『 奥の細道 』 を巡る 旅 立 ち
   弥生も末の七日、あけぼのゝ空朧々として、月は有明にて、光をさまれるものから富士の峰幽かに見えて、
      上野・谷中の花の梢、またいつかはと心細し、むつまじき限りは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。
      千住といふ所にて船を上がれば、前途三千里の思ひ胸にふさがりて、幻の巷に離別の涙をそゞぐ。
      行く春や鳥啼き魚の目は涙  これを矢立の初めとして、行く道なほ進まず。人々は途中に立ち並びて、
      後影見ゆるまではと、見送るなるべし。
浮世絵・千住大橋
現在の千住大橋
大橋袂に立つ矢立初めの芭蕉像
 日光街道の初宿に指定された千住宿は、東海道品川宿・中山道板橋宿・甲州街道内藤新宿と並んで江戸四宿の一つに数えられた。
街道筋の民家の玄関先には、手づくりの屋号を掲げた珍しい光景が処々で見受けられる。江戸時代後期に建造された横山家や旧道と大師道とが分岐する道標や「やっちゃ場跡」などが良い雰囲気を感じさせる。やっちゃ場とは、せりのときの掛け声が由来と云われ、農産物の集積場として随分の賑わいをみせたそうだ。
 千住大橋の袂に芭蕉像が建てられた一隅があって、像は未だ白くて真新しいく見える。
広い幹線道を隔てた向かい側の「大橋公園」には、「おくのほそ道」の旅が千住から始まったことを記念して、行程図や矢立初の碑が建てられている。
矢立初の碑
千住大橋と奥の細道を解説した碑
鮎の子のしら魚送る別哉
旧日光街道の商店街
日光道・大師道
千住神社

 千住神社の祭神は、稲荷神社の宇迦之御魂命と氷川神社の須佐之男命である。
大鳥居をくぐった参道沿いに、芭蕉句碑などの石碑が、石柵に囲まれて整然と建ち並んでいる。

       ものいへば 唇寒し 秋の風
ものいへばの句碑
石碑に刻まれた芭蕉像
next