99年6月



『クロノス・ジョウンターの伝説』梶尾真治 ソノラマ文庫NEXT  
 時を越える機械<<クロノス・ジョウンター>>をめぐる3篇の物語。テーマはずばり「時を越える愛」。
 タイムトラベルもののラブストーリーはたくさんありますが、マンネリに陥らず、あらたな感動を与えてくれる珠玉のストーリーです。

 <<クロノス・ジョウンター>>は住島重工からの出向者で構成されるP・フレックスで開発された「物質過去射出機」。過去へさかのぼることには成功したが、反作用として、引き戻される時に現時点ではなく大幅な未来へ跳ばされてしまう。
 各話の主人公たちは、<<クロノス・ジョウンター>>を知り、各々の目的のために反作用をかえりみずに時を跳ぶ。第一話の吹原和彦は愛する人を事故から守るため、第二話の布川輝良は解体される前の建築物を見るため、第三話の鈴谷樹里は少女時代に慕った人を不治の病から救うため。果たして歴史を変えることができるのか?  ぐいぐいと引き込まれるストーリーテリングに加えて、捻りのあるラスト。「また、やられたっ・・・」と思いながら、じーんと余韻を楽しむことができるのは読者冥利につきますね。

 本文庫のための書き下ろし、第三話は遊びアイテムがたくさんでてきます。ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」の登場には「狙い過ぎ」という感じがしなくもなかったのですが、どうしてどうして、キーワードの使い方はさすがに職人芸。泣かせます。

 時には、こういう「どうだ、まいったか」といわんばかりのラブストーリーにひたるのもいいものです。



『グッドラック 戦闘妖精・雪風』神林長平 早川書房  
 『戦闘妖精・雪風』(ハヤカワ文庫JA)の続編。
 30年前、超空間<通路>から地球に侵攻してきた謎の異星体ジャム。以来、地球防衛軍の主力機構FAF(フェアリイ空軍)は<通路>の反対側にあるフェアリイ星で防戦につとめている。パイロット深井零が属する<特殊戦>の任務は、戦闘情報を収集し必ず戻ってくること。たとえ味方を見捨てても。

 前作のラストで負傷した零は、肉体的な傷が癒えても精神的痛手から立ち直れず、覚醒しない。しかし、無人で任務についた雪風からの緊急の呼びかけにより零は目を覚す。
 ジャムにとって、人間よりも機械知性体の方がよりリアルな敵であり、ジャムVSコンピュータ群の戦いが水面化で展開しているのではないか、雪風には雪風なりの世界認識があるのではないか、と身をもって痛感した零は雪風をあたらな目で捉え直そうとする。
 戦闘を通じ、ジャムと機械知性体と人間が、互いに理解できない存在とのコミュニケーションを手探りのまますすめていく。その過程で、零と雪風が築き上げた人間と機械との特異な関係や、ジャムという存在へのおぼろげな手掛かりが浮かび上がってくる。そして、さまざまな思惑が入り乱れ、事態はジャムと特殊戦とFAFの戦いへと雪崩をうって展開する。

 新キャラクターとして、精神科医であり、特殊戦の環境にとまどいながらも、零と雪風ひいてはジャムの分析に一役かうフォス大尉、かつての零そっくりのパーソナリティをもつフライトオフィサー桂城少尉なども登場。特殊戦に君臨するクーリィ准将のパーソナリティ描写も興味深い。

 前作に比べ、技術的描写が突出することなく、思索的でスリリングな仕上がり。零と雪風のやりとりに息をのむもよし、ジャムと地球と人間の遥かな時を越えた関係に思いを馳せるもよし、ブッカー少佐やクーリィ准将の立場で対ジャム戦略を練るもよし。世の中に氾濫する書物の中で、これほど充実した楽しみを与えてくれる作品はそうそうあるものではない。

 感無量のラストでこみあげた思い・・・零&雪風は、15年前も今も変わらず、私にとって束縛されることなく飛翔するヒーローなのだと。

P.S.
 SFマガジン1999年7月号は「作家特集・神林長平」で、SFセミナーでのインタビューや作家論(by冬樹蛉)、全著作解題などが掲載されており、神林ファンは要チェック。



『ドラゴンファームのゆかいな仲間<下>』
久美沙織 プラニングハウス
 
 お待ちかね上巻に引き続き、下巻が刊行されました。
 シッポとビジューの3匹目の子供も無事生まれ、ささやかな幸福に身をひたすのも束の間。フュンフはキャシアス兄さんがガラの悪い連中に八百長レースを迫られているところを立ち聞いてしまう。なんとかしなくちゃと思いは焦るが、キャシアスの出立は近づく。そんなある日シッポとビジューの子供達がさわられてしまう。

 赤ちゃん竜誘拐犯に果敢に立ち向かうフュンフの大活躍、キャシアス兄さんの出場する熱気あふれる競竜レースと盛り上がるシーンが満載です。キャシアス兄さんの過去は予想以上に暗かったですが、それを聞いて「僕のせいだ」といじいじしないところがフュンフのいいところですね。わざとらしさや説教くささを感じさせずに、人生に対する前向きさを言い切るのは結構難しいものです。女の子に対してはほほえましいくらい不器用だけど(笑)。

 この作品世界は、キャラクター、ストーリー展開のおもしろさに加えて、おひさまのあたたかさを感じさせてくれるようなところがいいなあと思います。
 ようやっと”自覚”をもったフュンフのさらなる活躍を期待しつつ、第三部を待つことにいたしましょう。



『レクイエム』篠田節子 文藝春秋  
 篠田節子は長編と短編とどちらが得意な作家なのでしょうか?
 これまでは長編を読む機会が多く、長編の隙のない展開の上手さに感嘆していましたが、この短編集を読んで、いやいや篠田節子のおもしろさは短編にこそ凝縮されているのかもしれない、と思いました。なにより私が追いかけ続けている、日常から垣間見られる「異界」の物語がここにあるのですね。ここでの「異界」は現実から逃げ込める別天地ではなく、その風景の中でいままで見えていなかった姿に気づかされるという仕掛けになっています。短編にもかかわらず、どの作品も断片的な物語ではなく、登場人物の人生の重みがずしっとひびいてきて息苦しいほどです。

 死期の近づいた夫との故郷への旅を描く「彼岸の風景」は、重苦しい人間関係を突き抜ける透明感あふれる風景が印象的。「我が家になるはずだった」マンションの異界に閉じ込められる物語「コヨーテは月に落ちる」のラストには、「この作家はこういうのもありなのだ!」と思わずニヤリとしました。「コンクリートの巣」は幼児虐待を扱った、真綿で首を絞められるような怖さを感じさせる作品。現代社会のすきまの闇と、どんな闇よりも暗く深い家族の闇が描き出されています。「私が死んだら、自分の腕を一本、芋の根元に埋めてくれ」という大教団幹部だった伯父の遺言から戦時中の悲劇があらわとなる「レクイエム」は、いままでの作品から期待される篠田節子らしさが顕著にみられる作品かもしれません。

 なぜか私が一番印象に残ったのは「帰還兵の休日」でした。バブル崩壊後、凋落の一途をたどる住宅販売会社勤務の主人公・菅本は、川の中洲に住むホームレスの老女たちに出会い、月夜に身の上話を聞くことになる。幻想に踊っているのか、踊らされているのか。人間が拠り所にしている幻想は、愚かしくて切なく、美しくてやるせないもの。



『鉄道員 ぽっぽや』浅田次郎 集英社  
 たまたま、直木賞作家の短編集を続けて読みました。当たり前ですが、篠田節子と浅田次郎では同じようなモチーフを扱っても、まったく異なる作品になっているわけで、そのあたりの対比が意外とおもしろかったです。

 「あなたに起こる、やさしい奇蹟/100万人が泣いた直木賞受賞作」との帯の売り文句に苦笑しつつも、読んでみるとやはりそれなりにいい話だなあと。たてつづけに映画化されたのもうなづけます。
 浅田次郎の語り口調は、自然でおしつけがましさがないところがいいですね。文章の行間に登場人物が息づいている感じがします。作中にでてくるセルロイドのキューピー、かたことのラブレター、パナマ帽、といった小道具もしゃれています。やさしさに満ち、あくのないところがよさであると同時に、『レクイエム』を読んだ直後の私にとっては物足りなさを感じたところでもありますが。

 「鉄道員 ぽっぽや」や「ラブ・レター」には泣けなかった私が、不覚にもじーんときてしまったのは「オリヲン座からの招待状」。別居中の夫婦が故郷の場末の映画館オリオン座の最終興行を見にいく話ですが、戻れない過去、失われたもの、それらはけっして”無”ではないと信じたくなります。左遷転勤直前の商社マンが子供の頃行方知れずとなった父親の影を見る話、「角筈にて」も印象的。

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