『 奥の細道 』 を巡る 須 賀 川

 今の暦で6月上旬、松尾芭蕉は念願だった白河の関を越えて、奥州の地へ踏み入った。
奥州街道有数の宿場町として賑わった須賀川。芭蕉は須賀川の俳人・相楽等躬宅に8日間滞在した。乍単斎等躬(等窮)は、本名を相楽伊佐衛門といい、須賀川の駅長だったと伝えられる。
芭蕉は等躬に、白河の関を越えた感想を尋ねられて、次の句を詠んだ。
         『 風流の初やおくの田植えうた 』

長い旅路の苦労で体も心も疲れているうえに、一方では、あたりのすばらしい風景に気をとられ、また古歌や故事などを思い浮かべて感慨無量でしたので、思うように句を案じませんでした・・・・・・と。
芭蕉記念館 可伸庵跡  世の人の見つけぬ花や軒の栗 の句碑が立つ
 芭蕉ゆかりの掛軸や年表・資料・句拓本などが展示されている「芭蕉記念館」の近隣は、ぶらり散策するにはもってこいのところだ。等躬宅跡に接する道路が「等躬通り」と呼ばれ、通りに面した民家の軒先には軒行灯が下げられて、落ち着いた雰囲気を醸しだしている。
 「おくの細道」に記述される僧とは可伸のことで、栗の木のたもとに庵を結び、俗世をのがれて隠遁生活を送った「可伸庵」が整備保存されている。
      『 世の人の見つけぬ花や軒の栗 』
  句に詠まれているとおり地味な栗の花は、あまり美しいとも思え
  なくて、咄嗟にはどんな花だったかさえも思い出せないほどだ。
  因みに「栗花落」と書いて「ついり」と読むそうだ。この栗の花が
  散れば梅雨入り・・・・・・・・・。
家毎の軒先に下がる軒行灯
立格子の民家 立ち寄ったダンゴ屋で 軒行灯
風流や・・・の句碑が立つ十念寺 栗の花 神炊館神社(諏訪神社)
 この地を芭蕉が訪ねたのは新暦でいうと6月の中旬で、梅雨の真っ盛りだった。出発を予定した日は生憎の大雨で、川越ができないので出発を一日延ばしにしたという。
「石河の滝」見物を勧められて寄り道をしたのだが、滝つぼのやゝ下流は床滑になっていて、普段は徒歩で渡れるのだが、この日は連日降り続いた雨のため歩いて渡れないほどの水量だったそうだ。
 阿武隈川にかかる乙字形に流れ落ちる滝の現在は、「乙字ヶ滝」と名を変えて日本の滝百選に選ばれている。
 専門的には知らないが、ある時期、急に川床の一部が陥没してしまったのか、群馬・吹割の滝を小型にしたような景観を見せていた。
さみだれは滝降りうづむみかさ哉
石河の滝(現在の乙字ヶ滝)
吹割の滝(群馬)
とかくして越行くまゝに、あふくま川を渡る。左に会津根高く、右に岩城・相馬・三春の庄、常陸・下野の地をさかひて山つらなる。
かげ沼と云ふ所を行くに、今日は空曇りて物影うつらず。
すか川の驛に等窮といふものを尋ねて、四五日とゞめらる。先づ、「白河の関いかにこえつるや」と問ふ。「長途のくるしみ身心つかれ、
且つは風景に魂うばゝれ、懐旧に腸を断ちて、はかばかしう思ひめぐらさず。  風流の初やおくの田植うた  無下にこえんもさすがに」
と語れば、脇・第三とつゞけて三巻となしぬ。
此の宿の傍に、大きなる栗の木陰をたのみて、世をいとふ僧有り。橡ひろふ太山もかくやと、閧ノ覚えられて、ものに書付け侍る。其の詞、
栗といふ文字は西の木と書きて西方浄土に便りありと、行基菩薩の一生杖にも柱にも此の木を用ひ給ふとかや。
世の人の見付けぬ花や軒の栗
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