『 奥の細道 』 を巡る 漂泊の思い
月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。 舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖とす。
古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず。
海浜にさすらへ、去年の秋江上の破屋に蜘蛛の古巣を払ひて、やゝ年も暮れ、春立てる霞の空に 白河の関越えんと、
そぞろ神のものにつきて心を狂はせ、道祖神の招きにあひて取るもの手につ かず、股引の破れをつづり、笠の緒付けかへて、
三里に灸すうるより、松島の月まづ心にか かりて、住るかたは人に譲り、杉風が別野に移るに   
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家  表八句を庵の柱に掛け置く。                       松尾芭蕉『奥の細道』より
大川端の句碑
現在の隅田川の流れ・芭蕉記念館はこの畔に建っている。
大川端の句碑
 元禄2年の春、松尾芭蕉は奥州へ旅立った。
「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり」古典中の古典 『おくのほそ道』 の冒頭は、有名な一節で始まる。
  流れ行く時も、人の一生もすべては旅のようなもの・・・・・・。

 春の到来を待ち侘びて、隅田川沿いに広がる現在の東京都江東区深川辺りをのんびり歩いてみた。芭蕉記念館から芭蕉稲荷・深川江戸資料館・清澄庭園へと辿るうち、面白いことに気付いた。この目と鼻の先の近い地には、まるで申し合わせたように同じ句碑が立てられていた。
         『古池や かわず飛び込む 水の音』

誰もが知る芭蕉の代表的な句だが、眺めているうち、一体全国にはどれくらいの句碑が立てられているのだろうかと、変なところが気になった。帰宅後、早速調べてみて、ある人の調査によると、やはりこの「古池や」の句がダントツで、全国各地に146基もの句碑があるという。次いで2番目に多いのが次の句で、106基を数えるそうだ。
         『春もやゝ けしきとゝのふ 月と梅』
採茶庵跡に立つ芭蕉翁
旅立ちの碑(海辺橋袂)
芭蕉庵史跡展望庭園の芭蕉像
芭蕉記念館
芭蕉稲荷神社
 「おくのほそ道を行く」なんて大層なタイトルにしてしまったが、正直なところ奥の細道全文を読みとおしたのはこれが初めてである。そんな私ではエラソ−な能書きを並べられる筈もない。
良い景色を眺めて、その地の名物を頬張りながら、温泉にでも浸かって、のんびりと陸奥を楽しむつもりである。
 私の「旧東海道を歩く一人旅」は、2年余でようやく三条大橋を渡ることができた。始めた頃はこんなに長く続くとも思わなかったが、歩くほど次第に面白く感じられるようになって、すっかり病みつきになってしまった。
私には一人旅が性に合っていたのだろうが、今度は家内も一緒に行くと言い出した。
    扱て、どんな道中になるのやら・・・・・・・。
清澄庭園(右)と庭園内に立つ「古池や」の句碑
芭蕉稲荷神社の「史跡・芭蕉庵跡」の碑(左)
大正6年(1917)の大津波のとき、もとあった稲荷神社付近から
芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が見つかったところからこの地
を芭蕉庵跡と推定し、祠に石蛙を祭って、芭蕉稲荷としたそうだ。
深川江戸資料館
深川稲荷神社
のらくろ-ど商店街
 森下文化センタ−の「のらくろ館」には、漫画のらくろの資料が展示されていて、何とも懐かしい感じにさせる。商店街一帯のあちこちにのらくろが見られて、「のらくろ-ど」と呼ぶそうだ。
 小名木川沿いの道路筋に相撲部屋がある。大嶽部屋(大鵬)・北の湖部屋・尾車部屋だから古くからの部屋ではなく、相撲界では新興勢力というのだろう。
 江戸資料館を出ると、松平定信の墓がある霊巌寺や紀伊国屋文左衛門の墓がある成等院などが近くにあり、訪ねてみるのも良い。また深川不動尊や富岡八幡宮がある門前仲町駅へは、ブラブラ歩いてもそう遠いところでもないので足を伸ばすのもお勧めである。
大嶽(大鵬)部屋
北の湖部屋
萬年橋
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