『 奥の細道 』 を巡る 室の八島・仏五左衛門
室の八嶋に詣す。同行曾良が曰く、「此の神は木の花さくや姫の神と申して、富士一躰也。
無戸室に入りて焼き給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生まれ給ひしより、室の八嶋と申す。
又煙を読み習はし侍るもこの謂也。将このしろといふ魚を禁ず。縁記の旨、世に傳ふ事も侍りし。」
三十日、日光山の梺に泊る。あるじの云ひけるやう、「我が名を佛五左衛門と云ふ。万正直を旨とする故に、
人かくは申し侍るまゝ、一夜の草の枕も打解けて休み給え」と云ふ。いかなる仏の濁世塵土に示現して、
かゝる桑門の乞食順礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、
唯無智無分別にして、正直偏固の者也。剛毅朴訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質尤も尊ぶべし。
筑波神社
天満宮
鹿島神宮
雷電神社
 
 煙にちなんだ歌を詠むのが習わしだったという歌枕・室の八島は、いろいろの見方があり謎につつまれている。下野国府付近の湿地帯だったという説、、池に作られた八つの小島のことだとする説、、又実際に実在した場所ではないとの説もあり、時代時代で見方も変っているそうだ。
 大神神社の境内に八つの小祠を祭った池がある。幾つか言われる室の八島のひとつのようだが、境内の余り目立たない場所にあり、うっかり見過ごしてしまいそうに小さな池だ。傍らに芭蕉の句碑が立てられていた。

          室八嶋       糸遊に結つきたる煙哉      翁

浅間神社
熊野神社
二荒山神社
香取神社
尼寺跡の淡墨桜
下野国分尼寺跡の碑

 大神神社入り口に建つ大鳥居の傍らに「関東ふれあいの道」と書かれた道標が見え、面白そうに思えて暫くその道を辿ることにした。しばらく続いた肌寒い日々に堰き止められていた春が、一気に解き放たれたように桜の開花宣言が出されたと思いきや、たちまち満開の声を聞いた。畑の間を縫うように続くのどかな「ふれあいの道」をゆっくり歩いても汗ばむ陽気だが、吹く風が頬に心地良い。
 どこにでも見られる感じのハイキングコ−スは、下野国分寺跡・下野国分尼寺跡・摩利支天塚古墳・琵琶塚古墳などが点在して、これといって大規模な見所という風でもないが遥か古代を偲ばせる。
運が良くて、訪れた尼寺跡では満開の「淡墨桜」を眺めることができた。淡墨桜は淡白色に開咲き、満開を過ぎると、うすずみをかけたように変わるのでこう呼ばれるという。この桜は実生から咲かせることは難しいと云われるが、岐阜から実生苗を分けて貰って開花させた珍しいものだそうだ。
 下野国分尼寺跡から良く手入れされて明るい林間を抜ける遊歩道が続いている。道標に「防人街道」と書かれて、命名にはこれが必要なのだろう万葉集の防人が詠んだ歌が、木札に書かれて木々に架かっていた。それはそれで良いのだろうが、私にはどうも多すぎるように思えた。こういうものは二つ三つがさりげなくあった方がより雰囲気が出るようにも感じられる。飾りたい歌が多すぎるのであれば、時々幾つかを取り替えてみたら・・・暇な旅人はふっとそんな事を感じた。
 「紫式部の墓」と書かれた道標の矢印に誘われて進んだ。鎌倉時代の様式の五輪の塔は、この地方の豪族が供養塔として建立したものだと云われるが、この地は「紫」という地名であることから、源氏物語の作者である紫式部の墓と云われるようになったと思われる。なんて解説されていた。
芭蕉句碑「糸遊に・・」
伝「紫式部の墓」五輪の塔
下野国分寺跡
大神神社
明るい林間に伸びる「防人街道」
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