『魔法の庭<2>天界の楽』
妹尾ゆふ子 プラニングハウス
北の大地に春をよぶため、氷姫イザモルドの庭をめざす妖魔の王シリエンとその道案内である南方のうたびとアストラ。うたびととしての禁忌をおかし、故国から追われるアストラに新たな追手が迫る。南方の呪師が放ったその追手は、名被せの術を用いた”影”だった。アストラが追われる理由を問うシリエン。アストラが出奔しなければならなかった過去の出来事とは・・・。
『魔法の庭<1>風人の唄』にひき続き楽しみにしていましたが、第二楽章は思いのほか力強くそして悲痛なさけびを伴うすばらしい調べで、我知らず身をのりだして聞きほれてしまいました。
「禁じられた北方の歌に焦がれて出奔した」という言葉の裏に、一体どんな背景があるのか、釈然としなかったアストラの過去が、今回一気に語られます。(また、それは同時にアストラが主人公であるゆえんが語られているともいえます。)「ただのうたびとではない」どころか、”唄のもつ力”を己に宿すことができる、類まれな能力をもつアストラ。読みながら「こんな見事な仕掛けがあったなんて、ずるいっ・・・」と思うほど、物語に説得力があるのは、やはり、うたのもつ力や周囲の人間関係の描写がしっかりした世界観に基づいて築きあげられているからだと思います。
祭りの夜の荒ぶる闇の御子の疾走感は理屈抜きで圧巻です。音楽に力が宿る瞬間があるように、文章に力が宿る瞬間というのも確かにあって、まさにこのシーンはそれですね。個人的には、とりはだがたつくらいの至福感で、極端なことを言えばこのシーンのためだけにでも、この作品が復刊され、読むことができたことに感謝したいくらいです。(もちろんそれだけではありませんが)
さて、主要な登場人物はほぼ出そろった感があり、いよいよ・・・というところで、「続く」になってしまいましたが、最終楽章を楽しみにしばし待つことにいたしましょう。
p.s.
シリエンって、しょせん人間とは相いれない”妖魔の王”でありながら、罵倒しながらアストラを助けてやるあたりに人間くささがでてきて、ちょっとかわいかったりします(^^;)。
『ドラゴンファームのゆかいな仲間<上>』
久美沙織 プラニングハウス
『ドラゴンファームはいつもにぎやか』の続編。
フュンフとディーディーがホルダ山から無事帰還してから3年の月日が流れています。デュレント家はすっかり立ち直り、いまやおしもおされぬネバルタハル一の乗用竜牧場に。マルトとシャーキーの婚礼が間近にせまり、シッポとビジューのこどもの誕生ももうすぐそこ。ぱっとしない見習4人組の面倒をおしつけられ、いささかうんざりしているフィンフの前に、ディーディーが不思議な魔楽師とキャシアス兄さんを引き連れて登場。なにやら不穏な予感が・・・。
すっかりお気に入りの「ドラゴンファーム」の世界に、また再会できてうれしいです。ちょっと成長したフュンフはますます愛すべきキャラクターになって、ついつい感情移入してしまいますね。父と兄の間で板挟みになってしまったり、ディーディーの行動に傷ついてしまったり、せっかく丹精こめて用意された結婚式用の衣装を・・・しちゃたり。キャシアス兄さんを前にしたシッポとの”会話”は、あまりにおかしくて笑いころげてしまいました。
前回名前だけしかでてこなかったキャシアス兄さんがいよいよ登場ですが、さすが、あの親にしてこの子ありというべきでしょうか(笑)。でも、彼の本当の活躍は、下巻を待たないといけないようですね。
シッポとビジューの子供がうまれるシーンには思わず感動。生まれたばかりの子竜が、翼をはばたかせるところでじーんとしてしまいます。イラストがまたたまらなくかわいくて。しかし、もう一個のたまごが心配で心配でたまりませんね。(やはり、事件は起きるのだろうか・・・?)
ああ、早く下巻が読みたい〜。
『プラネットハザード−惑星探査員帰還せず−』[上下]
ジェイムズ・アラン・ガードナー/ハヤカワ文庫SF
「ソウヤー的におもしろい。」
この作品に対する私の印象を一言でいうと、こうなります。
時は25世紀。
何が待ち受けているかわからない惑星へ出向き、数々の異文化とファースト・コンタクトを行う惑星探査要員は、非公式にECM、Expendable Crew Member(消耗品扱いの要員)と呼ばれる。宇宙軍の士気をおとさないために、危険をともなう惑星探査要員は「肉体的に魅力のない者」でなければならない、という理屈の下で生まれたECM。醜い、奇形のある、など瑕疵を持ちあわせて生まれた子のうち、有能で惑星探査要員となる資質を持ちあわせた人間は、簡単な手術や治療で直るはずの瑕疵をそのままにおかれ、惑星探査要員として育て上げられる。
顔に多きな紫のあざをもつヒロインは、ご老体のチー提督とともに帰還率ゼロの惑星メラクィンの調査を命ぜられる。帰還することを期待されていない任務で、いかに生き延びることができるのか。
とにかく先の予想がつきません。あんまりシリアスに構えて読むものではないし、かといって、万能な主人公とともに爽快にとばしていく話というのともちょっとちがう。何か変な世界・・・と思いながら、目が離せなくなるという感じ。後半は妙にシンプルな話になって、おめめぱちくり、「いやはや、なんとも」な予定調和な結末を迎えます。ところが、ラストのラストでもってはじめて私は心底ヒロインに感情移入してしまったわけで、う〜ん、やっぱりにくい作りかも。
矢印をクリックしていく電子本の雰囲気なのかどうかわかりませんが、小見出しが大量についていて、ぶつぶつ切ってあるのが最初はちょっと読み辛かったのですが、いったんテンポにのると逆に心地好かったり。
同作者の短編「人間の血液に蠢く蛇ーその実在に関する3つの聴聞会」がSFマガジン99年4月号に掲載されていますが、これを読んで、この作者は本当に「当り」かもしれないと思いました。タイトルはあんまりおもしろくなさそうなんですが(『プラネットハザード』もタイトルとしてはいまひとつ)、聖書に記述された人間の血液中に含まれる”蛇”をめぐり中世から現代にいたる3つの物語を描いた改変歴史もので、これがなかなかにおもしろいのです。
なにせ『プラネットハザード』が処女作ですから、先が楽しみかも。
『偶然の音楽』 ポール・オースター 新潮社
「それは誰にも覚えのある、何もないところから不意に生じるように思えるたまたまの出会いだった。」(本書p.3)
少し前に読んだ作品ですが、オースターの他の作品を一緒に紹介したかったため今回の感想アップとなりました。非常に気に入っている作家であり、中でもこの作品は雷に打たれ、”偶然の音楽”に出会ったかのような共振感を覚えた作品です。
妻に捨てられ、顔も覚えていない父親が残した遺産がころがりこみ、何か訳のわからない圧倒的な力に捉えられてしまったように、ナッシュは消防士をやめ、アメリカじゅう車を走らせて回った。そんな夏の終りのある朝に、袋叩きにあってふらついている若い男に出会う。ジャックポット(大当たり)というあだ名を持つジャック・ポッツィ。宝くじ長者とポーカーの大勝負をするはずだったというポッツィの話に、ナッシュは有り金をはたいて賭けることにする。勝負相手のフラワーとストーンの大邸宅を訪れた二人をまちうける数奇な運命とは・・・。
前半の一気に天まで駆け登るような盛り上がり、一転する後半の陰欝な展開。とりわけおもしろいのは後半の寓話的なストーリーです。シチュエーションからなんとなく村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が思い起こされました。もっとも、『偶然の音楽』はあくまで”現実”にとどまっている分不気味ですし、『世界の終り・・・』が全て自分=私に回帰してくる円環構造なのに対して、こちらはあくまで他者(外)と対峙している自分=ナッシュという対立構造ですが。
ふいをつかれるような展開、一つ一つの出来事や登場する事物が意味深げで、なぜ?とか 真実は? という主人公から見えない部分の答えは明示されないままに終わります。理由が明らかでなくても、それが及ぼす影響という観点からみれば、存在すること自体がすべてであるし、”真実”は悪意(誰かの悪意というよりは世界そのものが持つような)に満ちた世界において、それが何か?ということよりも、それを知りたいというエネルギーを生むことの方が重要なのかもしれません。そして、悪意にみちた世界は、一方で、調和のとれた音楽をつくりあげるような”偶然”に満ちているのです。
ネタバレをしないように書こうとすると、つい観念的な言葉を並べたくなりますが、なにはともあれナッシュとポッツィの波乱万丈の物語は、休むことなく読み進めずにはいられないおもしろさです。
*ポール・オースターの他の作品についてはこちらをご参照ください。