奥の細道 を巡る 尿前(しとまえ)の関
南部道遥かにみやりて、岩手の里に泊る。小黒崎・みづの小嶋を過ぎて、なるごの湯より尿前の関にかゝりて、
出羽の国に越えんとす。此の路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。
大山をのぼって日既に暮れければ、封人の家を見かけて舎を求む。三日風雨あれて、よしなき山中に逗留す。
蚤虱 馬の尿する 枕もと         あるじの云ふ、是より出羽の国に大山を隔てて道さだかならざれば、
道しるべの人を頼みて越ゆべきよしを申す。「さらば」と云ひて人を頼み侍れば、究竟の若者、反脇差をよこたえ、
樫の杖を携へて、我々が先に立ちて行く。けふこそ必ずあやうきめにもあふべき日なれと、辛き思ひをなして後について行く。
あるじの云ふにたがはず、高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて、夜行くがごとし。
雲端につちふる心地して、篠の中踏分け踏分け、水をわたり岩に蹶いて、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出ず。
かの案内せしおのこの云ふやう、「此のみち必ず不用の事有り。恙なうをくりまいらせて仕合せしたり」と、
よろこびてわかれぬ。跡に聞きてさへ胸とゞろくのみ也
尿前(しとまえ)の関跡
鬼首へ向う山中から望む鳴子の温泉街
鬼首温泉にあるかんけつ泉・弁天。

 鳴子温泉駅前にある足湯では、5〜6人の若者が足を湯に浸しながら楽しそうに談笑している。その正面に見える坂道を登った一角に、「啼子(鳴子)の碑」が建てられて、隣に公共の立ち寄り湯と奥に温泉神社がある。尿前(しとまえ)は、その読み方もだが何とも奇妙な呼び名を付けたものだと思えるのだが、義経の時代からだそうだ。
 義経の北の方が亀破城でお産をして、その子がうぶ声をあげたところが啼子(鳴子)で、初めて尿をしたところが尿前と言われるようになったという。・・・『 へエ−ェ。』 そうなんだ。

 鳴子温泉へ来たからには、鬼首(おにこうべ)温泉にあるかんけつ泉を見ておきたかった。鬼首温泉は、くねくねと細い山道を登った車で20分ほどのところにある。別府温泉で見たかんけつ泉と比べると、吹き上げる水蒸気はやゝ細く感じられる。噴出す穴の大きさに関係があるのか、細い変わりにこちらの方がより高く吹き上げているようだ。約10分間隔で吹き上がるそうだが、なかなかの迫力を感じる。

 鬼首の地名からは、何となくその謂れも想像できるが、やはりここにも鬼退治の伝説があった。その昔、鬼と呼ばれて恐れられた賊魁・大武丸が村人を苦しめていた。坂上田村鷹が東征の際、近く山中へ逃げ込んだ大武丸を捕らえ、ここで首をはねた。地名を鬼切辺としたが、何時の代からか鬼首(おにこうべ)と言い伝えられるようになったという。
啼子(鳴子)之碑と左奥は温泉神社 尿前の関跡に建つ芭蕉像と碑
山中に伸びる出羽街道中山越
自然石の「芭蕉翁」碑・碑陰に「蚤虱」の句を刻む

 芭蕉は、鳴子温泉から尿前の関に差し掛かり、ここを越えて出羽の国に入って行こうとした。この道は旅人がごく少ないところなので、関所の番人に怪しまれて、やっとのことで関所を通ることができたという。信じられないような話だが、芭蕉はこれほどの旅に往来手形を持っていなかったそうだ。曾良の随行日記に「断六ヶ敷也。出手形ノ用意可有之也。」とあるので、事情を説明すれば通過できると判断したようだが、実際は他国者の出入りに対する取締りはかなり厳しいものだったという

 関所跡前から山中へ向って、雰囲気のある細い登り道が延びている。芭蕉はこの出羽街道中山越を登り、陸奥・出羽の国境を越えて難所の山刀伐(なたぎり)峠へと向った。
 登り口の前に立ってみると・・・やっとのことで通行を許された芭蕉が、ヤレヤレ難儀なことだなんてため息をつきながらトボトボとこの坂道を登って行った・・・そんな姿を彷彿とさせる山道が奥へ延びている。
 関所跡は公園風の広場になっていて、芭蕉像・句碑・タイル焼きの解説板などが建てられている。

 封人とは、国境を守った番人のことだが、「封人の家」が整備保存されて一般に公開されている。関跡の直ぐ近くにあるものと思っていたのだが、実際は違って国境はこの先9kほど先だった。
 悪天候のため芭蕉が3泊を余儀なくされた「封人の家」へは、どうにか日暮れ前に到着したのだが、残念ながら開館時刻はとっくに過ぎてしまっていた。中の見物も楽しみだったのだが、仕方なく外から眺める他はない。この地方の古民家・曲家などを他で何度も見物したことはある。ここでの見物は叶わなかったが、恐らく同じような造りになっているのだろうか。  
封人の家
封人の家「蚤虱・・・」の句碑


         「 蚤虱 馬の尿する 枕もと 」

 音と共に匂いまでもが伝わってくるような気がして、何とも強烈な句だ。尿は「シト」とも「バリ」とも読ませるが、やはりこの地方の方言だというバリの方がより一層迫力を感じる。
 宿の主人が言ったとおり、高い山は樹木が生い茂っており、鳥の鳴き声一つ聞えない。夏木立の蔭は薄暗く葉が茂り重なっていて、まるで夜道を行くようである。「雲の端から土砂まじりの風が吹きおろしてくる」と詠んだ杜甫の詩句そのままといった気持がして、小笹の中を踏み分け踏み分けして進み、流れを渡ったり、岩につまずいたりして、肌に冷汗を流しながら・・・・・・
雨があがると、芭蕉はまた歩き始めた。しかし、その先には、越えなければならないもう一つの難所が待ち構えていた。山刀伐(なたぎり)峠である。現在の山刀伐峠はハイキングコ−スになっているらしい。何とかほんの少しだけでもその雰囲気を味わってみたいと思っていたのだが、もう夕暮れではそれも叶わない。険しい山道を思わす山脈にはトンネルが掘られて、一気に通り抜ける。途中、赤倉温泉への分岐を過ぎると、今夜の宿・銀山温泉へは以外と近かった。
 
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