『ブーイングの作法』佐藤亜紀 四谷ラウンド
『わたしは幽霊が怖い』に続く佐藤亜紀エッセー集、第二弾。
前半は主にオペラに関する話題、後半は映画の話題です。
オペラといえばやっぱり『戦争の法』の「伍長」ですなあ・・・。『リ・ゴレット』を見て、「復讐だ」のコーラスがえらくイメージと違う明るいノリに驚いたこともありましたが(^^;。
それはさておき、前半でいっちゃん笑えるのは、「これを真に受けたら確実に道を誤る! 正しいオペラの遊び方」でしょう。オペラおたく、もとい「師匠」の登場。「馬鹿ばかしくも読みごたえのある見識と蘊蓄」に絶妙な茶茶入れ。下手な漫才よりよっぽどおもしろい、とはこのこと。”ヴェルディの『トリスタン』”にはもう大爆笑。華やかでとっとと展開する旋律が聞こえてくるようで(笑)。やっぱり耽溺ワーグナーはいいですわ〜。
後半の映画の話は、これまた密かに各人ほくそ笑みながら読めばいいものだと思いますが。「『フランス軍中尉の女』しか見てないけど、ジェレミー・アイアンズってそーんなにかっこよかったかなあ・・・」とか、「アンソニー・ホプキンズはやっぱりあの目よね」とか、「そーいえば『エドワードII』は見逃していたけれど見ておくか」とか。『デリカテッセン』や『フィッシャー・キング』への言及があるところもうれしかったのですが、”『プロスペローの本』のこてこての映像に惚れました>ピーター・グリーナウェイ”な私としては、『建築家の腹』なる作品を何としても見なくては!と心に誓ったのでありました。
まだまだ世の中味わっていない楽しみが多々ございます(笑)。
『quarter mo@n クォータームーン』中井拓志 角川ホラー文庫
『レフトハンド』で進化物ホラーを楽しませてくれた中井拓志の書き下ろし長編。
岡山県久米原市内の新興住宅地を学区とする立見台中学校。その女子生徒二人の自殺を契機に一週間後に女性教師の自殺、さらに数日後立見台中学の生徒4人とその友人1人の死体が発見される。全ての現場には謎の数字と"わたしのHuckleberry friend"と書かれたメモが残されていた。久米原署の刑事楢崎は警視庁から派遣された若い女性三原と謎のメモを手掛かりに、地域に敷かれた実験用光ケーブル網を利用した事件と関わりのある裏のネットワークの存在を発見するが、肝心な情報はなかなか手に入らない。その間にも中学生の死体は増えてゆく。つかみ所のないまるでもう一つの別の世界に住んでいるような子供達の暴走は止められるのか・・・。
中学校の掲示板にあふれる落書き、キーワード、大人には踏み込めない子供達だけの世界・・・となにやらあやしい不思議な世界が展開されるのかと思いきや、探偵役が壁のこちら側から逸脱しない”大人”なのであくまで日常的な世界の一線は越えません。
物語世界に飲み込まれるような感じというよりは、テーマ的にも設定的にもちょっと引きながら読まざるを得ない話でしたが、それなりに一気に読ませるおもしろさはありました。ただし、ホラーという言葉で「怖さ」を期待すると期待はずれでしょう。(『レフトハンド』は途中かなり怖い思いをしましたが。)なまじネットやチャットの経験があると言葉の呪文とその嘘には目新しさを感じないので、物語の展開は大きく予想からはずれませんし、ラストは小世界の中で「きちんと」収拾がついてしまうので、読後にはなんだか空しさだけが残ります。現実世界で次々とセンセーショナルに報道される”事件”のある種の空虚さがリアルに描かれているとも言えるかも知れません。もっとも、この無残な「夢の跡」的な空しさは裏返すと言葉の呪文は何かの契機でいとも簡単に甦るという空しさでもあり、その潜在的なパワーの計り知れない大きさを考えるとある意味ではぞっとしますが。
ぞっとするといえば、中学生にとって全世界である学校生活と同じメンバーでもう一つの匿名性の世界を作る、というのはフィリップ・K・ディック顔負けのぞっとする世界だと私なんぞは思ってしまいます。内輪の方が盛り上がるのが掲示板やチャットというのはよくわかるけれど、「この世界から抜け出したい」といって行き着く先の話題が昼間の世界についてじゃ自己撞着しちゃいますよ。
キーアイテムとなる「ムーン・リヴァー」は言わずもがなオードリー・ヘップバーン主演の映画『ティファニーで朝食を』に流れる名曲。映画の中でヘップバーンが演じるのは田舎暮らしに耐え切れずにNYに出てきたキュートで奔放な女・ホリー。ティファニーの宝石にあこがれ「お金のためなら何でもするわ」と言い切る彼女の単純さは「何が欲しいのかわからない」今の中学生と比べると隔世を感じますが、彼女を愛する作家・ポールのせりふ「君はカゴに入れられるのを恐れているけれど、でももう自分のカゴに入っているんだ」は普遍的な強さを持っている気がします
ところで、ネットの図書館がでてきますが、現実に将来ネットの中ですべての本を「開いて読む」ことが可能になるのでしょうか。とっても気になりました(^^;。
『エンディミオンの覚醒』ダン・シモンズ 早川書房
『ハイペリオン』『ハイペリオンの没落』、そして『エンディミオン』に続くシリーズ完結編。
800ページ余りのぶ厚さにも関わらず、万難を排して(電車読みを決行してまで(笑))「なんとしても読みたい!」と思わせる本はそうそうあるものではありません。期待違わず読み応え十分でした。
エンディミオンの回想は続き、新教皇の下アウスターに対する十字軍が始まる一方、エンディミオンはアイネイアーと別れ、悪戦苦闘の上、約束の地で再会を果たします。そして、アイネイアーを追ってきたパクス艦隊との遭遇から物語は一気に大団円へと雪崩れ込んでいきます。
既存のイメージ、概念を上手く使いながら、過去の傑出したSF作品へのオマージュをも盛り込み(それが決して自己満足に終わることなく)、その上でこの壮大な叙情詩を見事な円環構造でしめくくる様は見事としか言い様がありません。これだけ物語が入り組み、禅問答まで飛びだす思弁的な話をキーにしながら、読者を迷わすことなく飽きさせることなく、絶妙なタイミングで緊張感を保たせる作者の力量は本当にすごいです。
<救世主>アイネイアーが用いた原初的な”方法”はあまりにストレートでちょっと意外でしたが、”巡礼”に始まる『ハイペリオン』からの物語が辿ってきた道筋を振り返ると納得がいくものでもあります。ただし、目先の道具に気をとられていると、キリスト教を踏まえ、信仰というものを捕え直した上であらたに一歩踏み出した大きなヴィジョンを見失ってしまう恐れがあるので要注意かも。
我らがヒーロー、エンディミオンは、「何も考えずに飛び込む勇気」という名の無謀さと「愛するが故の苦悩」という名の鈍感さに拍車がかかっていますが、憎めません。やきもきしながらも、つい「がんばれ〜」とエールを送りたくなる健気さがいいですね。デ・ソヤ神父はじめたくさんのキャラクターが再登場するのもうれしいところ。「まだ出てくるの!?」と悲鳴をあげたくなるしぶとい化け物も”活躍”しますが(^^;。
事実だろうと思われていたものがひっくり返され、たくさんの謎がひも解かれてゆく醍醐味は、一方でこれだけ楽しませてくれた物語が終わってしまうという淋しさを伴うものでもありました。最後の旅からエピローグまでの部分は、時の流れとそれを越える人々の思いの重みをずっしりと感じながら、エンドマークに向かう感慨にひたっていました。壮大なスケールの物語でありながら、キャラクター一人一人の描写が細やかで丁寧なところが読者の思い入れをさそうわけですね。たとえば、"See you later, alligator."のワンフレーズで泣かされるように・・・。
ともあれ、「なにかおもしろいSFない?」と言われたら、まっさきにあげたいこのシリーズ。読んでいない方は確実に損をしていると思います!
『悪への招待状 幕末・黙阿弥歌舞伎の愉しみ』小林恭二 集英社新書
『カブキの日』で時空を越える異世界物語を披露してくれた小林恭二が、幕末の江戸へと読者を案内してくれます。
幕末といえば、維新の志士と新撰組といった激動の時代を思い浮かべますが、ここでスポットが当てられているのは江戸の庶民。”性悪で頽廃した庶民”が暮らしていた幕末の江戸とはどういう世界だったのか? 黙阿弥の歌舞伎「三人吉三」の物語を紹介しながら、幕末の時代背景、風俗、人情などをわかりやすく解説していきます。
冒頭「わたし」が現代の若者を2人連れて幕末の江戸へタイムスリップするという設定にはじまり、語り口も軽やか。歌舞伎や時代背景に関する知識がなくても読みやすいような工夫がされています。歌舞伎というと「難しそう」「わかりにくそう」「退屈」という人にこそぜひ読んでもらいたいです。「三人吉三」はお嬢、お坊、和尚という三人の悪党を中心に、事件がめぐりめぐって定めに導かれるように悲劇的な大団円へと向かう物語ですが、「歌舞伎のせりふは何を言っているのかよくわからない」という人でも、七五調の名せりふをじっくり読みながら、適度な解説付きの舞台描写を追ううちに、生き生きとした舞台を目の辺たりにしているような気分になることでしょう。
当時の服装や食事の再現から演じる役者の背景まで取り上げられているため、歌舞伎の舞台を中心に江戸幕末の世界が立体的に浮かびあがってきます。歌舞伎の芝居小屋、脚本家、演じる役者の関係はシェイクスピアの時代との比較なんてのもおもしろそうだなあと思ったり。黙阿弥の人生はもっと微に細に語って欲しいと思うほどおもしろそうですね。また、「女装の盗賊」という設定のお嬢役について、女形が男の役という設定になった上で再び女装する倒錯性といった話も飛びだし、歌舞伎って奥が深いわあとあらためて思いました。
黙阿弥芝居、ひいては幕末江戸のキーワードとして「因果の闇」という言葉がでてきますが、「運命」として報いを受けてしまえば来世は新たに再出発できるとする輪廻観を疑いはじめた幕末江戸の庶民が、身にふりかかる災難に対して憎悪に基づく不条理観をもっていたと述べられています。同じく不安なご時世といっても、現代人の無気力感に裏打ちされるような世紀末観に比べるともっとエネルギッシュな感じがします。
ともあれ、悪の魅力にあふれる「三人吉三」の舞台をぜひ見たくなりました。
新書ブームとやらで本屋には新書があふれかえっていますが、そのおかげでこのような質の高い作品が廉価で読めるならありがたいかぎりです。
*福武文庫からでていた小林恭二の『ゼウスガーデン興亡史』がハルキ文庫から新たに出版されました。往年の国内SF作品が多数復刊されているハルキ文庫ですが、小林恭二をもってくるとはなかなかニクイ選択ですね。これを機にあらたな読者の手に取ってもらえるといいなあと思います。