奥の細道 を巡る 山 中 温 泉
鶴仙渓に建つ「芭蕉堂」
芭蕉の館
山中座

 山中温泉は、およそ1300年前、行基によって開かれたと伝えられる。芭蕉が訪れた当時、40数軒の宿が立ち並び、北陸随一の湯治場として賑わったという。芭蕉はこの山中温泉で、9日間にも及ぶ長逗留をしている。芭蕉が滞在した泉屋の隣にあった扇屋の別荘が改装され「芭蕉の館」として公開されている。館内には芭蕉が世話になったお礼にと置いていった遺品や、芭蕉ゆかりの品々が展示されている。
 山中温泉街の中心にある総湯「菊の湯」は、むかし「湯座屋」と呼ばれ、すべての湯治客はここへ通ったそうで、芭蕉が滞在した泉屋の跡地は、この湯座屋の斜め向かいになる。「菊の湯」の名称は、芭蕉がこの地で詠んだ「山中や菊はたおらじ湯の匂ひ」に由来するという。
山中節の唄と踊りを演じるホ−ル「山中座」が菊の湯の前に建てられている。丸みを帯びた優雅な曲線美の屋根が美しく、内部の豪華な蒔絵の格天井やロビ−に展示された山中漆器に目を奪われる。女優・森光子が名誉座長だと紹介されている。
菊の湯の看板 山中座の格天井 山中座ホ−ル

 「鶴仙渓」は温泉街に沿って流れる大聖寺川の渓谷で、遊歩道になっている。南の入り口に架かる「こおろぎ橋」は、江戸期の元禄年間にはもう存在していたという。総檜造りだそうで、温泉街の雰囲気をより一層盛り上げている。近くにある武家書院造りの「無限庵」は、金沢から移築したものだそうだが、一見の価値あり。
 温泉街お勧め散策コ−スの中に「芭蕉ゆかりのコ−ス」があった。街中のあちこちに芭蕉の句碑などがあり、備え付けのスタンプを集めると景品が貰える仕組みになっている。それらのひとつひとつをゆっくり廻ってみたのだが、其処此処に句碑なども建てられて飽きさせない。
 山中での滞在中、芭蕉は曾良との別れを余儀なくされる。曾良は腹を悪くして、伊勢の国の長島という地の縁者を頼って一足先に旅立つ。

       行き行きて倒れ伏すとも萩の原      曾良

       今日よりや書付消さん笠の露       芭蕉

 今日からは私も一人旅を続けねばならない。これまで笠に書き付けてきた「同行二人」の文字を、笠に置く露で涙ながらに消すことにしよう。
 
鶴仙渓に架かるこおろぎ橋
紅葉は未だ始まったばかり・・
温泉街 漁火やの句碑 医王寺
温泉に浴す。其の功有明に次ぐと云ふ。  山中や菊はたおらぬ湯の匂   あるじとする物は久米之助とて、
いまだ小童也。かれが父誹諧を好み、洛の貞室若輩のむかし爰に来りし比、風雅に辱しめられて、洛に帰りて貞徳の門人となって
世にしらる。功名の後、此の一村判詞の料を請けずと云ふ。今更むかし語りとはなりぬ。曾良は腹を病みて、伊勢の国長嶋と云ふ
所にゆかりあれば、先立ちて行くに、  行き行きてたふれ伏すとも萩の原 曾良と書置きたり。行くものゝ悲しみ、残るものゝうらみ、
隻鳧のわかれ雲にまよふがごとし。予も又、 今日よりや書付消さん笠の露
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