『ショコラ』CHOCOLAT
チョコレートでファンタジーな話ってなんじゃらほい? と思っていたのですが、評判違わず、極上の味わい。昨今、これほど満ち足りた気分で帰れる映画というのもめずらしい。
フランスの小さな村に流れ者の親子がたどりつく。母ヴィアンヌはチョコレートショップを開店し、客の好みをぴたりと当てる能力で、徐々に村人たちの心をつかんでゆく。しかし、伝統と厳格な規律で代々村を指導者してきたレノ伯爵は、折も折りカトリックの絶食期間である四旬節にチョコレートとは何ごとか、と教会へも通わないヴィアンヌへの敵対姿勢をあらわにする。さらに、そこへ川を下ってジプシーの一団が村へやってくる。
保守的な規律と規則に守られるとともにしばられている人々とそこに変化をもたらす人々が、ちょっぴりユーモラスに等身大に描かれているところが見ていて共感を生むのだと思います。どの登場人物もにくめないなあという感じで。
ヴィアンヌは変化をもたらし村びとに手を差し伸べる役割であるけれど、でも、彼女が逃げ出そうとした時に、逆にヴィアンヌによって救われたジョゼフィーヌによって手を差し伸べられるところがすっごくいいです。輪の外で一段上の場所から手を差し伸べることは割と簡単なことだけれど、相手と同じ目線に立って何かをすることはとても難しい。その意味で、村に残ったヴィアンヌは初めて同じ目線に立つことができたんじゃないかなと思います。
おいしそうなチョコレートの描写にはもうよだれが出そう。空腹な時には絶対に観てはいけない映画です。美味な食べ物でこちこちの心が開かれるというところは『バベットの晩餐』に似ていますが、『ショコラ』の方が(登場人物も若いせいか(笑))華やかです。
いい役者陣がそろっているからドラマが映えるのだと思いますが、主役ヴィアンヌを演じているジュリエット・ビノシュの表情はすばらしい。娘役は『ポネット』のヴィクトワール・ティヴィソン。村の偏屈ばーさんと対立する厳格な娘は、ジュディ・デンチとキャリー=アン・モス(『マトリックス』のトリニティ役の人とは全然気がつかなかった)。ジョゼフィーヌ役のレナ・オリンもレノ伯爵役のアルフレッド・モリーナもいい演技で脇を支えていました。しかし、なんといっても、個人的においしかったのはジプシーのリーダー・ルー役のジョニー・ディップ。ギターまで弾いちゃってもうかっこいいのなんのって! 私がいままで彼を観た映画が悪いのかもしれないけど、初めてジョニー・デップを「かっこいい!」と思いました。(ちなみに観たのは『シザーハンズ』『デッドマン』『エドウッド』『スリーピー・ホロウ』『ラスベガスをやっつけろ』『ナインス・ゲート』)
ジョニー・デップインフレ(笑)を除いても、十分満足のいく幸せな一時を味わえますので、まだお試しでない方はどうぞ召し上がれ。
『スターリングラード』Enemy at the Gates
ジュード・ロウがソ連軍の伝説のスナイパーを演じる、と言われれば、見てみたくなるのが人の情というもので。だがしかし、期待は裏切られる、というのも世の常だったりするわけですね。
1942年夏、ナチス・ドイツの猛攻を受けたボルガ河畔のスターリングラードは、ドイツ軍の圧倒的な重火器によって瓦礫と化し、陥落寸前。そこに新兵として赴任したバシリ・ザイチェフは、ウラルの羊飼いで、祖父に射撃を仕込まれた天才スナイパーだった。彼の腕を見い出した、ソ連政治将校ダニロフ、彼を英雄に仕立てあげプロパガンダに利用することを思い付く。ザイチェフの功績は大々的に宣伝され、手を焼いたドイツ軍は彼を標的とした凄腕のスナイパーを送り込む。
いかに馬鹿げた戦いぶりであったか見事に描き出す冒頭の迫力の戦闘シーンや、後半のスナイパー同士の手に汗握る一騎討ちはなかなか見ごたえがあります。
しかし、わたしてきには、敵役のドイツ軍狙撃手ケーニッヒ少佐(エド・ハリス)の方がかっこうよく見えるというのは、明らかにジュード・ロウの使い方を間違ったとしか思えないんですよね。ジュード・ロウが輝くのはやっぱり性格のゆがんだ役どころでしょう。(『ガタカ』しかり、『オスカー・ワイルド』しかり。)傲慢さと繊細さが同居しているところに観客ははっとさせられるわけで、この映画のザイチェフは反応がいたって凡庸。お約束の三角関係と美しいラブシーンが物語の三本柱に入れられてしまった時点でしょうがない展開なんでしょうが。描き方によってはもっときちんと苦悩するザイチェフが見れたのではないかと思うと残念無念。
ダブルスパイ役の子供の使い方はおもしろかったなあと思い返してみると、それでも最後のターニャとのからみがいまひとつだったなあと思ってしまうわけで、ターニャの存在と人間関係がすべて物語を中途半端にさせている要因なんじゃないかと思ってしまったり(極論)。知的で芯の強い女性という設定も、レイチェル・ワイズの顔だちもけっして嫌いじゃないのですが。
世の中にはこの映画に素直に感動する人もいるのだろうということは理解するけれど、わたしはダメですね。まあ、渋谷土曜午後の回でありながら、客席ががらがらだったということを鑑みれば、感動した人はそれほど多くなかったんでしょうが。
『クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』
大熊さんの強烈なご推薦がなければ絶対観なかった映画ですが、これは確かに一見の価値有り。キッズアニメの殻をかぶってやりたい放題やっている、という点では、ポケモン『ミュウツーの逆襲』に匹敵する、というかそれ以上かも。
春日部に突如として出現した「20世紀博」というテーマパーク。ここでは昔のテレビ番組のヒーロー/ヒロインになりきることができたり、昔の町並みが再現されていたりと、大人たちは童心にかえったように我を忘れて大喜び。しかし、子供たちにとってはいい迷惑。大人たちは日に日にのめりこんでいき、ある日、ついにひろしは会社に行かなくなり、みさえは家事をやめ、しんのすけとひまわりは邪魔者扱いされてしまう。大人たちを変えてしまったのは、実は"ケンちゃんチャコちゃん"をリーダーとするグループの陰謀だった。夢と希望にあふれる失われた20世紀に帰ろう、という"オトナ帝国"化計画。「20世紀博」に行ったきり帰ってこない大人たちを取り戻し、21世紀を取り戻すために、しんのすけたちは「20世紀博」に乗り込んでいく。
オープニングにいきなりクローズアップされるのは大阪万博の太陽の塔。ソビエト館だ、アポロ館だ、月の石だ、ってそこで一気に意識がワープしてしまう人はまちがいなく「20世紀博」の虜になる世代ですね(笑)。ひろしが入り浸るのは「70'sの部屋」ですが、70年代に子供時代を過ごした(このページを読んでいる様な)人なら必ず思ったはず。2000年を迎え、2001年を迎え、「あの頃、思い描いた未来はどこにいってしまったのだろう・・・?」って。Personal Computerを駆使し、携帯電話を持ち歩き、気付いてみれば、こんな世界になっちゃったんだなって。
何かを得ることで何かを捨てて来たんですよね、自分も世界も。
でも、ノスタルジーが切なくて甘やかなのは、それが決して取り戻すことができないものだとわかっているから。「未来」なんて知ったこっちゃないですが、でもとりあえず、自分はこの「今」になにがしか愛着がある(他人様にはくだらないことであっても)、と思えることは悪くないのかな。
なんてことを思いながら観てました。
この映画自体はお定まりの家族愛が未来を取り戻すキーになっていて、それはそれで直球勝負の感動的な仕上がりです。
また、単純な構成にはなっていますが、設定のもう一つのキー「臭い」というのも、深読みすると楽しめる深淵なテーマですね。
『ツバル』TUVALU
何が何でも見に行かねば、という衝動に駆られることはめったにない代わりに、そーいう時の作品はまず間違いなく当たりですね。しかもただの当たりではなく、数少ない的の中心にどんぴしゃの大当たり。これは私にとってはそういう映画です。
荒涼とした土地のはずれに建つ古い館。その中にある室内プールを頑に仕切っているのは盲目のオーナー、カール。しかし、実際には、カールの息子アントンと受付係のマルタが、テープレコーダーを使い、いまも繁盛しているかのごとく演出しているのだった。
ある日、老人グスタフとその娘エヴァがプールにやって来る。アントンはかわいいエヴァに一目惚れ。ところが、二人は再開発プロジェクトで住居を失い、アントンがこっそりホームレスに提供している雨しのぎスペースに身を寄せることになる。アントンとエヴァは次第に親しくなるが、アントンの兄グレゴールの策略で、グスタフがプールで事故死。アントンはエヴァの信頼を失い、プールの営業も危うくなってしまう。
最初に「この映画は世界中の人が同じ条件で楽しめるように特殊な言語を使っています。」というテロップが流れます。最小限の固有名詞以外はほとんどせりふはなく、字幕もなし。役者さんのジェスチャーと表情でストーリーが進められます。それでも、きっちり起承転結のついた物語は理解できるし、登場人物の心情もよく伝わってきます。なにより、全然退屈しないのですよね。
独特な色合いの映像は、モノクローム撮影のフィルムを後から色付けしているそうですが、実に美しいです。浪費される饒舌な言葉も、うるさいほどの色の洪水も切り捨てて、本当に必要なものだけを取り出してみせてくれたような、ファンタジックな世界。甘くなり過ぎず、シンプルな中にさりげなく喜怒哀楽と寓話性を折り込んだ、不思議の国。
私が好きな世界はこれなんだよー! と心が叫んでいました。いつのまにか、自分でも気付かなくなってしまうくらい長い間、心がぱさぱさに乾いていたんですね。私が愛してやまないジュネ&キャロ監督の『ロスト・チルドレン』や『デリカテッセン』に相通ずるものを感じました。(あそこまでシュールじゃないですけど。)
この作品が長篇初監督というドイツの新鋭ファイト・ヘルマー、これから先どんな作品を作ってくれるのか非常に楽しみです。
『小説家を見つけたら』Finding Forrester
『グッド・ウィル・ハンティング旅立ち』のガス・ヴァン・サント監督、『恋愛小説家』のプロデューサー、ローレンス・マーク、そして主演はショーン・コネリー。お涙頂戴式ではない、静かなさざ波のような感動がいいです。
バスケの上手なブロンクスの高校生ジャマール・ウォレスが出会った、外出嫌いの謎の老人は、実は処女作でピューリッツァー賞に輝いた後、二度と作品を出版しなかった幻の作家ウィリアム・フォレスターだった。ジャマールは名門私立メイラー校にスカウトされ、バスケット・チームで活躍する傍ら、ウィリアムに文章の指導を受けめきめきと上達する。しかし、ジャマールに偏見をもつクロフォード教授は、ジャマールの作文は盗作ではないかという疑いをかける。二人の対立が深まる中、ジャマールがフォレスターのエッセイを元に書いた作文を教授に提出してしまったことで、ジャマールは窮地に追いやられる・・・。
登場人物のキャラ回りはみんないかにもお約束で、メイヤー校では、ジャマールに敵愾心を燃やすおぼっちゃま優等生が出てきたり、ジャマールの世話を焼いてくれる美少女(アンナ・パキン)が実は理事長の娘だったり。
でも、展開の仕方があっさりしていて、余計なものがない映像は好感がもてます。ごてごてした日常に疲れていると、このシンプルで自然な人間の物語は、安定剤のように心地よいです。2時間ちょっと、映画の世界に入り込んで見ることができました。
ラストの展開は予想できるのですが、あのエンディングの曲を聞いているうちにじーんときてしまいました。
ショーン・コネリーはさすがに貫禄がありますね。ジャマール役のボブ・ブラウンは、役柄と境遇が似ていることもあってか、新人ながら好演。マット・デイモンは友情出演なのかもしれないけれど、それにしても高校生役をやってしまうのにはびっくり。
『アヴァロン』Avalon
押井守が虚構世界をポーランドロケの実写で描く、と言われれば、興味津々。しかしながら、どーも、ほめているんだかいないんだかよくわからない映画評が多いなあ、と思っていたんですが、観てみて納得。
近未来のヨーロッパ。荒れ果てた日常に疲れた若者たちの間で、ネットワーク型の仮想戦闘ゲームが流行っていた。主人公アッシュはその非合法のゲーム”アヴァロン”の卓越したプレイヤー。フィ−ルドクラスAのアッシュは、昔の仲間から、<Special A>と呼ばれる幻のフィールドの存在を知る。プレー中にゲームから脱出できなくなり廃人となっている元チームリーダー、マーフィーの姿をみたアッシュは<Special A>を目指す。
めちゃめちゃ手間ひまかかっている映像だなあというのはよくわかります。もうちょっと早く公開していれば、表面的なところで「もはや目新しくない」みたいなことを言われずに済んだだろうに、とは思うのだけれど。それでもやっぱりすごい。石畳の街並みと戦車の重厚感そのままに、ヴァーチャルなゲーム空間に入れてしまうし、虚構と現実が交錯してわけのわからない状態で、静かに主人公が世界に対峙しているし、好きですね、こーいう映像。
ただし、私は精神的にちょっとやばい時に見たせいで、悪酔いしてしまいました。”『クラインの壷』の悪夢再び”みたいな感じで。なまじ説明がない物語展開の上に、私はゲームはやらないのでそのあたりの引きがないし、映画は基本的に入り込んでみるタイプなので。
ラストはもう一歩突き抜けてほしかったです。まあ、全体として物語的に消化不良なのは、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』も同じだけれど。それにしても脚本、もーちょっと何とかならなかったんでしょうか。
ワルシャワフィルを使った音楽はすばらしい。サントラ買わねば。
この作品を一般の人に勧めようとは思わないという所で、「世界に誇る押井守」と言っても所詮「おたくの神様」という気がするのだけれど。ただ、おたくフィールドから『マトリックス』のような作品が飛び出してくる時代だし、その意味では世界的に幅広く後世への影響を持つ作品だと思うので、要チェックと思う人はぜひ見るべし。
『ギャラクシー・クエスト』Galaxy Quest
『スター・トレック』パロディと聞いていたのですが、おバカ映画かと思いきや、どうしてどうして、なかなかの”感動もの”。
テレビシリーズ『ギャラクシー・クエスト』はかつての人気番組。今でも根強いファンたちは、SFコンベンションで盛り上がり、出演者たちに熱いエールを送る。しかしファンに夢を与える出演者たちは、他では仕事がないおちぶれた三流役者で、「勇気と友情で結ばれたクルー達」という役柄とはうらはらに喧嘩がたえない。そこへやってくるのが一見コスプレおたくのエイリアン。『ギャラクシー・クエスト』を歴史的ドキュメンタリーと勘違いした彼らは、出演者たちに助けを求めにきたのだった。出演者たちは宇宙船プロテクター号に転送され、侵略者と戦うはめに・・・。
「人生、テレビ番組みたいに上手くいかないよ」っていう無気力なあきらめの現実からスタートして、それが、「ただの芝居」でしかなかったはずの世界にほうりこまれて悪戦苦闘しながら本当のヒーローになってしまう。この過程が、笑わせながらも、しっかり人間ドラマしていていいです。そして、この出演者たちの窮地を救うのが、重箱のすみをつつくように『ギャラクエ』の設定研究をしていたおたくたち、という願望充足型ビッグ・プレゼント付き。
この物語の教訓は、
「おたくたるものいつ宇宙の果てからヘルプコールがきても対応できるように準備しておかなければならない」
ではないと思いますが(笑)。
ともあれ、こんなに楽しい夢を見させてくれたこの作品には多大な感謝をこめて拍手を送りたい気分です。「愛がある」という言葉は、しばしばゆがめられて使われるのであまり使いたくないのですが、この作品は、確かに制作者側の愛をひしひしと感じます。”「スタトレ」パロ”という枠を超えて、そこに描かれているものがすばらしい。
アイテムのおかしさは実際見て楽しんでください。
それにしてもシガニー・ウィーバーのあの若さは化け物みたいですね(^^;)。