ポール・オースター Paul Auster




「私が語りたいのは予期しえぬことの存在、圧倒的な困惑に満ちた人生の経験。この瞬間から次の瞬間の間にも何が起こるかわからない。それまで抱いていた世界に対する確信が一瞬にして砕け散る。哲学的な言い方をすれば、偶発性の力ということ。私達の生は実のところ私たちのものではないんですよーーーそれは世界のものであって、それを意味づけようとする私たちの努力にもかかわらず、世界は私たちの理解を越えた一つの場なのです。」
(「オースターとの対話」〜『現代作家ガイド1 ポール・オースター』p.16より)

 極めて虚構的でありながら、リアルさを失わない不思議な作品群。繰り返しのモチーフがマンネリとならず、作品毎にそれぞれの味があります。オースターの作品は、謎が明かされないまま余韻を残すようなものが多いので、ダメな人にはダメでしょう。個人的には今のところ一番のお薦めは『偶然の音楽』です。ストーリーを追う上でとっつきやすく読みやすいので。(書かれている内容自体は易しいというわけではありませんが。)最近は映画にも進出しているので、映画からオースター作品に入るというのも一つの手ではあります。未訳作品の出版を心待ちすると同時に、今後どういった作品を展開していくのか非常に楽しみな作家です。また、ほとんどの作品を柴田元幸訳で楽しめることもうれしい限りですね。




『孤独の発明』 新潮文庫  The Invention of Solitude (1982)  
 第一部「見えない人間の肖像」はオースターが自分の父について語っています。第二部『記憶の書』は自伝的なエピソードをまじえて、様々な書物、様々な人々に対する考察。
 ”見えない父”の人生は孤立したじめじめとした世界であり、そのまた父(つまりオースターの祖父)の過去は陰惨としていて、読んでいて陰々滅々とした気分になってきて、読み通すのがつらかったです。ただし、けっして「つまらない」訳ではないのですね。後半の断片的な文章ともども、読み流すよりは、立ち止りながらでいいからじっくり読んで心の奥に沈殿させたいようなフレーズの塊です。
 「人は皆孤独なもの」なんてよく聞くせりふに重みを持たせることは、実は簡単なことではなくて、たとえば、「ニューヨーク三部作」のようなリアルさをもって語られる作品は、『孤独の発明』に書かれるようなプロセスを経てはじめて生まれ得るものなのだと思います。



「ニューヨーク三部作」〜『シティ・オヴ・グラス』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』〜    

 「三部作」とは言っても、それぞれ直接ストーリーがつながっているわけではないので、単独で読んでも一向に構いません。ただ、ぽんぽんと他の作品の登場人物の名前やアイテムがでてきたり、『鍵のかかった部屋』のラストが『シティ・オヴ・グラス』のラストに呼応する、といったように、順番に読むと、それなりの楽しみがあります。

『シティ・オヴ・グラス』 角川文庫  City of Glass (1985)
 探偵小説のように始まり「謎」があるという点ではミステリーといえるが、「謎」が解決されない、「謎」が提示されて終わるという点でミステリーの範疇からははみだしている小説。
 「私立探偵ポール・オースター」あてにかかってくる間違い電話からはじまる物語。ウィリアム・ウィルソンのペンネームで探偵小説を書く作家クィンは、3度目の間違い電話でオースター本人と偽って依頼を受ける。依頼人のヴァージニアは夫ピーターを、かつて息子を幽閉し精神病施設に送られたピーターの父から守って欲しいという。クィンは病院から釈放されたピーター・シニアらしき人物の監視をはじめるが・・・。
 昨日と同じはずの町で、まるで曲がる角を間違えたといったほんの些細なことをきっかけに、重なっていた別の世界が分離してしまうように、主人公の世界が揺らいでいきます。それは、どこか変なのだけれどなぜか自然さを失わない不思議な感触です。

『幽霊たち』 新潮文庫  Ghosts (1986)
 探偵が主人公の、何かが起きそうでいて「期待されること」は起こらない物語。
 ブラウンという私立探偵のあとをついだブルーは、ホワイトなる人物から「ブラックを見張るように」という依頼を受ける。ブラックのアパートの向かいの部屋の窓から彼を見張るブルー。ブラックは一日中家にいてノートに何か書いたり、本を読んだりととりたてて何も行動を起こさない。何のためにブラックを見張るのかわからず、いつまで続ければいいのかもわからない。単調な日々は退屈と不安をもたらし、ホワイトの正体をたどり損ねたブルーはブラックに接触を試みる。
 見ている者と見られている者、主体と客体の反転、境界のゆらぎ。自分は誰なのか? 何をしているのか? 徐々に霧に覆われて視界がうばわれるように、あいまいになっていく主人公のアイディンティティ。霧が晴れることなく終わるラストは不可思議な余韻を残します。

『鍵のかかった部屋』 白水uブックス  The Locked Room (1986)
 昔の親友、ファンショーが失踪したことを告げる彼の妻ソフィーからの手紙。新進気鋭の批評家「私」はソフィーに会い、旧友の残した原稿を預かる。ファンショーの作品『どこでもない国』は出版され好評をはくすが、作者は実は「私」なのではないかという噂が広まる。ソフィーと結婚し、幸福なはずの「私」の中で、いつからか歯車が狂いはじめていた。ファンショーの伝記を書く仕事を引受けたことを口実に「私」はフォンショーを追う。
 「ファンショーはまさに僕がいるところにいるのであり、はじめからずっとそこにいたのだ。」(本書 p.179-180)
 「追う者は追われる者になっていく」という三部作に共通のモチーフが、現実から逸脱しない世界で、一番わかりやすい形で表現されている作品です。「私」の立場にわが身を置き、一連の出来事を読みおえたところで、主人公やひいては自分自身のことを理解できたというわけではないのですが、この作品を読みながら受ける感覚にはどこか”覚え”があって、私が読みたいと思う小説の感触とはこういうものなのだと思います。



『最後の物たちの国で』 白水社/白水uブックス(99.7新刊)  In the Country of Last Things (1987)
 
 あらゆるものがなくなっていく街。家も道も一瞬先には目の前から姿を消し、二度と見つからない。生き残るためにあらゆる手段を使って食料を手に入れなければならず、あるいは絶望のために幸福な「死」を求め、体力の限界まで走り続ける者、高さを競って飛び降り自殺をする者、「暗殺クラブ」の会員となり予告なしの確実な死を待つ者すらいる。
 消息不明の兄を追ってこの国にたどりついたアンナが、その悲惨にして波乱に富んだ日々を手紙に綴っていく。
 近未来ディストピアではなく、「あくまで現在とごく最近の過去についての小説だ」という作者の言葉にはっとさせられました。虚構やアイロニーな世界も必要だけれど、自分が生まれた環境はなんだかんだいって非常にラッキーだという根本的な厳然たる事実を思いだすこともたまには必要かも。
 この世界は、物がなくなるにつれ、記憶も一緒に消えてしまい、物をあらわす言葉は、まず意味が忘れられ、やがてだんだん単なる音と化していきます。一番ぞっとした部分はこの部分でした。確かに物も人も長い時間をかけてなくなり忘れ去られていくものですが、それが一瞬にして消えてしまう世界。(逆回りの世界ならぬ早回りの世界・・・などとつまらないことを思いうかべたというのはおいておくとして(^^;。)消えてしまう=存在しなかった、ことになるならば、はたしてすでに今自分・周囲の世界が本当に存在していると言えるのだろうかと、揺らぐわけですね。
 そんな世界で、少なくとも”言葉を残した”アンナの存在は消えることはないと言えるのでしょうか・・・。



『ムーン・パレス』 新潮文庫  Moon Palace (1989)
 
 60年代アメリカを舞台にした青春小説・・・と言われて想像する物語よりも大きなポケットをもった小説かもしれません。
 大学生の主人公マーコは最後の身寄りを無くし、伯父が残した本を売り払った後は、セントラルパークの浮浪者に転落するにまかせる。ひたすらさまよい歩き、果てに身体を壊した彼を友人のジンマーとキティ・ウーが助け出す。キティとの恋。車椅子に乗った奇妙な盲目の老人トマス・エフィングとの出会い。そして、そこから三代にさかのぼるルーツ探求の物語。
 確かに偶然の重なる物語は出来過ぎているのですが、「そんなばかな」という思いを抱かせない、骨格のしっかりしたストーリーテリングがさすがです。トマス・エフィングのキャラクターがひときわ精彩をはなっていて、読み終わってしばらくたつと、マーコの物語というよりはエフィングの物語としての部分の方が記憶に鮮明です。
 とりあえず”結末”がないと安心できない人にもお薦め。



『偶然の音楽』 新潮社 The Music of Chance (1990)


『リヴァイアサン』 新潮社 Liviathan (1992)


その他作品

『スモーク&ブルー・イン・ザ・フェイス』 新潮文庫  Smoke & Blue in the Face: Two Films (1995)
 「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」からウェイン・ワン監督、オースター脚本というコンビで生まれた映画が『スモーク』。そこから派生してできたのが、『ブルー・イン・ザ・フェイス』。映画の感想はこちら。
『ルル・オン・ザ・ブリッジ』 新潮文庫  Lulu on the Bridge (1998)
 映画のための脚本。映画の感想はこちら。
『消失 ポール・オースター詩集』 思潮社  Disappearances: Selected Poems (1988)

参考:
『現代作家ガイド1 ポール・オースター』 飯野友幸(編集)他 彩流社
 オースターのインタビューやオースターを読むためのキーコンセプト(ユダヤ性、アメリカ性、野球、政治性、探偵小説等)などがのっています。

HOME