『 奥の細道 』 を巡る | 草 加 |
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矢 立 橋 |
奥の細道記念碑 |
百 代 橋 |
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河岸公園の芭蕉文学碑 |
望楼と芭蕉の旅姿像 |
草加せんべい発祥の地碑 |
綾瀬川沿いに整備された旧日光街道の「札場河岸公園」が旅の雰囲気を盛り上げる。旅姿の芭蕉像や望楼が建てられて、草加松並木が続いている。松原の両端には太鼓橋が設けられて、芭蕉の旅立ちに因んだ「矢立橋」「百代橋」の名が付けられている。ただしこの橋は自動車道を跨ぐ歩道橋で、橋の上から見下ろすと水ではなく自動車の流れを眺めることになり、見慣れない身には少々奇妙な感じがしないでもない。 |
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現在の旧日光街道沿いに続く商店街 |
せんべいを食べる少女の像 |
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芭蕉はただ体一つで旅をしようとしたのだが、多くの人からの餞別が痩せて骨ばった肩に重くのしかかり、先ず最初にこれが苦労の種となった、なんて云っている。かといって捨てる訳にも行かず、どうにも致しかたのないことではあり、困惑の様子が目に浮かぶようだ。 同行した曾良によれば、一日目の泊まりは粕壁(今の春日部)で、東陽寺に「傳芭蕉宿泊の寺」碑が建てられている。境内には「曾良旅日記」の一節が刻まれた石碑も見える。 |
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東陽寺門前に建つ「芭蕉宿泊の寺」碑(左・中)と境内の「曾良旅日記」碑(右) |
ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚只かりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共、 耳にふれていまだめに見ぬさかひ、若し生きて帰らばと、定めなき頼みの末をかけ、 其の日漸早加と云ふ宿に辿り着きにけり。痩骨の肩にかゝれる物、先ず苦しむ。 只身すがらにと出立ち待るを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、 あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨てがたくて、路次の煩ひとなれるこそわりなかれ。 |