奥の細道 を巡る 羽 黒 山
六月三日、羽黒山に登る。圖司佐吉と云ふ者を尋ねて、別当代会覚阿闍梨に謁す。南谷の別院に舎して、
憐愍の情こまやかにあるじせらる。  四日、本坊にをゐて誹諧興行。      有難や雪をかほらす南谷

五日、権現に詣づ。当山開闢能除大師は、いづれの代の人と云ふ事を知らず。延喜式に「羽州里山の神社」と有り。
書冩、黒の字を里山となせるにや。羽州黒山を中略して羽黒山と云ふにや。
出羽といへるは、「鳥の毛羽を此の国の貢に献る」と、風土記に侍るとやらん。月山・湯殿を合せて三山とす。
當寺武江東叡に属して、天台止観の月明らかに、円頓融通の法の灯かゝげそひて、僧坊棟をならべ、修験行法を励まし、
霊山霊地の験効、人貴び且恐る。繁栄長にして、めでたき御山と謂ひつべし。
大きな鳥居を潜って信仰の道はまっすぐに延びる。
国宝・五重塔へ向う
隋神門


 出羽三山は羽黒山・月山・湯殿山の総称で、三山をお参りするには順番と作法がある。三山をめぐる修行を「三関三度の行」と呼び、現在(羽黒山)、過去(月山)、未来(湯殿山)の順だそうだ。即ち、羽黒山で現世の苦しみから救いを願い、月山で過去世の自分と決別し、湯殿山で来世での生まれ変わりを願うのだという。

 羽黒山への登り口に建つ隋神門をくぐると、山頂へと向う表参道が続いている。江戸時代の初めに作られた石段の数は2446段あるそうだ。天然記念物に指定された見事な杉並木に、ひときわ立派な「爺杉」が見える。樹齢1000年と云われ、樹高42m・根回り10・5m余りだという。昔は婆杉と並んで羽黒山中の最大の杉として名勝だったが、惜しくも婆杉は台風で倒れてしまったそうだ。
杉木立の間から国宝五重塔が優美な姿を見せている。実はもっと前から見えていた筈なのだが、傍へ近づくまで気が付かなかった。国宝に指定されるほどの建築物が樹齢何百年を越える杉木立にすっかり溶け込んで・・・と云ったら良いのか、もっと違うイメ−ジを抱いていた私には、へェーこんな風景もあるのかと、少々の驚きを感じてしまう。
        「 ありがたや 雪をかほらす 南谷 」
 参道の中ほどには、芭蕉が逗留した南谷別院跡があり、風情がある場所だということだが、余りのんびりもしていられない私たちは自動車道を山頂へ向う。
 途中の道路の両側に宿坊が建ち並ぶ中に大進坊があり、大きな三山三句碑が目立っている。
爺杉の前で 大進坊 三山三句碑
重文指定の鐘楼と大鐘

 山頂に到着すると、重文の鐘楼と大鐘が目につく。吊るされている鐘は、東大寺、金剛峰寺に次ぐ、日本で三番目に大きい梵鐘だという。北条時宗が、蒙古軍の退散を羽黒の霊威と称えて寄進したと伝えられている。
テレビで放映される大晦日の除夜の鐘はいつも一面雪景色である。間もなくこの一帯は雪に覆われる季節になるのだろう。
左奥には神仏分離以前の名残を留める特異な造りの「三神合祭殿」が見える。祭殿は、月山・羽黒山・湯殿山の三神を祀る豪壮な社殿である。昔から月山・湯殿山は冬期間積雪のため参拝ができないことから、月山・湯殿山の里宮として三神を祀るようになったそうだ。中央に月山神、右に羽黒山神、左に湯殿山神を祀っているので、此処で参拝すれば三山をお参りしたことになるという。

 一角に芭蕉像と三山三句碑が建てられている。

         涼しさや ほの三日月の 羽黒山
羽黒山頂に建つ芭蕉像と三句碑
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