天保山
天保山公園の北隅には砲台跡の丘がある
【行程】 5/4(火)快晴 [大箆柄岳=>垂水15:25=(フェリー)=鹿児島16:05==JA病院P16:19−W16:20−天保山16:21−S16:24−P16:30==温泉17:20/17:50==山之口SA(車中泊)]
【メンバー】 隊長
【天保山】てんぽうさん 2万5千分1地形図(鹿児島南部)
○鹿児島には気になる低山があります。市街地図には天保山公園の標示があります。はて、天保山といえば大阪にある日本一の低山ですが、鹿児島の天保山というのは聞いた事がありません。何か曰くがありそうな場所ですが、ネットで引いてもいまひとつ来歴が不明です。なかなか鹿児島には来れませんから、今回の機会を利用して訪れてみましょう。
○垂水のフェリー乗場は長蛇の列でしたが、臨時便も出て回転が早くぎりぎり次の便に乗れました。35分の船の旅は噴煙を上げる桜島を眼前に見ながらの豪華な景観でした。残念ながら黄砂の影響で遠望が出来ませんので、クリアな画像は得られませんでしたが迫力十分でした。
○フェリーから下りると天保山を目指しますが、ナビの機嫌が悪く不安を抱えての出発です。やがて現在地を把握したナビの調子も戻り一安心です。南国の香りのする街並みを北上すると、すぐに天保山公園に着きました。公園の近くに駐車場が見当たらないので、JA病院の駐車場を借ります(・・・休日で空いていましたので)
○公園の隅に松林に囲まれた小高い丘があります。近づくと「天保山砲台跡」の記念碑がありました。やはり大阪と同じように天保年間に浚えた土砂を積み上げた山だったようです。幕末の薩英戦争の時にはここに砲台が築かれ、ここから錦江湾に攻め入った英国艦隊へ砲撃を加えたそうです。この薩英戦争の後で薩摩と英国は仲良くなり明治維新へと繋がります。まさに歴史的な転換点にあった事件でした。
○やはり思ったとおり、曰く因縁のあった鹿児島の天保山でした。隊長は幕末の風雲告げる展開に想いをはせて松林越に海を眺めます。でも隣りの広場でサッカーに夢中の子供たちには、遥かに遠い昔の物語なのでしょうね。