『 奥の細道 』 を巡る 殺生石・遊行柳


 殺生石は一つの伝説に彩られている。平安時代、玉藻前という絶世の美女が、鳥羽上皇の寵愛を一身に受け、まつりごとを惑わしていた。実はこの玉藻前は、九つの尾を持つ狐の妖怪だった。正体を見破られた狐は、ここ那須野で討ちとられる。しかし、死んだ後も、石となって毒気を吐き続けたと伝えられている。

殺生石(左)とずらりと並ぶお地蔵さん(下)
 殺生石は温泉が湧き出る山陰にある。石から発散する毒気はまだなくならず、あたりには蜂や蝶のたぐいが、地面の砂の色も見えないほど、たくさん重なり合って死んでいる。・・
・・・殺生石で芭蕉が見た幻想の風景に、今は一面に硫黄の匂いは立ち込めているが、想像していた幾筋かの白煙は見られない。むかし訪ねたときは、所々に煙りが立ち、匂いも強烈で、もっと異様な感じがしていたように思うのだが・・・・、
或いは私の記憶違いで、別府の地獄谷や箱根・大涌谷などとごっちゃになっているのかも知れない。なにしろいつ頃だったか思い出せないほど昔のことである。

 左手の山道を登ると那須温泉神社へ出るが、那須与一が屋島の戦で、扇の的を射るときに念願した神社である。与一は帰郷後、念願を果たしたお礼に社殿や鳥居を寄進し、宝殿には与一が奉納した弓矢などが収蔵されているという。

    いしの香やなつ草あかく露あつし   (写真下・左)
      湯をむすぶ誓も同じ石清水     (写真下・右)

那須温泉神社(左)とご神木(下・中)      
 殺生石をあとにした芭蕉は、山を下り、芦野の里へと向い、かねてから憧れていた歌枕「遊行柳」を訪れる。
古くから遊行柳には精霊が宿ると云われてきた。そのため、旅の僧侶や歌人たちはここに立ち寄り、柳の精霊に和歌を手向けるのが習わしだったという。
 楽しみにしてきた「遊行柳」だったが、生憎と季節はずれではある。柳の枝は長く垂れ下がり、田には植えられたばかりの稲の苗が並んで・・・・・・・・・。こんな時節が見ごろなのだろうが、今は柳の葉は落ちて、田には刈り取られた切り株だけが並んでいる。まァ、両方を望むのは贅沢というもので、見事な紅葉を眺めたのだから若葉は我慢するほかはない。
 田んぼの中の狭隘な地に柳が二本。ありふれた光景だが、若葉の頃を想像するせいなのか、尚一層の風情が感じられる。        『 田一枚植ゑて立去る柳かな 』
句碑は少し傾いて立てられている。田んぼを背景に計算された傾きだろう。いつまでも記憶の片隅に残りそうな情景である。ふっと、夏の暑い盛りに歩いた「小夜の中山峠」で見た句碑を思い出した。
        『 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり 』
茶畑の広がる峠道を抜けて、穏やかな坂の向こうには林があり、里の方へ下がって行くように見える。少し開けた空間には青空が良く見えて、傍らにこの句碑が立てられていた。
 其処に立ってこそならではの情景であろう。
季節はずれの遊行柳
芦野宿道標 田一枚の句碑
是より殺生石に行く。館代より馬にて送らる。此の口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞ふ。
やさしき事を望み侍るものかなと、
         野を横に馬牽きむけよほとゝぎす
殺生石は温泉の出づる山陰にあり。石の毒いまだほろびず、蜂・蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
又清水流るゝ柳は、芦野の里にありて、田の畦に残る。此の所の郡守戸部某の、「此の柳みせばや」など、
折々にの給ひ聞え給ふを、いづくのほどにやと思ひしを、今日此の柳のかげにこそ立ちより侍りつれ。
田一枚植ゑて立去る柳かな
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