奥の細道 を巡る 塩 釜 明 神
塩釜神社
塩釜と解説版には見覚えが・・・

 以前訪ねた時のことを何とか思い出そうとしていたのだが、はっきりしない。古い大きな釜が展示してあったことだけは覚えていて、実際にその前に立ってみたのだが、それ以上は思い出せない。それ程古いことでもなく、バスツア−の松嶋遊覧船に乗る時間調整だったのかも。余り興味も無かったので、売店でコ−ヒ−を煤って時間つぶしをしていたのかも知れない。今思えば勿体無いことだ。

 神前に古き宝燈有り。かねの戸びらの面に、「文治三年和泉三郎寄進」と有り。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。・・・・・・

 鉄製の扉の面に「文治三年・・・」と彫り刻んである。500年このかた伝えられて来た文字から偲ばれるその人の面影も、いま目の前に浮かんできて・・・・・。
 灯籠は、義経の後ろ盾となった奥州藤原氏の一人、和泉三郎忠衡が寄進したものだ。
 平家を滅ぼした後、義経は兄頼朝に追われ平泉に落ち延びる。やがて迎えた衣川の戦いで、和泉三郎は、最期まで義経を守り討ち死にする。芭蕉は、悲劇の英雄・義経と運命を共にしたみちのくの武将に思いを馳せた。

 灯籠の前に立ってみると、扉の色だけが違って見えて、少々の違和感を感じさせる。永年風雨に晒されて傷んだため、修復されたものらしい。豪華絢爛に見える歴史建造物も、その多くが修復・復元されたものである。修復された跡がはっきりとしていることも、逆に云えばそれだけの歴史の重みを感じさせる。日と月を表した扉の文治三年の刻と赤錆だらけの灯籠に、暫し見入ってしまう。
 
山門をくぐって本殿へ 文化灯籠:激しい傷みと地震対策の
ため8月末から解体修理をするそうだ。
境内に建つ博物館 珍しい牛が祀られていた。


早朝塩がまの明神に詣づ。句に國守再興せられて、宮柱ふとしく彩椽きらびやかに、石の階九仞に重なり、
朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ吾が国の風俗なれと、いと貴けれ。
神前に古き宝燈有り。かねの戸びらの面に、「文治三年和泉三郎寄進」と有り。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。
かれは勇義忠孝の士也。佳名今に至りてしたはずといふ事なし。誠に、「人能く道を勤め、義を守るべし。名もまたこれにしたがふ」
と云へり。 日既に午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其の間二里餘、雄嶋の磯につく。
 
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