのはすごいもので、先の書評であらかじめわかっていながらも、『悪童日記』で一旦脳裏に焼きついたイメージがくるりとかわされる所は非常にスリリングです。しかも、それが『第三の嘘』に至ってさらにひっくり返されるのですから、これはもう半端ではない。普通ならば、「くるぞくるぞ」と思っていれば効果半減、3冊一気に読んだら途中でだれたりワンパターンと思うところがあって然りですが、ところがどっこい緊張感が途切れません。一体何が本当で何が嘘なのか、虚実乱れて、くるくる翻弄されるおもしろさ。実に上手いです。これが処女作というのだからびっくりですね。
小説の醍醐味は書かれざる行間にこそある、というおもしろさを味わったことがある方にはぜひともおすすめ。ブラックペッパーのたっぷり効いたぴりっとした味付けはたまりません。『バルタザールの遍歴』『戦争の法』といった佐藤亜紀作品がお好きな方は間違いなく楽しめるはず。