奥の細道 を巡る 月山・湯殿山
八日、月山にのぼる。木綿しめ身に引きかけ、寶冠に頭を包み、強力と云ふものに道びかれて、雲霧山気の中に氷雪を踏んで
のぼる事八里、更に日月行道の雲関に入るかとあやしまれ、息絶え身こゞえて頂上に臻れば、日没して月顕る。
笹を鋪き篠を枕として、臥して明くるを待つ。日出でて雲消ゆれば湯殿に下る。
谷の傍に鍛冶小屋と云ふ有り。此の国の鍛冶、霊水を撰びて爰に潔斎して剣を打ち、終に月山と銘を切って世に賞せらる。
彼の龍泉に剣を淬ぐとかや、干将・莫耶のむかしをしたふ。道に堪能の執あさからぬ事しられたり。
岩に腰かけてしばしやすらふほど、三尺ばかりなる桜のつぼみ半ばひらけるあり。ふり積む雪の下に埋れて、
春を忘れぬ遅ざくらの花の心わりなし。炎天の梅花爰にかほるがごとし。行尊僧正の歌の哀れも爰に思ひ出でて、猶まさりて覚ゆ。
惣而此の山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。仍って筆をとゞめて記さず。坊に帰れば、阿闍梨の需めに依りて、
三山順礼の句々短冊に書く。        涼しさや ほの三か月の 羽黒山        雲の峯 幾つ崩れて 月の山
 語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな            湯殿山 銭ふむ道の 泪かな  曾良
紅葉まっ盛りだった

 白装束に身を包んだ修行者の列が出羽三山を巡る。
羽黒山・月山・湯殿山は、古くから山岳信仰の霊場として知られてきた。今の暦で7月22日芭蕉は、羽黒山から月山・湯殿山へ足をのばした。

 出羽三山の主峰・月山へ登る道の八合目まではバスが通っている。が、ガイドブックによれば何もないらしい。近ごろ遠出をしたときなどに良く思うのだが、再びここを訪ねることがあるのだろうか、その機会はもう無いのかも知れない。以前は思いもしなかった感じだが、それだけ歳を重ねたということだろうか。帰ってから『あァ、寄っておけば良かった』などと後悔するより、せめて八合目辺りまでは登ってみたい。そんな思いで麓から車で40分ほどの山道を飛ばした。
くねくねと細い山道に、朝は登山客の、夕は下山する人で、それなりにあるのだろうが、昼下がりの時刻では擦れ違う車もない。
 標高1984mの八合目の景色は一変する。沿道の木々はいつの間にかなくなり、せいぜい膝か腰の高さの草木が紅葉まっさかりを迎えていた。遥か下方には綺麗な稲穂の田んぼが見えるが、私の腕ではその両方を一枚に写すには難しい。
 そこから山頂の方角へ向ってお参りを済ました。

          雲の峰 いくつ崩れて 月の山

 月山から湯殿山へ。参拝者は生まれ変わりへの道をたどる。湯殿山は、平成17年に開山1400年を迎えたという。古来より、出羽三山の奥宮とされ「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められてきた。神社のご神体を人に明かすことは禁じられている。
 湯殿山神社の参拝には、ひとつの決まりがある。参拝者は、必ず裸足にならなければならない。裸足になって神官からお祓いを受け、人の形をした紙に身のケガレを移して、水に流すのである。
湯殿山登山口
『 人から聞くのではなく、自分でお参りしなさい・・・と云うことでしょう 』お祓いを世話してくれる男衆に,「ここで見聞きしたを他人には決して洩らしてはいけない」・・・どういうことなのかを尋ねると,笑いながらこんな返事が返ってきた。ご神域は写真撮影も禁じられている。だから写真は左の一枚だけ。
 日ごろ信心の言葉にさえ、凡そ縁も薄い私だが、やはり1000年以上も続いた作法を前にして、清々しいと云うか身の引き締まる思いがした。得がたい経験ではある。
惣而此の山中の微細、行者の法式として他言することを禁ず。仍って筆をとゞめて記さず。
語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな
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