東武沿線富士塚

花又富士・保木間富士・島根富士・小右衛門富士・西新井富士

裏側から眺める花又富士は均整が取れて美しい



【行程】 7/8(日)曇りのち晴れ [鬼怒川温泉8:40=(東武)=谷塚10:41−花畑浅間神社11:02−花又富士11:03−保木間氷川神社11:29−保木間富士11:31−島根鷲神社11:49−島根富士11:51−小右衛門稲荷神社12:11−小右衛門富士12:13−西新井浅間神社12:43−西新井富士12:44−西新井13:06/13:44=(東武・東京メトロ・東急)=たまプラーザ13:52]
【メンバー】 隊長



【花又富士】はなまたふじ
 2万5千分1地形図(草加)

国土地理院発行の2万5千分1地形図(草加) ○先週のお山開きに続き2週連続で富士塚巡りです。今回は東武スカイツリー線(旧伊勢崎線)の沿線にある5つの富士塚を訪問します。土曜日に鬼怒川温泉で宴会があったので、翌日の帰りに立ち寄ることにいたします。谷塚駅からのスタートですが鈍行しか停まらないので、特急、急行、各停と乗り継いで参ります。




浅間神社には本殿が無く、富士塚が社名の野浅間○谷塚駅を降りると朝方の雨は上がって曇り空でした。本日もポケナビをお供に散歩モードです。南下して毛長川を越えると埼玉県から東京都の足立区となり、整然とした区画に花畑団地が連なります。保育園の向かい側に浅間神社の入口がありました。参道を西に向かい、途中で直角に曲がり北進します。鳥居を潜ると階段の上に立派な富士塚がありました。




○どうやら古墳を改造して出来たようで、結構な高さがあり実に堂々とした外観です。まずは正面から登りましょう。コンクリートで固められた登山道は歩き易く、すぐに山頂に立つことができました。そこからは左右に2本の下山路が分かれます。なぜか右の方を選び裏側に降り立ちました。後ろから見た姿も均整が取れてなかなか美しい富士塚でした。




○この神社には本殿がありません。富士塚の山頂に祭ってある浅間社をそのまま社名としている「野浅間」といわれています(説明版にそう書いてあります)そういうわけで神社といっても公園のような明るい雰囲気の一角で、聖域を感じさせるようなパワースポットではありませんでした。






【保木間富士】ほきまふじ
 2万5千分1地形図(草加)

○まず花畑公園の脇を南下し、右折して日光街道を歩道橋で越えます。この辺りで太陽が顔を出し始め、アスファルトに濃い影を落とします。初夏の直射は強烈でしたが、時々涼しい風が吹くので助かります。路地に入って行くと、小学校の手前が氷川神社の入口です。正面の本殿まで長い参道が続きます。本堂には夫婦連れが参拝していました。続いて隊長も手を合わせます。




登山道は落ち葉に埋まり登りにくい○富士塚は本殿の左手奥にありました。小ぶりの塚でしたが、荒々しい溶岩で覆われた姿は好印象です『子供は遊びで登ってはいけません』との注意書きがありますが、大人ですから許してもらいましょう。人の通らない登山道には落ち葉が積もり歩き難い道でしたが、何とかバランスを取りながら山頂に辿り着きました(スニーカーを履いていて良かった)




○ところが驚いたことに山頂の祠には「榛名神社」と書いてあるじゃありませんか。ここは富士塚では無い??下山してから注意深く石碑を見ましたが、榛名山と富士山とが混在しています。そうであれば富士塚といってもバチはあたりませんよね(そもそも榛名山として築かれたものが、富士塚に改造されたというのが真相のようです)




山頂には榛名神社の名前が?







【島根富士】しまねふじ
 2万5千分1地形図(草加)

小ぶりの富士塚は重要視されていない? ○旧日光街道を南下し、島根鷲神社の看板に導かれて右折します。すぐ右手に神社が見えてきます。広い境内には立派な本殿が建っていました。島根という名前から連想されるように出雲大社のような造りです。正面広場の左手には社務所もある大きな神社でした。縁起を紐解けば1318年中興の古い歴史を持ち、今でも地元で大切にされているようです。




大社造りの堂々たる本殿○富士塚は本殿の左奥にありますが、三峰社との間に挟まれて参道はあまり整備されていません(歴史のある神社の中ではそれほど重要視されていないかも知れません)ぬかるむ道を進むと、鳥居の奥に小さな塚が認められます。溶岩の上を数歩歩くと、登頂はあっけなく完了してしまいました。




○石碑によれば島根村の若者たちは、成人行事として荒川の向こうの千住大川富士まで参詣に行ったそうです。困難な旅を終えると顔つきまで精悍になって帰って来たとのことです。その報告をしたのが島根富士塚だったようです。





【小右衛門富士】こえもんふじ  2万5千分1地形図(草加)

塚というよりは単なる植え込み ○再び旧日光街道を南下して環七を越えます。左折してタクシー会社の隣が小右衛門稲荷神社の入り口です。参道は左に90度折れ本殿へと続きます。本殿の右隣にある倉庫では氏子たちが夏祭りの準備をしていました。神輿がどうのと賑やかです。




山頂には大きな石が載っている○富士塚はその右手にありました。今までの塚とは違い溶岩の山ではありません。わずか1mほどの草木が茂った丘にすぎません。でも石碑が林立しているので間違いはないでしょう。参道には1合目から合目石が連なりますが、緩い登りを10歩ほどで山頂にたどり着きます。山頂には大きな自然石の石碑が横たわっていました。




○でも山開き直後だというのに草ぼうぼうとは悲しい限りです。氏子のみなさんには夏祭りの準備も結構ですが、もう少し富士塚にも愛情を注いでいただけたらと思います。草刈をして綺麗な富士山にしたら参拝客も増えようというものです。隊長は少し悲しい気持ちで神社を後にいたしました。







【西新井富士】にしあらいふじ
 2万5千分1地形図(草加)

天保14年と刻まれた石碑富士塚は何処だ!3段の階段がそう? ○次の西新井浅間神社へは環七を西進します。ところが東武線を跨ぐ陸橋を越えるのに一苦労です。車でしたら問題なく直進ですが、歩道はいったい何処にあるのやら。一時は西新井駅まで迂回しないといけないかと心配しましたが、線路脇に階段を発見し何とか越えることができました。西新井大師の参道ではヨサコイソーランのような派手なパフォーマンスのお祭りが繰り広げられ大変な賑わいです(よさこいフェスタ)




○幸い浅間神社への道は影響を受けていません。環七から少し入ると静寂の路地となりました。前方に鳥居が見えてきましたが・・・『こりゃ、何か変!』鳥居の向こう側には本殿がなく小さな祠があるだけです『それにしても富士塚はどこだ〜?』確かに祭ってある社は富士塚の頂上のものと同じ形です(少し大きめですが)若しかして手前にある三段の階段がそう???




○富士講の石碑が脇に建っているので間違いないでしょう。一部破損はしていますが、小さな石碑には天保十四年の文字も刻まれていました。やはり歴史のある富士塚だったのですね。現状を富士塚というには相当無理がありますけど・・・まぁ石碑に免じて富士塚に登ったということにしておきましょう。




○最後の西新井富士には若干の不満は残りますが、何とか無事に東武沿線の5つの富士塚を巡りました。これらは狭い範囲に固まっていますので効率的に回れました。7月の梅雨の中休みでしたが時々吹く涼風に助けられて、コンクリートジャングルを熱中症にならずに歩き通すことができました。わずか2時間半の旅でしたが、西新井駅前の雑踏に足を踏み入れると、タイムスリップから戻ったような気分になりました。冷房の利いた店で食事してから、中央林間行で一気にたまプラーザまで帰ります。