こうして参拝者を案内するのも修行のひとつで、入門した雲水は法事を行う役、ご朱印を扱う役、受付等々のお勤めが決められる。どう呼ぶのかは聞きそびれたが、俗世間で言う配置変えがあるのは勿論のことだ。僧堂・東司(手洗い)・浴室は三黙道場といって一切の私語が禁止される。案内役の若い修行僧は、学生時代に体育会系に属していたそうだ。先輩後輩関係に喧しい体育会系でも、入浴時だけは先輩と雑談できて、ほっとするひとときだった。だが、ここでは黙々と入浴を済ませなければならない。確か四と九の付く日を、安息日だったか休息日と言ったように思う。入浴も髭を剃るのも、この日だけだという。当初は随分と戸惑いがあったようだ。食事のこと、座禅のこと、日ごろ耳にすることもない別世界の、諸々の体験談に興味は尽きない。
本山への納骨は個人個人で訪ねることもあるが、寺毎の団体で訪れることもある。私のふるさとの寺では、2年に一度納骨の檀家を募り、団体バスを仕立てているようだ。
ふっと、いつの時代から始まったのかを知りたくなった。受付の若い雲水に、住所と名前から我が家の一番古い納骨が分かるかと尋ねてみた。その僧から、調べれば分かると思うが、自分が知っているのは明治になってからのもの、との返事が返ってきた。
何の根拠もない当てずっぽうだが、万一病気などで行き倒れてしまっても、その地のしきたりで始末してほしい・・・維新に近い幕末の頃になっても、こんな往来手形を携えて旅に出た。この頃では納骨など出来る筈もない。やはりそれ程古いことでもなさそうだ。 |
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「終宵(よもすがら)嵐に波をはこばせて月をたれたる汐越の松」
西行法師の歌に芭蕉は、この一首に汐越の松の数々の美景は表現し尽くされている。これに一言でも付け加えることは全く無駄なことだ・・と記している。だが、これらの松らしいものの現在は、ゴルフ場の敷地内に僅かに残っているだけらしい。詳しいことは知らないが、ここは素通りして丸岡天龍寺へと向かうことにした。 |
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テレビ放映除夜の鐘で馴染みの鐘楼堂 |
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報恩塔(納経塔) |
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回廊から左:中雀門と右仏殿 |
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