奥の細道 を巡る 鶴岡・酒田
長山重行宅跡「めずらしや」の句碑
山王日枝神社
和ロウソク屋があった
旧西田川郡役所
内川・芭蕉乗船地跡

 出羽三山の巡礼を終えて、芭蕉は鶴岡へ向った。鶴岡は酒井14万石の城下町で、芭蕉は酒井藩の家臣・長山重行の家に3日間逗留した。
長山重行は、江戸邸に勤めていた頃に芭蕉の門人になったという間柄だそうだ。鶴岡市郊外の民田地区は、古くから名産の民田ナスで知られている。まだ小粒のうちに実を摘んで、浅漬けにして食べる民田茄子は、今も鶴岡の夏を代表する味だという。芭蕉がこの地で食べたものも、この茄子だったと云われている。
         「 めずらしや山を出で羽の初茄子 」
 旧長山邸の跡地には「芭蕉滞留の碑」と句碑が、近くの山王日枝神社に祀られる弁天様の脇にも同じ句の碑が建てられている。

 長山邸の近くに、酒田へ向う船着場があった。内川に架かる大泉橋の袂に「奥の細道乗船地跡」の標識が建てられている。芭蕉はここから船に乗って酒田へ向った。鶴岡市の市街地を蛇行しながら流れる内川は、庄内藩の居城「鶴ケ岡城」を囲む外堀の役目を果たしたが、物資や人を運ぶ運河の役割もしていたということだ。
 山田洋次監督・木村拓哉主演の映画「武士の一分」が話題になっている。映画の完成セレモニ−が鶴岡で行われ、テレビでその様子が放映された。私は滅多に映画を観ないが、何年か前の「たそがれ清兵衛」は見ごたえがあった。前作「隠し剣鬼の爪」と今回の「武士の一分」で、藤沢周平の作品が3作続いたことになる。今回の旅で初めて知ったのだが、藤沢周平はここ鶴岡が生誕の地だそうだ。「奥の細道乗船地跡」を記述した藤沢作品があり、「秘太刀馬の骨」では、内川を「五間川」、大泉橋は「千鳥橋」と呼んだ一節だそうだ。
・・・・・五間川はちょうどそこでゆるやかに東に向きを変えているのだが、曲り切ったところに南から北にかかる千鳥橋の北袂には、橋下の船着場を照らす常夜燈がある。三人はその光をはばかったのである・・・・・

 読んでいると、目の前にその情景が浮かぶが、今の船着場跡にその俤はない。深い垂直の護岸工事が行われて、水量の少ない流れはどこにでもある住宅地の川の眺めである。
今は水際に降りることも出来ないが、当時はもっと水かさも多く、川船の往来も盛んに往き来していたことだろう。
山居倉庫前の川に架かる橋の袂で 今も現役の山居倉庫
本間家旧本邸
旧鐙屋
 江戸時代、酒田は出羽国の米を江戸に送り出す北前船の港町として栄えた。米の保管倉庫・山居倉庫は、米どころ庄内のシンボル的存在である。ずらりと建ち並ぶ倉庫は壮観で、一部は今も現役の倉庫として使われているそうだ。うちの2棟が改装されて、観光客のための土産物の売店や資料館に衣替えしている。

 酒田随一の豪商であった本間家の旧本邸と、向かいには別館「お店(たな)」が一般に公開されている。本間家は、回船業で富を築き、江戸の米相場をも動かしたという。
説明によれば・・・二千石旗本の格式を備えた長屋門構えの武家屋敷造りで、その奥は商家造りになっている。二つの建築様式が一体となっているのは極めて珍しいもので、全国にも例をみないという。
まァ余り難しいことは分からないが、家の中で迷子にでもなりそうなダゞッ広い造りに、貧乏人は只「へェー」と驚きの声をあげるのみ。

 本間家の直ぐ近いところに、別の回船問屋・旧鐙屋も公開されている。典型的な町家造りだと解説版が立つ「石置杉皮屋根」が珍しい。
        「 暑き日を海にいれたり最上川 」
旧鐙屋の中で 石置杉皮屋根 酒田町奉行所跡
羽黒を立ちて、鶴が岡城下長山氏重行と云ふ物のふの家にむかへられて、誹諧一巻有り。
佐吉も共に送りぬ。川舟に乗りて酒田の湊に下る。淵庵不玉と云ふ医師の許を宿とす。
あつみ山や吹浦かけて夕すゞみ         暑き日を海にいれたり最上川
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