奥の細道 を巡る 瑞 巌 寺
静かな木立の参道を本堂へ向う
 奥州の名刹・瑞巌寺は、奥州の高野山ともよばれ、平安時代初めにまで、その歴史を遡ることができる古い寺だそうだ。江戸時代の初め、仙台藩主・伊達政宗は、四年の歳月と六十二万石の富をもって瑞巌寺を復興し、菩提寺にしたという。
 門前の土産物店が並ぶ通りを抜けた寺の総門では、提灯の飾りつけをしていた。瑞巌寺の大施餓鬼会は8月16日だそうで、その準備だろう。お施餓鬼は、飢餓に苦しんで災いをなす鬼衆や無縁の亡者の霊に飲食を施す法会で、寺の一大イベントだが、子供の頃には良く耳にしたが最近ではトンと縁もなく、言葉すら滅多に聞くこともない。
瑞巌寺入り口で 門前の店先に紙製の芭蕉像が飾ってあった。
 
 瑞巌寺入り口左手の一隅に、芭蕉関連の碑が並べられている。芭蕉碑(写真左)・奥の細道碑(写真中)・12の句が刻まれた細道碑の裏側(写真右)

 奥の細道碑には、松嶋湾の章段が刻まれている。 
 抑ことふりにたれど、松嶋は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて・・・・・・

むつかしい文章だが、抑はそもそもと読んで、「さて、先人たちによって言いふるされていることではあるが、松島は日本第一のすぐれた風景であって、まず中国の洞庭湖や西湖のながめに比べても恥ずかしくないほどである。・・・・・」と云うことになるそうだ。
 芭蕉は松嶋の景勝に圧倒されて、ついに句作するところがなかったことを記述している。事実は、『嶋々や千々にくだきて夏の海』を詠んでいるが、会心の作ではなかったのか、曾良の句を載せている。
        松嶋や 鶴に身をかれ ほとゝぎす        曾良
 松嶋はすばらしく景色のよい所であるなあ。折から鳴き過ぎるほととぎすよ。鳴き声はそれでよいが、この松嶋の絶景には鶴が最もふさわしいから、鶴の姿を借りて松嶋を鳴き渡れよ。
芭蕉碑の前で
十一日、瑞巌寺に詣ず。当時三十二世の昔、真壁の平四郎出家して入唐、帰朝の後開山す。
其の後に雲居禅師の徳化に依りて、七堂甍改りて、金壁荘厳光を輝かし、仏土成就の大伽藍とはなれりける。
彼の見仏聖の寺はいづくにやとしたはる。
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