日和山

護岸の小山は跡形もなく流されていたが・・・・真新しい山頂標識と小さなケルンが積まれていました



【行程】 6/19(水)曇り [仙台14:34=(市営バス)=中野新町15:09−日和山15:37/15:39−中野新町16:16/16:44=(市営バス)=陸前高砂16:47/16:53=(JR)=仙台17:08]
【メンバー】 隊長


【日和山】ひよりやま  2万5千分1地形図(塩竃)

国土地理院発行の2万5千分1地形図(塩竃)



○日和山は仙台湾岸の蒲生干潟にあり東日本大震災の影響をもろに受けました。かっては日本一の低山だった日和山ですが、津波によって跡形もなく流されたと聞いています。あれから2年と3カ月が経ち、港湾部では復興の槌音も聞こえ始めています。今では仙台の中心部では震災の爪痕が感じらないほどですが、沿岸部は壊滅的な被害を受け復興もままなりません。


辛うじて残った神社周辺の松小さなケルンに石を積み日和山の復活を祈念する○蒲生行のバスは高砂橋から先は運行休止中です。運転手に聞いて中野新町で降車します。沿岸部は地形が変わっているかも知れません・・・GPSを頼りに進みましょう。ここから2.7Km先が目標地点です。高砂橋からは七北田川の堤防上を東に向かいます。道路のガードレールはひん曲がり、所どころで路肩は崩れています。


○始めは新しい住宅が建っていましたが、途中からは被害に遭った住宅だけが残されています。1階部分が水没してメチャクチャですが2階の被害は少なそうです。さらに進むと何もない草原となります。よく見れば夏草の影に住宅の基礎が残り上部構造は全て片づけられています。公園には慰霊碑が建てられ線香の煙が絶えることはありません。


○海岸近くで美しい松並木だった所には数本の松が残るのみです。水たまりを避けながら海に向かって進むと、護岸工事が為された海岸に出ます。GPSに示された場所には何もありません。小高い土饅頭は根こそぎ流されていて、14段あった階段の影も形もありません。ただひとつ「日和山」の看板が立っていました。きっと地元の方々が復興を願って立てたものでしょう。その横には小さなケルンが積まれていました。


○余りの惨状に茫然自失の隊長は海に眼を転じます。かっては野鳥の楽園だった葦が繁る干潟は、津波に抉られて以前の面影はありません。でも曇り空に響き渡る鳥の声は意外に濃く、自然復活の兆しが見えています。隊長は路傍の石をケルンに積み上げ、日和山の復活を心から祈念しました。震災で亡くなられた方々のご冥福を祈りつつ日和山を後にいたします。