『 奥の細道 』 を巡る | 日 光 山 |
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二荒山神社・東照宮・輪王寺 日光の二社一寺とその境内地が世界文化遺産に登録されたのは、平成11年12月のこと。 二社一寺とは、二荒山神社・東照宮・輪王寺を指すが、日光山の信仰の歴史は古く、今から1200年以上も前にさかのぼる。余りにも有名な日光の、生半可な請け売りを並べても仕方がないので、写真だけを貼り付けておくことにする。 日光杉並木 東武特急スペ−シアが下今市駅へ到着する直前、車内放送が間もなく車窓から見事な杉並木が眺められると、紹介していた。 日光街道・例幣使街道・会津西街道からなる全長37キロに及ぶ杉並木は、日本で唯一特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている文化遺産だそうだ。その距離で、ギネスブックにも掲載されているという。この街道の杉は1600年代前半に、徳川家家臣の松平氏により、日光東照宮への寄進を目的として、20万本が植栽された。古いものは樹齢370年を超える巨木もあり、うち現在では13000本が残されている。 もう10年も前のことだが、偶然この杉並木を車で通過したことがある。高速道への侵入路を間違えたのだが、思わぬ拾い物をした感じがして、そのままこのル−トのドライブを楽しんだ。 私が通過したのは自動車道となっているほんの一部分だけだが、幹線道でない区間も随分と多いようで、昔の街道の雰囲気を残しているそうだ。のんびりと時間をかけてゆっくり歩いてみたい気もするが、その時はその時で、もっと廻りたい所が多すぎて、そちらの方へ向ってしまいそうではある。 |
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裏見の滝 日光には多くの滝があり、華厳の滝・霧降の滝・裏見の滝が日光三大名瀑と呼ばれている。芭蕉がめざしたのは、修験の道の先にある「裏見の滝」で、この滝は、修験者たが滝の裏側のくぼみに籠もって修行を行った場所だという。だが今は滝の裏側のくぼみは見えるが、滝口の崩落によって裏側へは回れそうにない。静かな山中に堂々と流れ落ちる滝を眺めて、ひんやりとした飛沫を浴びると、やはり神々しいというか何となく気が引き締まる思いがしてくる。 しばらくは滝に籠るや夏の初め バス亭 「裏見の滝入り口」 を降りたところに、滝まで2.5キロの道標が見えて、だらだらと山中へ向う登り坂が続いている。ヤレヤレ往復5キロの山道はきついとは思うが、芭蕉の 「二十余丁山を登って滝あり」 を思う。一丁は60間でおよそ109mだから丁度この記述と同じ位の距離である。ここは泣き言ほ止して少しばかり頑張るしかない。 登り始めたばかりの道の前方に、先ほど私の倍くらいの早さで追い越して行った青年のうしろ姿が見えた。どうやら突っ立ったまゝで携帯電話の操作に夢中のようだ。その時は別段何とも思わなかったのだが、そんなことが3度も続くとやはり不審?な気がしてきた。 休憩ならば腰を下ろすかガ−ドレ−ルに凭れ掛ってもよさそうに思うが、追い越すたびに見えるのは突っ立った侭の姿である。メ−ルの操作と見えたのはどうやらゲ−ムなのか、ピコピコの音が聞えたが、うがった見方をすればこちらを窺っているようにも感じた。人通りのない山道で、男は一転通り魔に変身して・・・・・・・・。少々考えすぎか?。 用心するに越したことはない。、滝口近くになって今度は私が休憩していた時、前を通り過ぎる青年に初めて声をかけてみた。 『きついですネ−』。『そう・・・』 聞き取れないほど小声で頷いた青年の目は、温和そうで幽かな笑みが見えたので、ほっと一安心をした。声をかけたのはその時だけで、歩く速さの違う青年とは度台道連れにはならないが、兎と亀のレ−スはその後も続いて、結局往復の5キロをほぼ同じ時間で歩いたことになる。 レ−スの結果は、当然のことに若い青年の勝利に終わり、やがてバスが通る幹線道が見えて、直前を行く青年は右手へ向って行った。左手が私の目指す東照宮で、そこからはのんびり歩いて20分足らずの行程である。 道端のレストランに「ゆばハンバ−グ」の看板が見えて、途端に空腹感を覚えた。どうやら名物のゆばを使ったハンバ−グだと思えたが、飛び込むほどの気にはなれない。やはりどうせ食べるのなら普通のゆばの方が良い。、レストランの看板を探しながら先へ進んだ。 |
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上鉢石町で・・・ 芭蕉は東照宮の門前町・上鉢石町に宿泊したが、私の勘違いから思いがけない句碑を見ることができた。 道路脇に東屋風の休憩施設が建てられて「日光のおいしい水をどうぞ」と書かれた石鉢を流れる水道があった。建物の中に付近の見どころが紹介されて、その場所までの距離は書いてあったが肝心の方角もその場所の表示もない。付近の人に尋ねたのだがその人も勘違いしたのか、たまたまその句碑のことを知っていたのが幸いした。後で距離から考えれば、輪王寺か大日堂跡の句碑だったのだろうが『その小路を入った民家のことではないですか?』民家と教えられて一瞬躊躇したが、折角の機会だからと思い切って訪ねることにした。 「高野」と表札のかかる家の人は親切で『どうぞごゆっくり』と庭へ案内してくれる。 帰宅後調べて判ったのだが、知っていれば二の足を踏んだに違いない、大そうな旧家へヅカヅカと入り込んでしまったようだ。インタ−ネットで次の記述を見つけたが、何だか随分と得をしたような感じがする。 |
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卯月朔日、御山に詣拝す。往昔此の御山を二荒山と書きしを、空海大師開基の時、 日光と改め給ふ。千載未来をさとり給ふにや。今此の御光一天にかゝやきて、 恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏やかなり。猶憚り多くて筆をさし置きぬ。 あらたうと青葉若葉の日の光。 黒髪山は霞かゝりて、雪いまだ白し。 剃捨てて黒髪山に衣更 曾良 曾良は河合氏にして、惣五郎と云へり。 芭蕉の下葉に軒をならべて、予が薪水の労をたすく。このたび松しま・象潟の眺め 共にせん事を悦び、且つは羈旅の難をいたはらんと、旅立つ暁髪を剃りて墨染に さまをかへ、惣五を改めて宗悟とす。仍って黒髪山の句有り。「衣更」の二字、 力ありてきこゆ。二十余丁を登って瀧有り。岩洞の頂より飛流して百尺、千岩の碧潭に 落ちたり。岩窟に身をひそめ入りて滝の裏よりみれば、うらみの瀧と申伝え侍る也。 暫時(しばらく)は瀧に籠るや夏(げ)の初 |