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芭蕉がこの黒羽で頼っていったのは城代家老・浄坊寺桃雪だが、桃雪や弟の桃翠に歓待されて、実に14日間もの長逗留をしている。
那珂川に沿った黒羽の町は、静かな城下町の佇まいを今も残し、黒羽城址には芭蕉公園が整備されて、桃雪邸跡の案内や句碑、芭蕉記念館などがある。桃翠邸跡は少し離れた畑の中で、墓と共にポツンと残されていた。
芭蕉は半月もの滞在中、那須与一ゆかりの那須神社や玉藻の前の古墳・修験光明寺・犬追物など、土地の名所を訪ねて回っている。 |
芭蕉の館 |
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芭蕉・曾良の旅姿像(芭蕉の館) |
芭蕉公園 |
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「犬追物」は、竹垣で囲んだ馬場の中に犬を放し、乗馬して犬を射る一種の競技で、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、もっぱら騎射の練習に行われたものだそうだ。その起源は、玉藻の前に化けていた妖狐が那須野に逃げたのを射とめるために、那須野で犬を追って騎射の練習をしたのが始まりだという。(「玉藻」は婦人の名前で、「前」は貴婦人の名に添えて敬意を表す語)
犬追物跡で珍しいものが見られるかと期待して寄ってみたのだが、今はもう林の道路脇に説明看板が立てられているだけだった。 犬追物跡(右) |
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玉藻稲荷神社の境内案内板には次のように記してある。
お稲荷さんと称える作神さまと玉藻の前(九尾の狐)の神霊とを祭った由緒深い社である。宝前の社殿改建記念碑と石の鳥居の柱にいわれなどが記してある・・・・・・。
境内に芭蕉の句碑と源実朝の歌碑があった。
『 秣負ふ人を枝折の夏野哉 芭蕉 』
『 もののふの矢並つくろうふこ手の上に
霰たばしる那須の篠原 源実朝 』 |
篠原玉藻稲荷神社 |
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光明寺には、修験道の祖・役行者を祀る行者堂があり、山伏たちが履く足駄があったと云われる。
『 夏山に足駄を拝む首途かな 芭蕉 』
の一本足の足駄があったそうだが、今はもう焼けて何もなく、全部畑になっているという。
訪ねてみようかとは思ったのだが、畑を見たって仕様がない。そのまま雲巌寺へ向うことにした。
史跡 鹿子畑翠桃邸跡と墓地(右) |
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鶴鳴や其声に芭蕉やれぬべし 芭蕉 秣負う・・・・・芭蕉の句碑 もののふの・・・・源実朝の歌碑 |