『タクラマカン』ブルース・スターリング ハヤカワ文庫SF
多分私はスターリング作品のそれほど良き理解者ではないと思うのですが、この短編集では久々に「フロント・ランナーの小気味良さ」を堪能させてもらった気がします。ちょっとユーモラスで風刺が効いていて、小説としてストーリーを楽しみながら同時に社会構造を俯瞰する視点を楽しめるのはスターリングならでは。
背中にうすら寒さを覚えながらもくすくす笑ってしまう、ネットワークものの「招き猫」。ベンチャーの悲哀さとクラゲが空中に舞う図のハイさがうまく描かれている「くらげが空を飛ぶ日」は、ラッカーとの共著ときくとうなずけます。「小さな小さなジャッカル」はほぼ現実の世界を舞台に、元KGB武官で現ロシアン・マフィアとフィンランドの武装ゲリラの女の子と日本のキャラクター・エージェンシーの代理人が集った”オーランド解放作戦”の一幕。正義と信念と政治と資本主義の悲喜劇。かなり気に入った作品です。(メガデスのロゴ入りTシャツ姿のロシア人代議員に受け過ぎ(笑)>自分。)スターリッツシリーズはぜひとも読んでみたいです。
「自転車修理人」はSFマガジンで読んでいましたが、シリーズものだったんですね。「ディープ・エディ」もおもしろかったけれど、私は「自転車修理人」の一拍ずれた間の抜けた緊張感がとても好き。
表題作「タクラマカン」はいかにもスターリングらしいSF。90ページほどの短編で、物語性豊かな展開の後にくる最後の光景のすさまじいことと言ったら! ぞくぞくします。
おそらくSF読み以外の人が手に取ることはほとんどないのではと思いますが、非常にもったいないです。ここに収められている作品は、エッジの効いたユーモアを解し、ちゃかちゃかしたキャラクター小説は鼻もひっかけないような「大人」にこそ読んでほしい作品という気がします。
『フリッカー、あるいは映画の魔』セオドア・ローザック 文春文庫
98年度ミステリ・ベスト1に輝いた作品なので、何を今さらという感じですが。文庫になってすぐ買ったんですが、途中で息切れしてしまって、投げ出してあったんですよ。ところが、『真夜中に海がやってきた』を読んでいる最中に、そーいえば、あれはどういう結末なんだろう? と無性に知りたくなって、再開してみました。そしたら、下巻はもう一気読み。なるほど〜、確かにベスト1も納得だわ。
怪奇B級映画監督マックス・キャッスル。ホラーでスプラッタでポルノなキャッスルの映画に何か得体の知れない邪悪さを感じるのはなぜなのか? UCLAの映画学科生だったジョナサンは、場末の映画館の経営者の片割れクレアに出会い、映画評の何たるかを吸収していく一方、マックス・キャッスルを忘れられず、彼を研究テーマとし、彼の軌跡を追い続けることになる。
映画は好きだけれど蘊蓄はないので、前半は「ふーん」という感じでしたが、後半は、な、な、なーんと、中世異端派教団の話に・・・。それが、歴史のお話に終わらない展開にはいやはやびっくり。真しやかな虚構世界に見事迷いこまされました。小説の醍醐味とはこのことですね。
エーコの『フーコーの振り子』あたりがお好きな方はぜひとも読むべきでしょう。(ってその筋の方はすでに読んでいるでしょうが。)
『真夜中に海がやってきた』スティーヴ・エリクソン 筑摩書房
「誰もがみずからのミレニアムなんだ、と男はいう。
そうよ。
誰もがみずからのカオスの時代だ。誰もがみずからのアポカリプスの時代だ。
いいえ、と少女がいう。アポカリプスの時代なんてないわ。誰もがみずからの意味の時代なのよ。
それならば、と男は問いただす。おれの意味とは何だ?(本書p.222-223)」
うぬぬぬぬ、唸りたくなるほどすごい作家である。
歴史という時間と世界という空間を縦横無尽に幻視させる作家エリクソンですが、今回は現代の黙示録(アポカリプス)と新世紀神話とでもいうべき時空を料理してみせます。
物語は、歌舞伎町で客と記憶を交換することを生業とするメモリーガール、クリスティンの想い出から始まる。北カリフォルニアでカルト教団の集団自殺を逃れたクリスティンは、偶然見つけた個人広告によって「居住者」と同居することになる。「黙示録学者(アポカリプトロジスト)」と名乗った「居住者」は、カオス的な事件の日付けからなるアポカリプスのカレンダーにとり憑かれている。
クリスティンが来る前に、子供を身ごもったまま「居住者」の元を去ったアンジー。かつてアンジーを愛し、ニューヨークの「狂気の地図」を作ることにとり憑かれたカール。ニューヨークで”殺人ポルノ”の脚本を書き、夫ミッチェルと映画製作を行っていた過去を贖うために、黒く塗ったパラボラアンテナを積んだトラックを走らせるルイーズ。ルイーズの黒いパラボラアンテナを白いパラボラアンテナに交換して回る日本人のヨッシーは、合衆国西部のタイムカプセル墓地から盗み出した記憶の断片がつまったカプセルを母国に密輸している。
物語が進むにつれてこれらの登場人物たちの関係は、『マグノリア』も真っ青というほど、きれいに一本の線でつながっていきます。
この作品は1999年に書かれたことが意味をもつことはいうまでもないですが、西暦に縛られたミレニアムの否定から始まり、個々人それぞれのミレニマムの探究の物語になっています。
狂気の時代に救済はあるのか? 生きることに意味があるのか?
その問いに希望のある答えを見い出すことはいかにもしんどい。そのしんどさを深く深く受け止めた上で、これだけ力強い物語が描けるというのは驚異ですね。
「夢」「銃声」「青いドレス」「黒い時計」「洪水」・・・エリクソンの作品に出てくるキーワードが今回も点在しています。他の作品の幻視の記憶も重ねながら、言葉が紡ぎ出すイメージ豊かな描写を堪能しました。
物語の進行上くるくる変わる視点と時制についての解説が訳者あとがきにありますが、物語の舞台が転々とするのはエリクソン作品ではお馴染みですし、現代が舞台で「東京」も出てくるということもあり、エリクソンの作品の中では親しみやすい作品という印象があります。(あくまで比較の問題ですが(笑))ヒトラーお抱えのポルノ作家がでてくる物語(『黒い時計の旅』)や、もうひとつのアメリカ史(『リープ・イヤー』『Xのアーチ』)などよりは、この作品からエリクソンに入ってみるというのも悪くないかなという気がします。
この作品にでてくる「東京」はギブソンの「チバ・シティ」を凌駕するデフォルメさ加減と文学的描写が美しいです。「天皇が国民に向かって自分が現人神でないことを告げたとき」以前は無かったものとして生きてきた日本人が「二十世紀博」として半世紀を懐かしむ映画(『クレヨンしんちゃん/嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』)を見た直後には、余計に興味深いとも言えますね。
わたしてきには「今年の一作」と言われたら、この作品抜きには語れないという作品です。
『SF Japan [MILLENNIUM:02]』 徳間書店
「日本SF大賞&新人賞特集号」ということですが、個人的な目玉は宮部みゆきの巻頭中編「ドリームバスター/ジャック・イン」ですね。この作品は「週刊アスキー」と<<e-NOVELS>>同時連載の「ドリームバスター」のプロローグ編になるそうです。RPG風の設定とは一体どんなことになるのかと思っていましたが、さすが宮部みゆきの文章力をもってするとうまくのせられてしまいますね。ふき出しながら気楽に楽しめる作品。続きが読みたいです。(しかし、リリアンを知っているか否かで世代がわかれる気がする(笑)。)
「星に願いを ピノキオ二〇七六」(藤崎慎吾)は『クリスタルサイレンス』の世界と繋がる物語。「レフトアローン」でも思ったけれど、この人は短編の方がきれがあっていいですね。
日本SF新人賞受賞の二人の短編はそれなりに文章力があるなあという感じ。「獣のヴィーナス」(谷口裕貴)は、大原まり子を彷佛させるけれど、最後の救いのなさ加減がいいですね。
SF新人賞最終選考会の記事を読むと『象のいる街』を読んでみたいなあと思います。
あと、山田正紀、笠井潔、巽孝之による対談「SFは何と戦ってきたのか?」はおもしろかったです。この対談と上遠野浩平と三雲岳斗の対談「サイエンス・フィクションのいくつかの聖痕」が同時に掲載されているところがこの雑誌のおもしろさですよね。