2001年公開映画から(後半)




『ハリー・ポッターと賢者の石』Harry Potter and Philosopher's Stone
 原作に忠実に作られた映画。
 よく出来てるなーと感心はするんですが、それ以上ではないな、と思うのは、わたしの原作に対する感想そのままですね(^^;)。
   いや、実際、キャストといい、舞台といい、一つとして幻滅するところがないというのは、本当にすごいことで、よくがんばったなあという感じがします。特にハリー・ポッター役の子はよく見つけましたよね。食堂のシーンもすごいし、なにより、クィディッチの試合のシーンは大迫力。これだけでも観る価値はありますね。
 ただ、2時間半はやっぱりちょっと長い。ストーリーを知っているせいもあるのかもしれないけれど、クィディッチの試合の後かなりだれました。
 あと、原作を読んだときにはスリザリーの汚い手口の描写がかなりあったせいかあまり気にならなかったけれど、映画だと、最後の寮対抗の得点発表は、なんだかいかにもハリーポッターをえこひいきという感じがして、素直によかったねーという気にはなれませんでした。

 まあ、老若男女問わず楽しめるという点では、第一級エンターテイメント映画に名を連ねることになるのでしょうし、すでに第二弾の映画化も決定しているそうで、ハリー・ポッターブームはまだまだ続くのでしょうね。



『アメリ』Amelie
 感想はこちら



『ムーラン・ルージュ』MOULIN ROUGE
 (ほめていないので、先入観なしで観たい方は読まないことをお勧めします。)

 ニコール・キッドマンが売れっ子の踊り子(で高級娼婦)の役、彼女に恋する貧しい詩人&作家の役をユアン・マクレガーが演じるというから見に行ったのですが、あんなにミュージカル仕立てだったとは。。。

 ストーリーはお定まりのお金をとるか、愛をとるかの三角関係のあげくに不治の病という悲恋もの。
 オープニングで、ディズニーランドテイストというかテーマパークテイストというか過剰なウエルカムを感じて、ちょっと嫌な予感がしたんですが、それでも、”ムーラン・ルージュ”のショウのシーンに入ると、ニコール・キッドマンはそれはそれは美しいし、プロポーション抜群だし、まあ悪夢のようなカット割りもとりあえず我慢するかという心境に。

 問題は、その後繰り返される、サティーン(ニコール・キッドマン)とクリスチャン(ユアン・マクレガー)がミュージカル方式を愛を語っちゃうシーンですね。確かに二人とも役者としては、歌が上手いです。でも、それはあくまで役者の余興として上手いって話で、ミュージカル映画で主役をはれる歌の上手さではないのですね。ミュージカルというからには、音をはずさない、多少声量がある、くらいじゃ不十分で、歌で演技してくれないと困るわけですよ。特にユアンはここぞというところでリードをとって歌うシーンが多いので、目立ちます。みんなが知っている曲の方が親しみやすい、と踏んだのかも知れないけど、原曲が耳にしみ込んでいると比較されてつらいし。エルトン・ジョンに対抗するのは無理だわさ。メドレーのアレンジもわたしてきにはいまいちで「ALL YOU NEED IS LOVE」が入るタイミングなんか、その場で沈みこんでしまいそうでした。ダサい、ダサ過ぎる。

 あとは我慢大会かと半ば諦めムードだったんですが、後半のパトロン公爵&サティーンが過ごす一夜を待つ場面で、一人のダンサーがタンゴを踊り始めるシーンは圧巻でした。ポリスの「ロクサーヌ」のアレンジで、情感びしびし伝わってくる”演技”で、すごかったです。ユアンはどうでもいいから、ダンサー達だけ写してくれ! みたいな(^^;)。
 その後の、"The Show Must Go On"も迫力ありましたけど。

 主役二人のシーンで盛り上がれなかったのが第一の敗因で、それに加えて、テンポの早いところは忙し過ぎるし、テンポのゆるいところはタル過ぎる、という、感じで、全体のトーンもわたしのテイストとは合わなかったなあ。

 今回でよくわかりましたが、わたしはユアン・マクレガーが演じていた役が好きだったんであって、ユアンがでてればそれだけで幸せ(はーと)というほどのカリスマ性は全然感じないんですね(笑)。



『怪獣大決戦ヤンガリー』YONGGARY
 なんでわたしが韓国の(正確には韓米合作)怪獣映画を観に行ったかというと、この映画のオリジナルテーマソングを担当したのが大槻ケンヂ率いるロックバンド”特撮”だったからで、その曲の歌詞をきくと誰だって「一体どんな映画なんだろう?」と思わずにはいられないものだったからなんですね。で、歌詞の元ネタチェックに出かけていったのですが、いや〜、笑った、笑った。

 ストーリーは、巨大恐竜の化石を発掘したら、実はそれは2億年前に宇宙人が封印していった怪獣で、宇宙人が宇宙船で地球を侵略しに来て、その化石怪獣ヤンガリーが生き返って、宇宙人の手先として暴れ出すという話。って書くと、いかにもばかばかしいお話ですよね(笑)。
 ところがどっこい、ただでは起きぬ、というか、「Tフォース」という人間兵器(というかロケッティアというか)みたいな特殊部隊がでてきちゃったり、悪者だったはずのヤンガリーがいつのまにかガメラしちゃったりと、驚愕の展開。たしかにタイトルは「怪獣大決戦」だったんだよね、って後からしみじみ思いましたが(笑)。

 そりゃ、突っ込み入れ始めたら、この映画、お話にならないですよ。でもね、なんかこの監督さん、日本の特撮映画観て、自分もこーいうの作りたい!って思っちゃったんだろうなあ、みたいなところが随所に見えてしまって、うんうん、わかるわかると(笑)。

 歌詞の話しに戻ると、わたしはあらためて大槻ケンヂの才能を見直しちゃいました。やっぱりセンスあるよねー、あの人。わずか100文字足らずで、この100分弱の映画のエッセンスを凝縮してしまうわけだから。知らないと、ふーん、で終わる普通の単語の羅列だけど、映画観た後に「そうだったのかーーー!!!」と開眼させられるし、また映画の最後の最後までネタが割れないようになってるし(笑)。

 なんか思ったより笑かしてくれて、楽しかったです。
 あれだけ前振りしてあるんだから、ここは一つ「ヤンガリー2」を作ってもらうしかないですよね。で、もって次回も主題歌は”特撮”ってことで(笑)。

 これから観にいかれる方は、ぜひとも”特撮”のCDを買って(アルバム『Agitator』でも、マキシシングル『ヨギナクサレ』でも可)、「予習」してから行くと、映画が10倍楽しめます(笑)。



『陰陽師』
 期待値が低かったので、思いのほか楽しめてしまいました。(元は十分取れた(^^)v)
 なにがおもしろいかって、それはもう、清明役の野村萬斎が立ち居振る舞いの美しさでスクリーンを彩り、陰陽師の長でありながら邪へと身を落とした敵役・道尊を演じる真田広之が、一瞬清明を食うほどの迫力で演じ切っているところ。ラスト付近の対決シーンなんて、ほれぼれするくらい絵になります。思わず「そこだけ巻き戻してもう一度!」と叫びたくなったくらい(笑)。

 え? ストーリーですか? それはもう清明VS道尊の物語ってことで(笑)。あ、キョンキョン? はい、いい女優さんになりましたね〜。博雅はどうしたかって? いましたけどね、でも、できればいなかったことに・・・。写真だけみると伊藤英明も悪くないんですが。脚本に無理があるところのしわ寄せが、それを跳ね返せない博雅の所で目立つということもあるのかもしれないけれど。清明と博雅の関係をあんなに短期間の話で描き切るのは無理があるし。

 セットとか小道具とかはそれなりにお金がかかっているので見るからにちゃちいということはないですし、いかにもオカルト・伝奇ものらしいCGの使い方とかも、まあ、忘れてしまえばいいと(爆)。
 ということで、野村萬斎と真田広之の演技という点ではぴかいちの映画でした。



『千と千尋の神隠し』
 とっても楽しい映画を観た〜!

 これだけで感想終わっている気がしますが(^^;)。
 『もののけ姫』で袋小路に入り込んでしまった宮崎監督の最新作はリセット効果抜群の会心作。ていねいにつくられた大人も子供も楽しめる冒険もの。大人のロジックがみえるところは、まあしょうがないのかな。でも、世界は子供中心に動いているわけではない、っていうのを、履き違えている親子も時々いるし、これはこれで、きちんと物語られているんだと思います。
 愛すべきキャラクターたちもしっかり役割が振られているし、神様たちとか、変な生き物たちとか、宮崎アニメらしくていいですね。CGが使われているところで、若干違和感のあるシーンもありましたが、海のシーンなんかはすっごくきれいで私は気に入りました。

 p.s.
 ハクを見ながら「アキラくんが、アキラくんが・・・」と口走りそうになった方はお友達ってことで(笑)。



『カウボーイビバップ 天国の扉』(試写会報告編)
 長らく待たされた映画「カウボーイビバップ」ですが、この度やっと上映のメドが立ち、9月公開予定となりました。公開に先駆けて8/4九段会館にて試写会が行われましたが、50枚葉書を出したというありがたいご友人さまのおかげで私も行くことができました。

 参加者は思ったより年齢層が上でちょっとびっくりしたんですが、その筋の若い子たちは来週コミケがあるので来れる人が少ないはず、と言われて納得(笑)。ジェット役の石塚運昇宛に、角川書店の献花より大きな花を送ったファン有志のみなさまとか、世の中、上には限り無くいろんな人がいるのねー、と思うことしきり。
 舞台挨拶は、山ちゃんことスパイク役の山寺宏一の「オッハー」に始まり、実物も細ーくて「いい女」の林原めぐみ、しぶーい運昇さん、「ヤッベー」を連発する多田葵。そして、プロデューサー、監督。「劇場ではバージョンアップ版をお届けします」って、よーするにまだ積み残しがあるってことで(笑)、渡辺監督が具体的なシーンを教えてくれましたけど。(もちろん色が付いて無いとかそーいう上映するのに支障があるようなものではありませんでした。)

 で、いよいよ上映。
 もー、しょっぱなからかっこいいカットの連続で、「わー、ビバップだーーー!!!」と叫びたくなる衝動に駆られました。TV版を観てから時間がたっているので、自分の盛り上がりとしては寝ても醒めても「ビバップ」という感じではなかったんですが、いざ観てみると「私、こんなにスパイク好きだったんだー」とか思ったり。
 「ビバップ」の魅力ってやっぱりかっこつけだと思うんですよね。作り手がどんなものを「cool!」と思っているのかはわかり過ぎる程わかるんですが、それを観たい!と思う観客の期待を裏切らないところがうれしいです。
 スパイクの格闘技あり、ソードフィッシュの空中戦ありで、特に後者は壮絶なスピード感の大迫力ものなので、絶対にスクリーンで見るべき。
 シートベルツの音楽も今回さらに磨きがかかって、めちゃめちゃかっこいい使われ方をしているので、こちらもお楽しみです。
 
 一ケ所お遊びシーンがあって、私としては試写会場が笑いの渦に巻き込まれてほしかったんですが、今一つ反応が地味だった。(うちらは呼吸困難に陥りそうだったんですが(笑)。)みなさま、劇場ではよーくチェックしてください。

 ということで宣伝バージョンはこれくらいに。劇場公開後にあらためて映画の感想は書く予定(は未定(笑))。前売券の枚数からいって私はあと2回は劇場でみます(爆)。



『A.I.』
 ブライアン・オールディスの短編「スーパートイズ」を元に、故スタンリー・キューブリックが映画化を予定していたものをスティーブン・スピルバーグが引き継いで自作用に書き直して完成させた作品。
 近未来。地球温暖化の影響で、両極の氷河が溶け世界中の多くの都市が水没し、人口・食糧問題も深刻になっている。人口知能の開発を手掛けてきたサイバトロニクス社は、子供が親を愛するようにプログラミングされた新型ロボット“デイビッド”を開発する。開発者のホビイ教授は、子供が難病で冷凍保存されいているヘンリイとモニカを、この“デイビッド”のテスト先に選ぶ。モニカは戸惑いながらもデイビッドを受け入れるが、実の子マーティンが奇跡的に回復し、家に戻ってきたためデイビッドの居場所はなくなっていしまう。モニカはデイヴィッドの廃棄を決意するが、サイバトロニクス社に連れていく手前で、森の中にデイヴィッドとテディを捨てて去って行く。
 後半は人間になりたいと願うデイヴィッドの冒険談。

 あー、気色悪い映画を観た。
 考証厳密派ではないので、何か納得できるものがあれば、多少の設定の荒さとかには目をつぶる方なんですが、この映画にはそーいうものが見つかりませんでした。(突っ込み書くのも面倒という感じ。)
 デイビッドってかわいいですか? 私には壊れたロボットにしか見えませんでした。。。それはもちろん、デイビッドのせいではなく、創った人間のせいなのだけれど。「親に愛情をもつ子供」というコンセプト自体そもそも間違っていると思うのですが、”子供を亡くした悲しみのあまり創ってしまったマッドサイエンティスト”っていうならまだしも、ホビイ教授はデイビッドを量産しようとしてるんですよね。実験体としてデイビッドをみている人間が創った「愛情」プログラムなんてそりゃおかしくて当たり前かもだけど。親の愛も子供の愛も突きつめればエゴです。人間同士はエゴのぶつかり合いでしょうがないと思うしかないのだけれど、代用品に求めるものは、エゴじゃなくて、表面的な「かわいさ」であり「やさしさ」でしょ。「僕を愛して」って言い続けるプログラムなんて別名ストーカープログラムじゃないかと。最後だって、"His dream comes true" かなにかしらないけど、デイビッドが女の子だったら、絶対あーいう映像にならないわけで、「もー、このマザコン映画にはうんざり」でした。
 それはお前が子供を産んだことがないからだ、と言われれば、そりゃ私にはわかりませんわ、というしかありませんけどね。

 だいたい私「ピノキオ」って嫌いなんですよね。「いい子になったら人間にしてあげる」って、「人間ってそんなにいいものなの?」と幼な心に思った記憶が・・・。だからブルーフェアリィは偉ぶってて(という語彙力は当時はなかったけど)嫌い、と思ってたし。
 あ、もしかして「ピノキオ」に泣ける人は「デイビッド」にも泣けるのかしらん。何が気持ち悪いって、『A.I.』見ながら泣いてる人(自分の子供なんかいそうにないほど若い女性多し)ほど気持ち悪いものもなかった。自分のエゴにも他人のエゴにも寛容なのねー、と思ってしまうのは失礼かもしれないけど。

 意図的に『2001年宇宙の旅』はじめキューブリック作品を踏まえたシーンが挿入されているのはわかるけれど、そーいう類いのものは本編がそれなりにきっちり出来ていて初めておもしろいと思えるわけで、そこだけ取り出して愉しみを見い出すほどオタクじゃないし。

 唯一観た価値があったのは、ジュード・ロウ演じるセクサロイドのジゴロ・ジョー。あーいう役はぴったりだわ。必然性はまったくないのに、月をバックにポーズをとるカットは最高でした(笑)。



『レクイエム・フォー・ドリーム』REQUIEM 4 A DREAM 
 『π』のダーレン・アロノフスキー監督の新作。
 ストーリーは思いっきり救われないです。ヤクで金もうけして、ガールフレンドとお店をもとう、と甘い夢を持つ主人公くんは、相棒と危ない橋をわたり損ね、ガールフレンドもヤクのためなら「何でもする」という所まで落ちてしまい、孤独な主人公の母は、TVに出演することを夢見、ダイエットの果てにこちらもピル中毒になってしまう。

 なんでこんな映画を見ているんだろう? と思いつつ、目が離せないのはやっぱりアロノフスキーの映像のマジックのせいかな。分割スクリーンのみせ方やジャンプカットのスピード感はすごい。どちらかというと、物語としての映像より、切り取られたエッジの効いたカットの方がわたしにはおもしろい。

 ただ、『π』から想像したのは、もっと現実と非現実の境目がわからなくなるような映像だったのだけれど、意外と、きっちり現実に根ざした映像でした。幻覚シーンもあるけれど、それは幻覚としてきっちり認識できるので。私にとっては『π』の映像の方が衝撃的で、『レクイエム』は見れば見る程、どんどん冷めてゆく映画でした。

 主人公役のジャレッド・レトは確かに母性本能くすぐりタイプかもしれないけれど、彼目当てに見に行くとつらいでしょう。ジェニファー・コネリーは、こんなんばっかり出てると「色」がついてしまう気がするけれどいいんでしょうか(笑)。彼女は不幸そうな表情がとても美しいと思いますが。

 期待とはちょっと違う作品だったけれど、「盆栽をテーマにしたSF作品を考えている」なんてインタビューで言われると、やっぱり今後も目が離せないアロノフスキー監督だったりします。



『ELECTRIC DRAGON 80000V』
 暑さをぶっ飛ばすごっ機嫌な怪作!
 『五条霊戦記/GOJOE』の石井監督が撮った浅野VS永瀬対決。劇画チックでシャープな映像に轟音エレキギターが炸裂するハイパームービー。

 浅野忠信が演じる竜眼寺盛尊は「電気に感応し爬虫類と心を通わせる男」。子供の頃に鉄塔での感電事故により、脳の「爬虫類的な部分」が目覚めると同時に、80000Vの帯電圧をもつ身体になってしまった。普段は爬虫類専門のペット探偵、キレそうになると自己発電でエレキギターをかき鳴らす。
 竜眼寺盛尊への挑戦者、永瀬正敏演じる雷電仏蔵は「電気を修理し怪電波をキャッチする謎の男」。彼も幼いころ落雷に打たれ、半身仏像となったらしい。表の顔は電気屋さん、裏の顔は違法電波を利用した悪巧みに鉄拳を下す成敗者。

 要するに二人の対決物語なんですが、せりふは極端に少なく、前半は謎めいた雷電や「街の死角」のミステリアスな映像、後半は怒濤の火花バチバチの決闘シーン。いやはや、すごい、すごい。浅野忠信がVo.&Gを担当するMACH1.67の演奏する音楽がまたすごくて、せりふが少ない分、BGMというより音楽で表現しているところも多く、その部分もすっごく楽しかったです。55分の疾走感がたまらないです。
 ナレーションには舟木盛勝、竜眼寺盛尊のトレードマークTATTOOデザインにひろき真冬、を登用しているあたりにもこだわりが感じられます。

 私はたまたま映画館のチラシで見つけたので、一体どういう媒体で宣伝されているものなのかわからないのですが、私が見た回の客層には、「復刻版ミクロマン、エレクトリックドラゴン80000ボルトセット」というのがお目当てなんじゃないかと思われるオタクっぽい男の子が多かったような気が・・・。わたしてきには、どっちかっていうと、「ミシェルガンかっこいい!」とかいう層にも見てもらいたいのですが(笑)。

HOME