RESULT
HCREPORT
REPORT
Vol.1(1〜50) Vol.2(51〜100) Vol.3(101〜139)

鎌倉ラザロヘッドコーチレポート

  
ここでは、鎌倉ラザロヘッドコーチである#8山口浩明が、ヘッドコーチの視点から見た、鎌倉ラザロとアメリカンフットボールについてを、不定期(基本は毎週)レポートとして掲載していきます。

第100回
『100回』
区切りなんで、なんかちゃんとしたことを書かないと、って思っていたら考えすぎてこんなに間があいちゃいました。

気づけばシーズンも終わってしまっているし、シーズン回顧も書かなければならないのに。

それにしてもよくもまあ、100回も続いたなあって思っています。

護美氏がレポートで『ラザロ』を『復活』といったカンジで書いていますが、僕なりのラザロ感を書きます。

長い間、このラザロにいて本当にたくさんの人と出会いました。
今も、大変仲良くしていただいている方、たまにしか会えない方、日本だけでなく海外で活躍されてる方、
等々ラザロにいなければ、こんなにたくさんの人とは知り合えなかったと思います。

好きな諺のひとつに『袖すり合うも他生の縁』というのがあります。
知り合ったのには、少なからずも縁があるいった諺です。他生というのは多少とは違います。
宗教的になりますが、あの世と現在の間みたいなものと聞いた覚えがあります。

僕の中では、『ラザロ』は『縁』なんです。
これだけたくさんの人と知り合えるラザロって素晴らしいと思っています。
僕にとって、ラザロで知り合った人はみんな宝物ですから。

これからも『縁』を大切にしていきたいと思います。

11/14


第99回
『試合観戦』
久しぶりにXリーグの試合を見てきました。

#53氏の元部下(?)の方(Iさん、Oさん)たちに、フットボールの面白さをわかってもらうためにルール説明&解説をするのと、
鎌倉ボウルに3年続けて応援に来てくれてる、冷水選手の応援が目的でした。

ルール等は理解いただけて、フットボ ールが奥が深く、凄い面白い競技だと喜んでもらえました。
今度はラザロの応援に来てくださるとのことです。さすが、『鎌倉フットボール普及連絡会』事務局です。
立派な普及活動です(自画自賛)。「ただ女の子と観戦しただけじゃんか」とか言わないように。

冷水選手の応援なんですが、川崎球場をご存知の方にはわかってもらえると思うのですが、
ビジター側のスタンドは西日があたって暑いんです。申し訳ないと思いつつ、ホーム側に座りました。
結果は残念だったのですが、冷水選手のQBはなかなかのものでした。いいパスを投げてました。
試合後に話をしたら、3ヶ月前に始めたばかりで、高校、大学とまったくの未経験と聞 き、驚きました。
彼の人柄からか、あちこちから、「ひやみ〜、ひやみ〜」と声援が飛んでました。次の試合も応援に行くと約束してきました。

ラザロの#3も一緒に観戦してて、僕と彼の冷水君以外の興味は有馬選手もそうなんですが、実はシルバースターの東野選手でした。
彼は3番手で4Qからの出場でした。日本の宝と言われた天才QBの復活を見たかったんです。あの怪我さえなければと思うと、切ないです。
何度か彼の試合を見てますが、いつもツイてないという印象です。
この試合も、最初のシリーズはいいテンポで進んでたのに、キャッチしてファーストダウンというパスをファンブルしてターンオーバー、
次は最高のタイミング &リードの効いたロングポストをWRがキャッチミス、これはブチ抜いてたので間違いなくTDパスでした。
で、最後は2ndショートの見せ所でなにをやるのかと思っていたら、Cのイリーガルスナップで罰退、結局1本もTD無し。

東野選手はまったく問題ないのに、結果を出せなかった。凄い残念です。
彼はどこか境遇がメ ジャーに挑戦した桑田とダブります。絶対に復活して、有馬選手とスターター争いをして欲しいです。

余談ですが、フットボールファンになったお二人は有馬選手の写メは撮ってましたが、冷水選手は撮りませんでした。
あとで、彼も凄い選手だと知り残念がってました。Iさん、Oさん、次はツーショットで撮りましょうね 。

9/17


第98回
『開幕』
ヤバイ、気づけば1ヶ月もサボってた。
そして、初戦も終わってる。
試合内容は大阪のおばちゃん#40がレポートしてくれるはずなのでカットです。

個人的な話です。
昨年末のオヤジ祭り以来の試合出場、公式戦だと2年ぶり、いや〜ビビリました。
パント時のコーラーですが、最初は緊張 しまくってました。30年もラザロやってて情けないです。
スタイルしないで、ベンチで怒鳴ってる方が楽でいいです。

でもね、何度も書くけどね、今年のメンバーはホントに最高な奴らですよ。
新しいヘルメット、チョット事情があって試合に間に合わなかったんです。そしたら、突っ込まれる、突っ込まれる。
掲示板にもあるように、今までのって27年前に購入したバイクのヘルメット、テーピングしてあるんです。なんで、それなの〜?って。
みんな、新しいヘルメットで試合に出ようって言ってくれるんです。

本当に正直なところ、二度とラザロの試合には出れないって思っていたので、どんなカタチにしろユニフォ ームを着て試合に出たのは凄く嬉しかったです。
自分のわがままで出たのではなく、確かに人数が少ないってのもあるけど、メンバーに『出ようよ』って言われての出場は感激です。

次の試合は、新横浜(小机の方が近い?)なので、みなさん応援に来てください。ラザロ30歳もバリバリ出ますよ。

9/12


第97回
『富士登山』
8/4、F屋、#3と富士山に登ってきました。私の思いつき発言に両名がのってきて、急遽実現しました。
私は2度目ですが、二人は初富士山でした。

F屋宅に前日集合、朝3時起床で出発、6時に登頂開始しました。
行く途中、東名は土砂降り、五合目に向かう道は霧で視界が50M以下で今日は悪天候でダメかと思いながらの状況でした。
そんな天候で霧雨のなか、登り始めると六合目を過ぎた辺りから、雨が止み、それどころか日差しまで出てきました。
山頂は雲海も見えたし、かなり遠くまで景色を堪能することができました。
下山するころは強い日差しで日焼けしてしまい、今でも顔が痛いです。
でも、五合目まで下りたら霧がすごく、車で走り出したら朝より霧が濃く、雨も降り出しました。
自分たちは何てついているにだろうと話していたのですが、これには理由がありました。

朝の霧の中、富士山の裾野を走行中、林の中から突然何かが飛び出してきたんです。
危うく、轢いてしまいそうでした。三頭の野生(当たり前?)の鹿でした。
鹿ってかなりデカイですよ。マジでビックリしました。一頭は子供だったので家族だったみたいです。
三人は、あれは森の神様で、神様を傷つけなかったから好天に恵まれたんだっていうことになりました。
単純な三人ですねえ。

三人で、ラザロのスウェットを穿いて登り、山頂の神社で美濃部が必勝祈願をしました。
このように、とにかく無事に、富士山日帰り登山は大成功でした。

私的には、二人との体力差を痛感し、先週の橋本ボウルでの復帰のモチベーションが一気に萎えてしまいました。
年はとりたくないです(悲)。

8/4
第96回
『橋本ボウル』
いつから、こういうネーミングになったのかは、わかりませんが(笑)、
29日に横浜タイタンズさん、デイビージョーンズさん、東海シーガルさんとの合同スクリメージを行いました。
横浜タイタンズ山崎様はじめ、各チーム代表の皆様、ご苦労様でした。そして、ありがとうございました。

私はスタイルはしていたものの、個人的にプレーする気は全く無く、QB#3との前日のメールでの連絡でも、
アクシデントが無い限りやらないと伝えておいたのですが、#3に『山口、出ろ!』と言われ1シリーズだけやりました。
結果は最後はファンブルして敵にリカバーされるという散々なものでした。
誤魔化しだらけのインチキプレーは通用しないですよ、もう。

プレーしているのを喜んでくれて(?)いたのは、各チームのオーバー40の方たちでした。
ラザロも#1が私がプレーしないと自分が最年長になるので、歓迎(?)してくれました。
最高の褒め言葉『本当にえげつないプレーをするなあ』と言われました。
オヤジ祭りでの顔なじみが『あ〜、スタイルしてるじゃん』って声をかけてくれると、なんだか嬉しくなります。

私的には、この事からも、大変有意義な『橋本ボウル』でした。

今回参加した4チームがプレーオフで戦えたらと思います。

各チームの皆さん、頑張りましょう!!

第95回
『タイムアウト』
ワールドカップですが、かなり時間が経ってしまいましたが、終わってみると思っていたより、興味深い大会だったです。
ワールドカップ自体はいろいろ疑問視する部分はありますが、競技の普及という部分では大成功だったと思います。

一点だけ触れちゃいます。

試合のラストプレー、FGの場面でタイムアウトをとりました。これには、いろんな意見があると思います。
私も昨シーズン、同じように試合を決める大事な場面でのFGの時にタイムアウトをとりました。

キッカーは緊張する時間が長くなり、プレッシャーが増すという意見を聞きました。
確かに、そのキックですべてが決まるというのは、相当なプレッシャーだと思います。

ただ、私の考えとしては、中途半端な緊張感のまま、どたばたしてプレーするよりも、
時間をとってハドルをして、キッキングチームのメンバーで落ち着こうと言い合えるぐらいの状況にもっていき、
キッカー一人がプレッシャーを感じないようにすべきだと思いました。
できれば、全員ベンチに呼べたら最善だとも思います。

FGで勝敗が決まるのは、チーム全体の試合結果であるわけだし。

以前書いたと思いますが、数年前の甲子園ボウルで、KG最高のキッカー大田が残り0秒での同点TD後のTFPを外しました。
あのときの鳥内監督のコメントは今でも覚えています。
『タイムアウトは無かったから、ディレイの反則で5ヤード下がってもいいから、落ち着かせるべきだった』と。

結果論とか言われるかも知れませんが、私もこういった場面をみてるから、同様の考え方になります。
それに、キッカーのためだけではなく、ここでは書けませんが、タイムアウトをとった理由が他にもあったわけだし。
自分なりに、いいタイムアウトだったと思っています。


第94回
『鎌倉ボウルのゲストの皆さん』
今年も、有馬選手、井本選手、延原選手、過去最多来場の冷水選手が応援に駆けつけてくださいました。

有馬選手はTシャツを自ら持参していただき、高校生の賞品にさせていただきました。

本部テント内にいると、小学生フラッグの父兄(若いお母様)から、『ねぇねぇ、あそこにいるのって…』『あ〜、有馬さんじゃない?』となり、
直後子供たちの大行列、サイン会が始まってしまいました。

有馬選手はイヤな顔ひとつせず、一人一人にサインをしてくれました。
みんなユニフォームにしてくれと言うのですが、有馬選手は『それはマズイから、じゃあ見えないところにしよう』って裾の方にしてました。

子供たちに、私が『他の3選手もすごい選手なんだから、サインをしてもらうといいよ』というと、あっという間に長蛇の列ができました。

延原選手は、富士通のフラッグフットボールの子供たちに、『いつもグランドで会っとるやろ!』と笑ってました。

冷水選手は、有馬選手に『それ、署名やん』と冷やかされるほどの普通のサインをしてました。
私的には、彼のサインは非常に好きなんですが。

最終的に一番人気だったのが、井本選手のところでした。
彼はホントに子供好きで、サイン会が一段落して本部席にいないなぁと思ったら、冷水選手と二人で子供たちとフラッグフットボールをやってたらしく、汗びっしょりになって戻ってきました。
テンポいい関西弁は、まるでお笑い芸人のようで、子供たちに、バカうけでした。

来場いただいたゲストの皆さんは、関東のチーム所属なんですが、全員関西出身なんですよね。
たまたまかもしれませんが、こういった行事に、積極的に参加してくださり、
ご本人も楽しんでくださるっていうのは、関西の方々が多いです。
関西の方がフットボールが身に染みてるっていうカンジがします。

鎌倉ボウルは、普及活動です。
来場いただいたゲストのおかげで、参加した子供たちにいい思い出ができたと思います。
大きくなったら、自分もああいう選手になりたいっなぁて思ってもらえたら、鎌倉ボウルを開催し続けてる価値があると思います。

そして、設営、運営・手伝い、撤収とみんなの力を合わせて行えるっていうのは、スゴくいい事だと実感しました。
ご協力いただいた関係者の皆様、OB、選手の皆様、また来年も素晴らしいボウルゲームを開催しましょう。

本当にありがとうございました。
そして、お疲れさまでした。

7/18


第93回
『サプライズ』
今回は、鎌倉ボウルに来てくださったXリーグの方々のことを書くつもりでしたが、その話は次回にします。

今日の昼間、新人歓迎のバーベキューを行いました。
隊長の古屋氏はじめ、みなさんお疲れさまでした。

みんな、満腹になり帰り支度も済んだ頃、ちょっと驚かされました。

チームから私に、鎌倉ボウルの5回開催の慰労と、30ラザロ才の誕生祝いにプレゼントをいただけるとのことでした。

鎌倉ボウル開催は、自分はなにもしてないです。何度も言ってますが、多くの方々のご協力で開催されています。
だから、慰労といったものはちょっといただけないかなって思いました。

でも、お誕生日祝いということなら、大変嬉しく、素直に戴こうと思いました。

今日はプレゼントの目録を戴いたのですが、その品物にちょっと感動というか、じーんと胸が熱くなり、
うまく誤魔化したのですが、正直泣きそうになりました。

これをプレゼントしてもらえるなんて、本当に嬉しいです。

マジで、私の人生で最高の誕生日プレゼントです。

書いてる今も、泣きそうです。

実は、こんな私にもいろいろあるんです。

そこへ、このプレゼントは・・・。

本当に、本当にありがとうございます。

絶対に、このチームで日本一になりたいです。

鎌倉ラザロ 最高!!

7/1


第92回
『第5回鎌倉ボウル』

今年もたくさんの方々に支えられて、盛大に開催する事ができました。

申し訳ありませんが、この場をお借りして、皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。

今回のスローガン、『プライド&リスペクト』を、実践する事ができました。

毎年の事とはいえ、プログラムやポスター作成、前日の準備、
当日の設営から撤収、雨の中、審判、チェーン、担架係、得点板、ビデオ撮影、実況放送等々、
試合もしての仕事、本当にご苦労様でした。

高校生と社会人が一緒になって、1日を有意義に過ごすことができる、
そういうボウルゲームになった実感を持てています。

今回、支えてくださった方々一人一人が、鎌倉ボウル開催に『誇り』を持っていただき、
お互いを『尊敬』できる仲間になれたと思っております。

皆様のご協力無くして、継続開催はできません。

これからも、よろしくお願いいたします。

本当に、ありがとうございました。

6/26

第91回
『1年ぶり』

申し訳ありません。正直、病んでました。でも、もう大丈夫です。
また、ぐだぐだと書かせてもらいます。

さすがに1年も空くと、何を書いたらいいのか、たくさんありすぎて悩みます。

とりあえず、休んだ理由ではなく、再開の理由を書きますか。

一番の要因は、今年の参加メンバーたちです。今年からというのではなくて、今年、グランドに来てるメンバーたちです。

掲示板の書き込みでわかるように、昨年の今頃は一部のメンバーによる、業務連絡みたいのばかりだったのが、
今年は大変な賑わいようです。あ、でも昨年のこの時期は『53問題』で盛り上がってたかな?

フットボール面でも、私の投げるものに対して、ちゃんと受け止めて返してくれます。
フットボールはどんどん進化しています。新しいものにトライしていかなければ、前進はないし、楽しくありません。

ただ、やみくもにチャレンジするのは暴走するだけです。
そうしないように、自分がいるんだと思っています。

HCとして、『これはできるだろう』と、『これは厳しいだろう』の、みきわめをきちんとしなければと考えてます。
そうして、新しいプレーを選手に投げると、みんなトライすることを楽しんでくれてます(はず?)。
こういったメンバーのおかげで、自分の存在価値を再認識できて、昨年よりさらに頑張ろうっていう気になりました。

プレーは書けませんが、みんなは、どのプレーのことかわかっていると思います。
このチームのHCは『いやらしい』プレーが大好きです。言葉がよくないので、『えげつない』にしましょう(変わらない?)。

それが、今年はHCだけじゃないです。
練習にきているメンバーがだんだん『えげつない』プレーを理解&楽しんできています。

だから、今年のラザロは間違いなく、強いですよ!

マジで『えげつない』ですから(笑)。

あ、選手たちに言っておきます。
本当に『えげつない』プレーはこれからだよ。まだ半分もやってないから、楽しみにしててください。

なんてったって、あなたたちの、ほとんどが生まれてくる前から鎌倉でフットボールやってますから。

今年で30ラザロ才です。

2007/6/14


第90回
「第4回鎌倉ボウル」

大変遅くなり、申し訳ございません。鎌倉ボウル、今年も無事に終わりました。

開催にあたり、ご後援、ご協賛、ご協力いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

また、当日グランドで手伝ってくれたOB諸氏、運営のために寄付をしてくださったOB諸氏、本当にありがとうございました。皆様の「ラザロ愛」がこの大会を支えてくれているのは確かです。こういったものは継続していくのが困難なものですが、皆様の気持ちで今後も続けていけると思っております。

OBの皆様へのチームからのご恩返しは「日本一」になることとメンバーは自覚しております。今回は悪い結果でしたが、秋のシーズンまでには本当に強いチームになって、トップを目指します。ぜひ、リーグ戦にも足を運んでください。よろしくお願いします。

しかし、山田晋三氏や有馬選手はじめ、そうそうたるメンバーが来場されたのは驚きましたね。両氏にはブログでも大会の開催告知をしていただきました。私はしっかり、一番最初に有馬選手にサインをしていただきました。

山田氏は小学生相手にQBをしてくださったり、有馬選手には試合後に「クイックスロー」のレクチャーをしていただきました。有馬選手は、サインを断るなんてことはせずに、全員にしてくださりました。格好よくて、頭もよくて、運動神経よくて、性格までいいなんてありえますか?本当に彼は非のつけどころのない素晴らしい男です。

今年の鎌倉ボウルをご覧になれた方はラッキーだと思います。第2試合のOBの出場した1Q、3Qは普段絶対に見れない内容でした。Xリーグや1部大学OB選手による、プチガチンコのプレーが随所でありました。

次回大会も今回以上の盛り上がりで行えるよう、頑張ってまいります。
皆様のお助けなくしてはできません。今後もよろしくお願い致します。

本当にありがとうございました。

2006/7/12


第89回
 『ヨコハマボウル』

 何年かぶりにスタジアムにヨコハマボウル観戦に行きました。目的は当然、KGです。でも、がっかりでした。正直、法政のためのゲームでした。それ以外のことを書こうと思います。

 入場してすぐのグランドに横浜協会の知人を発見、「おはよう、ご苦労様です」と声をかけると、隣にいらした日本代表監督が「よっ!」と手をあげてくださいました。私と一緒にいた、旧#80が「おぅ」と手を上げ返しました。いつからそんな仲になったんだ?

 しばらくそこにいると、他の横浜協会の方がいらして、「第2試合もおもしろいけど、第3試合もおもしろいぞ」とおっしゃいました。その方は日大関係の方なのですが、「どっちが勝つと思う?」と私に聞いてきました。5メートルぐらい先に監督がいるのに、「なんて答えればいいんですかぁ」と困ってしまいました。ところが、旧#80は監督に「○○ちゃん、今日は勝つよね」と言いました。「えぇ?」

 試合は前日も試合だったシルバーが日大に敗れてしまいましたが、4QにエースQB金岡が登場してあっさりとTDを奪いました。そのとき旧#80が「○○ちゃん、だから最初から俺の言うとおりにすればよかったんだよ」と豪語してました。

 真面目な話をします。今年の、というかこれからの日大はすごいことになると思います。選手のレベルも高いですが、日大がショットガンから、オプション、ショベルパス、サイドスクリーン、スローバックパスなどをやって、まるで『赤い関学』です。1年生QBは天才です。鹿島の鈴木がヨコハマボウルに1年でデビューしたとき以来の衝撃です。

 でも一番驚いたのが、Cのスナップです。試合前に2人のQBが並んでパス練習をしていたのですが、2人のCのスナップがまったく同じスピードなんです。しかもそれだけじゃないです。QBが構えた手が全く動かずにボールが手の中に入るんです。さらにQBはボールを持ち変えないんです。安部那智が回転数を考えてスナップを出すという、まさにあれだと思います(弱冠のズレはあるでしょうが)。

新しいショットガン戦術と、伝統として受け継がれている技術、本当にこれから数年後は日大黄金時代が復活すると思います。

最後に、旧#80の話はもちろんジョークです。たぶん・・・。

 2006/6/1


第88回
 『昭和の匂い』

 最近、トレーニング方法で、自分自身結構いいなあと感じて、チーム内でも薦めているのが『バランスボール』です。場所もとらずに、ちゃんとやったらかなりキツイです。筋力アップもそうですが、体幹のトレーニングには最適とのことです。

 薦めてはいるのですが・・・、私は、いろんな言い訳で運動不足から、現在驚異的な肥満状態にあります。で、どうすれば減量できるのかは、過去の経験でわかっています。年のせいにはしたくないのですが、気持ちがついていきません。で、せめてもと思い、バランスボールを購入してテレビを見ながらでもいいから、運動しようと考えました。腕立てや腹筋、トレーナーS氏にいろんなやり方を聞いてトライしました。でも、続かないんです。生来、なまけものなんですよね、私は。

 今週、2度ほど体育館にあるトレーニングジムに行きました。トレーナー氏に「またそんなトコ行って」と怒られるかもしれませんが(トレーナー氏は決してジム否定論者ではないです)、ああいった場所へ行く事によって、サボれないって気持ちになれることが自分にはむいているのかなあって感じます。それと、例えば、何キロのベンチプレスを何セット、レッグプレスを何セットといった、自分の目標値が自分の目に見えてトレーニングできるというのも、私には効果的なのかなあって思います。

 よく練習中などに、『昭和の匂いがするなあ』と言います。ちょっと泥臭い練習方法やプレースタイルを時々そうやって茶化しています。よく言われてるのが鎌倉市在住の自転車男氏です。でも、このトレーニングの件で、つくづく自分も『昭和』だなあって思いました。筋肉をデカくしたり、筋力アップというのは、ある程度まではないよりはあった方がいいけれど、現役じゃない私にベンチプレスとかは必要なのか、ってことです。頭では理解してるけど、目に見える結果を求めちゃうんですよね。もっと効果的なものがあるはずなのに。

 みっともなく突き出た腹を凹ますのに、おっさんはおっさんらしく、昭和の筋トレをしていくしかないのかなあ、と困惑中です。まあ、一番いいのは走ればいいんですけど・・・。

 2006/4/22


第87回
「難しい」

 前回の「褒める」ということで、もう少し。

 BBSで『松本市民』さんの考えを伺いました。私もかなり同じような考えではあります。

 ただ、1選手であるならば、選手間ではそれでいいと思うのですが、なんちゃってながらもコーチなんて立場で全体を考える場合、その相手の性格や能力を考えて、褒めるなり指導するなりのタイミングが重要になると思ってます。

 確かに、なんで今、指導(怒られてる)されてるんだ?はよくないと思います。でも、褒められるというのは「なんで?」でもいいのかなって思います。誤解のないように願いたいのは、私もただやみくもに「OK!」とは言わないです。相手の技術や理解力のレベルに応じて言うように心がけています。

 例えばまだ経験の浅いレシーバーが、試合中にパスキャッチミスをした時に、試合に出てる以上、「いいよ、いいよ。コースは合ってるから」とは言わないし「次、捕ろうよ」といった言い方でいいかと思います。でも、戦術としてのイージーなミスを、本来ならば出来るレベルの人間がしたら、私はキツイ口調で叱ります。例えば、残り時間が少ない状況で攻撃している時、勝ってる時と負けてる時で、パスキャッチ後のイン・アウトの判断ミスは、「いいよ」でも「次」でもいけないので私はキツク叱ると思います。

 私は、ある程度の信頼関係にあり、それなりのレベルの人間には、どちらかというとキツイ口調で話していると思います。ただ、それは指導してるのであり、叱ってる時です。以前にも書いたと思いますが、私のコーチング一番弟子は結局、一度も私に褒められてません。それはそれで非難されるかもしれませんが、彼は自分が指導されていると自覚して、私に叱られていたと思います。左Tでいつも怒鳴られていたN氏も、結局褒めなかったかな?

 キツイ口調で言われて萎縮するような選手には難しいですが、違う形で伝えます。確かにそういう選手にスポーツは向いてないのかな、って思う時もありますが、それでサヨナラというのも無能なコーチかと思い、なんとかしたいって考えてます。

 タイミング同様、もうひとつ大切なのが、感情である、「怒る」では決してないように気をつけています。「叱る」と「怒る」は全く別物です。怒ったところで、何も伝わらないと思います。

 プライベートチームは人それぞれのおかれている環境等で、フットボールに対する温度に差があります。私はそこを理解していかないと、プライベートチームでコーチというものは出来ないと思っています。まだまだ努力、勉強中です。

 2006/4/17

第86回
「OK!」

 トレーナーのS氏と、練習の合間にいろんなことを話しています。ほとんど、私が「こうしたい、ああしたい」といった無理難題をぶつけてます。年齢は私の半分ぐらいですが、フィジカル面だけでなく、メンタル面の相談にも的確な指導をしてくれます。

 それぞれのコーチには、様々な指導方法があり、どれが正解というのはなかなか決められないと思います。最近の傾向としては、まず「褒める」です。S氏に言われたのが、ミスした時にそれを指摘(ある意味、怒られる)されても耳に入らない。でも、褒められた時は「聞く耳を持つ」状態になるので、ミスした時も、まず「これはいい」、「だから、これはこうしよう」といったように話せば選手は次にやってみようとなるそうです。たしかにそうだと思います。

 そこで、S氏曰く、日本語で練習中にうまく選手を褒める言葉がなかなか無い。外人コーチの「good job」や「nice play」にあたる日本語がないと。この言葉を日本人が言うと、なぜかニュアンスが違ってしまうような気がします。

 私はよく、いいプレーがあったときは「OK!」と大声で言います。これが「good job」に値するかはわかりませんが、褒めているのは事実です。例えば、パスプレーの練習時には、全体を見ていてQBがレシーバーのチョイスと投げるタイミングがよければ、投げた瞬間に「OK!」と言ってます。そのあとレシーバーがキャッチミスしても、QBは「good job」なわけです。パスを落としたレシーバーにも、コース取りとタイミングがあっていたので「OK!」なわけで、あとは何故落としたかを指導できればいいと思ってます。「ボールから目が早く離れてる」とか「手を出すのが早すぎて、ボディバランスが崩れてる」とか言います。

 といったことで、私の「OK!」は「good job」かなあ、なんです。で、試合中はより多くの「OK!」を叫びたいわけです。そして、今シーズンは1月の3か4週あたりの横浜スタジアムで、試合終了時に思いっきりデカイ声で「OK!」と叫びたいかなぁって思ってます。

 2006/4/11


第85回
「2006シーズンイン」

 ちょっと(かなり?)ご無沙汰していました。
 いよいよ今年もシーズンインとなりました。ラザロの正式練習開始は3月からで、来週26日は体を動かすということで、合同自主トレとしてスタイルしないでいろいろやろうかと考えてます。トレーナー氏には主旨をご理解願った上でのアップを行っていただけたらと思ってます。

 今日、高校の練習試合を見てきました。第一印象が、とにかく「おとなしい」ってことでした。数人がケガで出場していないからかもしれないんですが、元気がないんです。部活独特の「エイヤー」みたいな掛け声とかは僕は重要だとは思わないんですが、「ナイスタックル」とか「ナイスラン」ってのも2, 3人が言うだけで、タッチダウンを獲っても全然盛り上がらないんです。淡々と試合を進めてるって感じでした。

 顧問の先生に伺ったのですが、近年の学校教育の考え方とかの影響もでてきているとのことです。勝ち負けや順位よりも、平均化みたいなものを求める、といった感じで、体育祭もやらなくなったそうです。以前、徒競走で手をつないで一緒にゴールするなんて話を聞いたことがあります。部活でも人数の多い部では試合に出れな子がいないように、勝ち負けではなく最後の方で全員がでるようにするそうです。弊害として、スターターを得るための努力、競争意識がなくなり、悪い意味の「仲良し集団」になってしまうようです。

 いろいろな考え方があって当然だし、試行錯誤するものだと思います。そのチームが決めればいいことで、決めたらそのチームカラーになるように選手をもっていかなければなりません。

 ラザロは「フットボールは勝つためにやるもの」というチームです。平行して、甘いと言われるかもしれないけど、「どうせやるならフットボールを楽しもう」ということも大切にしています。週に1度の日曜日、鎌倉由比ガ浜に集まってフットボールをやるのに、楽しくなければ意味がないです。「楽しい」って言葉は誤解されやすいですが、決して「楽」ではないってことだけは言っておきます。キツイ練習も勝つためなら「楽しい」と感じられると僕は思っています。

 久々なので、というよりいつもなんですが、まとまりのない文章で申し訳ありません。今年のラザロは、昨年やり残したものを完成、達成するために頑張ります。またOB諸氏等、関係者の皆様に手助けをお願いすると思いますが、よろしくお願いいたします。

 2006/2/19


第84回
『始まり』

 昨日の試合でラザロの2005年シーズンが終わりました。選手、スタッフ、OB、OG、そして様々な形で応援、サポートしてくださった方、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。今シーズンほど、多くの『ラザロ』に支えられた年はなかったと感じています。

 『敗軍の将、兵を語らず』の通り、勝てなかったことに関しては言い訳できません。自分の力不足と思います。選手は出せるものを出し切ったと思います。 

 またやっちゃったってなりますが、負けたところからすべてが始まります。もう、30年近くの繰り返しです。ただ、いつもの年と違うのが、昨日の今日で自分がその気になっていることです。なんでかと考えたら、今年のメンバーはまだまだこれから大きく変化するのがはっきりわかるからです。その気にさせてくれるメンバーばかりです。あそこをこうすればいい、こんなことをやればいい、そういったことを思わせてくれるメンバーばかりなんです。

 「今年はもしかしたら・・・」って思ったOB諸氏、楽しみが1年延びて来年の秋までになったということで、ぜひ来年も熱いサポートお願いします。

 1年間、本当にありがとうございました。

 あ、「オヤジ祭り」のレポートがあるので、まだ「よいお年を」じゃあありません。

11/28

第83回
『リーグ戦回顧』

 約1ヶ月もサボってしまいました。ということで、今日はいつもより長くなるかな。

 第3戦は山梨での「ラッシュボウル」、コミヤマさんと行いました。初の山梨遠征でコミヤマさんに0−6で敗れました。敗因は各自いろいろあると思いますが、HCの私のすべてにおいての準備不足です。2連勝して調子に乗ってたのに、その「調子に乗る」がいい意味ではなく悪い方「過信」になっていました。コミヤマさんの強力ディフェンスから最後まで点を奪えず、まだまだオフェンスの未完成さを感じさせられました。

 ただ、ここで終わってしまっては、この敗戦がまったくの無駄になります。メンバーには「負けていい試合なんかないけど、負けたから得られるものもある」と伝えました。これから何をすべきか、もうひとつも負けられない、みんながひとつになる、この敗戦はチームにたくさんのものを与えてくれました。そういった意味では貴重な「いい負け」だったと思います(そんなのもプレーオフ出場できたから言えるんですけどね)。

 芝浦工大さんとの試合は点数的には大差になりましたが、少人数で最後まであきらめない姿勢には敬意を表します。ある程度点差が離れた場合、モチベーション低下などから大きなケガ等、重大事故につながるので、当日の役員の判断で試合をとめるルールがありますが、あの試合に関しては最後までやってよかったと私は思います。彼らの目は最後まで輝いていました。尊敬できるチームと対戦できてよかったです。

 そしていよいよ最終戦!タイタンさんが先にプレーオフ出場を決め、ラザロはこの試合、勝ったらブロック優勝、負けたら3位という崖っぷち。しかも相手は過去に1度も勝ったことのない「立川ファルコンズ」さん。春からずーっとやってきたもの、すべてをぶつけてもどうかなという不安を選手は吹き飛ばしてくれました。ファルコンズさんもラザロオフェンスをかなりスカウティングしてたようで、ただその効果が出る前にラザロが勢いに乗ってしまった感じでした。ディフェンスはシャットアウトするし、最高の勝ち方をしてくれました。この勝利がこんなに嬉しいのも、「立川ファルコンズ」さんが常にJPFFの中でトップレベルにいて、各チームの目標とされているチームだからであり、尊敬できるチームだったからだと思います。何度も言いますが、尊敬できないチームに勝っても嬉しくないです。

 近年、ラザロのディフェンスは強力で、オフェンスを指揮しているものとしてはいつまでもディフェンスだけ楽しまれてるんではなく、オフェンスもフットボールを楽しみたいと考えてました。今年のオフェンスメンバーは私の考えをプレーで実行できる、とても高い能力を持っています。「こんなのどう?」と言えばやっちゃいます。だから、久々にコーチというかプレーを出していて楽しいです。次はプレーオフ1回戦。私個人は1度も勝った記憶がない「スティーラーズ」さん。そろそろ、サーカスフットボールの出番かな、なんて考えてます。OB、OG、ご家族、友人の皆様、ぜひ応援に駆けつけてください。よろしくお願いします。

 最後に、最終戦の前週に、リーグ戦日程が終了していた横浜シーガルさんの有志の方がラザロの練習に参加してくださいました。練習での人数がなかなか揃わず、実戦練習が出来ない状態をみなさんに助けていただきました。この場をお借りして、改めて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。そして本当の御礼は最後まで勝ち続けることだと思っています。頑張ります。今後ともよろしくお願いいたします。

 11/23

第82回
『感動』

 なんとかタイタン戦、勝てました。やはり松本さんは強いですね。タイタンさんと試合するときは「松本対策」からすべてが始まります。ただダブルでブロックすればいいかというと厳しいし、一人余ってしまうわけで頭が痛かったです。松本さんもウチがそうすることをわかっているから、今年はいろいろ考えてきてました。そのシステムに早い段階で気づいたのでなんとか対応策をうてました。
 終わってみれば点差は開いてましたが、私的には最後までドキドキもんでした。ラザロは運もよかったと思っています。

 試合後、最優秀オフェンス賞が発表されました。#3QBの美濃部が受賞しました。#5に変わって後半のオフェンスをプレーし、ダメ押しのTDとFGを演出したのが受賞理由かと思います。
 TDしたプレーはゴール前でのQBスニークでした。#84はこのTDシーンを見て泣きそうになったって言ってました。チームに入って5年、実力はあるのにメンタル面の弱さからその力をなかなか発揮できずにいました。膝を大怪我したこともありました。自分の限界みたいなものを自分で勝手に決めてる部分も見られ、この競技に向かないんじゃないかって思ったりもしました。
 でもチームの裏方的仕事は本当に献身的にやってくれてました。それだけに、彼には成長してほしいと思っていました。今回は絶好のチャンスがきたわけで、見事にチャンスを生かしたというのはチームのみんなが素直に喜んだと思います。

 今年のチームはこういうところが素晴らしいと思います。HCとしてとても誇りに思います。登録人数は以前に比べ少ないですが、選手、スタッフ、そしてなにかあると手を貸してくれるOB、2試合消化しただけですが、『ラザロ』は本当に素晴らしい人たちの集まりだと思います。

 来週は山梨への遠征試合です。頑張ります。応援してください。

 試合中の様々な駆け引き、戦術に関してはシーズン中なので別の機会に書きたいと思ってます。

 10/15
第81回
『感謝』

 デイビージョーンズ戦、なんとか21−0で勝ちました。やっぱりデイビーさんのディフェンスは強かったです。橋本さんが負傷退場されてなかったら、結果は変わってたかもしれません。

 相変わらず堅いラザロディフェンスと、最後まで気合いの入ったプレーを続けたオフェンス、チームがひとつになったと実感させてくれた試合でした。まだまだこれくらいでは、厳しいリーグ戦を勝っていくのは厳しいものがありますが、好材料もいくつかあるので楽しみです。

 次は2連勝中のタイタンズさんです。選手数増加により、一気に優勝候補になりました。特にデイビーさん同様、ディフェンス陣はかなり強力です。ウチのような小手先ごまかしフットボールチームには一番苦手なタイプです。とにかくみんなデカイです。ラザロにも何人かはいますが、あれだけ揃うとちょっと困ります。なんとか、頑張ります。

 1日に#52の結婚式がありました。おめでとうございます。2次会に出席させていただきました。

 驚いたのは翌日です。今更とはいえ、とりあえず「初夜」じゃないですか。その翌日にラザロが山梨の小瀬に当番チームで午前8時半集合したんですが、そこへ新妻とともに現れました。新婚旅行が小瀬じゃあないですよ。審判をしに来てくれたんです。しかも2試合。ホントに感激しました。ラザロ史始まって以来の出来事です。#52より奥さんに感謝です。

 #52はラザロ最大派閥(学閥?)の某大学チームOBメンバーの一人です。他のメンバーたちとは違って、真面目で誠実な男だと思っておりましたが、各方面(含、奥さん)からの情報によるとかなりの「腹黒」とのことです。HCとして人を見る目の非力さに、ちょっとヘコみました。

 10日は川崎球場です。応援に来てください。よろしくお願いします。

 10/4


第80回
『開幕』

 いよいよ2005年のリーグ戦が始まります。他のチームは開幕しているところもありますが、ラザロは今度の日曜日です。

 相手は「デイビージョーンズ」さんです。ラザロは違うらしいんですが、私はまだ一度もデイビーさんには勝ったことがないんですよね。そういったことで、今回の対戦は楽しみというか、ちょっと燃えてます。

 何年か前に対戦したときは、4Qに私がQBに入って猛追したのですが逆転できずに敗れました。その次は前半にリードしていたのですが、逆転負けを喫しました。1昨年は強風の千葉で1TDがとれずに負けました。強力ディフェンスからなかなか点を奪えないという印象が強いです。

 今年は各選手のモチベーションも高く、すごくいい感じなので強力ディフェンスをどうやって打破しようか、楽しみです。毎年、ラザロディフェンスに頼ってしまいがちなので、オフェンスでリズムが作れたらと思います。

 デイビーさんは橋本さんをはじめ、とても明るくて楽しいチームです。今季は人数が少ないかもとのことですが、皆さんチーム運営やリーグ運営に対してとても真剣に対応しています。ここ数年は春にタイタンさんと一緒に合同練習をしていただいており、とても感謝しています。試合をする相手を尊敬できないのは悲しいことです。そういった点では、デイビーさんは尊敬するに十分値するチームだと思います。

 ラザロのみんな、初戦から「リスペクト」できるチームとあたれて幸せですよ。思いっきりフットボールを楽しみましょう!!

 9/23


第79回
『和』

 シーズンインまであと1週間。リーグ内ではもう初戦を終えているチームもいくつかある。今年はどんなシーズンになるのでしょうかねぇ。

 衆議院選挙は自民党圧勝になりました。全部がそうって話じゃないんですが、ちょっと絡めてみます。今回は郵政に賛成か反対かをメインに小泉さんは自民党をまとめました。完全に反対の人はああいうカタチになりましたが、残った人の中にも「ちょっと・・・」っていう意見の人もいたと思います。とっても甘い見方をすると、違う意見を持っているけど今回は党の勝利のために従うということで「一致団結」して選挙を戦ったと。

 一方の民主党は、一見一枚岩のようだが中身はバラバラというのが強く感じられてしまった。

 海外紀行のあとは政治評論家かって突っ込まれそうなので、HCとして見た選挙みたいな話はこれくらいで(頭が悪いのがバレるし)。

 ラザロも30人近くの人間がいると、何かといろいろな意見が出ます。運営のことや練習内容、プレーのこと等など。

以前、こういった内容のことを書いたと思います。そのときは意見というより、無責任な意見、文句が多かったです。

 今はどちらかというと、意見を言ってくれるみんなに共通してるのが「勝ちたい」から意見を言ってくれます。HCとしては、とても贅沢で幸せな話です。「あれがイヤだ」「これはできない」とかいったマイナスの文句ではなく、「こうしよう」「このほうがいいんじゃない?」っていった意見が聞こえてきます。

 さらに贅沢な話と言われそうなのが、即反映できればいいんですが、いくらいい意見を言ってもらっても全部わかりましたとは言えないことです。せっかく勝つために進言してくれてるのに、今はそれをすぐに反映できないっていうのがあるのをわかってほしいです。

 極端な話をすれば、「I」からオプション主体でやっていこうとしている時に、パスのバリエーションを増やすという意見ならまだ考えますが、そこにゾーンでパワーを入れようってなるとなかなか厳しいものがありますよね?そりゃあオフェンスとして「幅」は欲しいですよ。でもあまりにも広げすぎても、結果なにも出来なかったっていうの、何度も経験しています。

 せっかくだけど、今は厳しいとしか答えられない、としか言えないのは申し訳ないのできちんと説明はするつもりです。

 小泉さんみたいに賛成か反対かで党(チーム)をまとめて戦えるほどの器量は僕にはありません。でも、チームをひとつにまとめて勝たせるのが一番の仕事なので、意見を聞きつつもちゃんと頭の中で整理していきたいと思っています。

 一番大切なのは意見が言えない雰囲気を作らないことです。文句ではなく「意見」をぶつけ合えないチームに本当の意味で「和」は生まれないです。意見するほうもそれに対していい答えが得られなくても、きちんと理解しあっていけば必ずいい結果が出ると思います。

 あと1週間、やれることをやって、フットボールを楽しみましょうよ、ラザロのみんな。

 9/17


第78回
 『自知「する」』

 なんか、始まって以来の反響で嬉しくなっちゃったので、調子に乗ってもう少し。

 メンバーがとてもいい書きこみをしてくれて、本当に嬉しいです。

 書きこんでくれた人の良い点は、自分の悪いところ、できないところだけでなく、自分はこういったところは良いと「自知」してることです。自分を知るっていうと、マイナス面ばかり考えがちですが、いい事を知っているということも重要だと思います。

 で、今回も「自知」ってことで書いたけど、「自知」だけじゃ駄目で「自知する」を実行しましょう。自分は何が劣っていて、何が優れているのか、何が出来なくてなにが出来るのか、それを知るのが「自知」だけど、「だからどうする?」で初めて「自知する」だと思います。

 出来ないことはできるように努力してみる。出来ることはもっと出来るように頑張る。そうやって成長すれば、本人もチームも素晴らしい結果が得られると思います。

 例の本に自分の問題点をあげて、できないものは消していくみたいなのがありましたが、これなんか、ちゃんと「自知」していない人間がやったら全部削除してなにも得られないと思います。

 まず、ちゃんと自分を知りましょう。そして、じゃあどうしよう、やってみたら完璧ではないけどなんかできそう、ってカンジでいけば最高だと思います。

 完璧にできてる人なんていないんです。出来れば出来たでまた「自知」するんです。ヤンキースの松井レベルだって、まだまだ上を目指してるんです。あのマイケルジョーダンだって、もっとうまくなりたい、もっと勝ちたいって日々努力を引退するまで続けたんですから。頂点と言われる人ほどさらに上を目指してると思います。

 なんか偉そうに書きましたが、僕はラザロの人がこれを読んで掲示板にいろいろ書きこんでくれるのが、とても嬉しいし、楽しみです。

 8/25

第77回
『自知』

 「自知」って読んで字のごとく、「自分のことを知ること。自分のことをわきまえること。」と辞書に書いてありました。この言葉がこれから書くことを適切に表しているかは微妙ですが、僕の言いたいことの少しは伝わると思います。

 前回までに書いたようなことを、今日の練習で役立てようとグランドに行きました。

 本を紹介してくれたトレーナーと本の感想とか話しました。コーチをしていて選手やチームにとって良かれと思い様々なことをします。それに対して8割以上の人は,皆が完全ではなくても、投げたものを返してくれているといった手応えがあります。こういう人には残りの部分をちゃんと全部伝わるように、個々に合わせたレベルや言葉で接することができます。

 30人選手がいれば30通りの考え方、それに対する教え方があると思います。ただどうしても伝えきれない、理解してもらえない人も当然います。トレーナーとそういった人にはどう接するのがいいのか相談しました。答えは「根気よく」でした。

 接し方は「誉める」が一番いいとわかっています。でも人によってはできたことを誉められても、なぜか逆にプレッシャーになる場合があるみたいです。こういった選手にはよかったところを誉めるのと同じだけ、良くなかったところも指摘したほうが効果的ではないかって思いました。普通はプラス面を引き出すのが良いとされてますが、真面目な選手で自分に厳しく完璧を求めるばかりに、良くなかった部分を言われないと、良かった部分を誉めてもらっても受け入れられないみたいです。こういった選手は自分を知っていて、さらに高いところを求めようとするから誉められてもプレッシャーになってしまうみたいなので、なんとか僕も接し方が見えてきました。

 こういった人と違って困ってしまうのが、「自知」ができない人です。よーいドンで自分は出来てる、そこまで完璧に思い込んでいなくても、まあ何とかなってるぐらいに思ってプレーしてる人です。練習中に「そうじゃない」とか、「こうしたほうがいい」と選手に言ってるのは今やってるのよりはこうした方がいい、すべきだから僕は話しています。でも自分じゃないやって思って聞いてたら何も意味がありません。ただのおっさんの独り言です。

 僕も「自知」が足りないと思い、そういう選手にちゃんと伝えられないのを何とかしようと思っています。で、自分一人ではなかなか答えが出ないので、トレーナーに相談したりしています。ウチの2人のトレーナーはそういったコーチングに関しては素晴らしいものを持っていて、20歳以上年が離れていますが本当に尊敬しています。自分では根気よくやってきたつもりですが、彼らに言わせれば、まだまだ「根気よく」ってことらしいです。

 愚痴みたいな内容に感じたかもしれませんが、愚痴じゃなく「自知」できていない人のおかげで僕も「自知」できてないことがわかってよかったと思っています。あとはそういった「自知」がうまくできていない人たちに「自知」させるのが当面の仕事かなと。

 でも、もうリーグ戦まで1ヶ月。個々の選手もそうだけど、チームを勝たせる方向へもっていくのが僕の仕事っていうのもあります。愚痴ではなく、「お願い」です。「自知」は結局は自分で知らない(わからない)と駄目なんです。僕も頑張ります。メンバーでこれを読んでくれてたら、自分で「自知」する努力もしてください。

 それが個人の目標であり、チームの目標達成に繋がるのだから。

 8/21


第76回
『メンタル』

 過去に関学の武田氏、京大の水野氏、日大の篠竹氏、他に現シダックス監督の野村氏、ラグビーの平尾氏などの著書を読んでそれぞれのフィロソフィーというものを感じ、自分なりにチームに役立てればと思ってました。

 どの方もそれなりの結果を出されているわけで、考え方、指導方法は素晴らしいと思います。でも、そういった中から、自分や自分のチームにはどうすればいいのかを選択しなければならないです。全部正しいかは捉え方しだいですが、少なくとも間違ったことは書いてないわけですから。

 僕はいいものは何でも「パクり」ます。この能力は結構自信があります。いろんな本や話の中から、「これはいただいとこ、これはいらない」ってやります。そういって自分なりの物を作ってしまえば、それが僕の「フィロソフィー」になっちゃいます。

 そこで今回読んだ本は、今までにない角度からの考え方っていう気がしました。とても簡潔に書かれていてわかり易いのですが、どうやら僕はちょっと頭が堅くなってしまっているのか、消化(理解?)するのにてこずってます。

 「コーチ」という項があるのですが、書いてあることはわかるんだけど、実践は難しいです。でも、トライするつもりです。このままただの「おっさん」でグランドに行きたくないですから。

 他にも本の中にはたくさんのいい言葉がありました。先日、もう一人のトレーナー氏がグランドでメンタル強化について話してくれた内容も書いてありました。「怒りは何も生まない」。これなんか、スターウォーズでアナキン・スカイウォーカーに何度言った言葉か。他にも「耐える」か「与える」かとか、「ミラー」とか。ホント勉強になりました。

 確かにすべていい事が書いてありますが、この中からとりあえず今のチームに役立つことから実践していこうと思います。ちょっとは成長できそうかなって思っています。

 今回、こういった本やメンタルトレーニングをチームに紹介してくれた二人のトレーナーには本当に感謝しています。またジムなどでやっていたトレーニング方法も今まで自分は何をやっていたんだというくらいの新しいものを教えていただき、これまた感謝、感謝です。

 願わくば、試合出場機会の無い僕よりも、選手個々が彼等から指導伝授され、試合でのパフォーマンス・アップに繋がればと思ってます。今年の選手はこれだけでも恵まれているということを忘れずに「感謝」してプレーしてください。

 そして二人がしてくれていることが「与える」であり、「ミラー」になり、選手が「感謝」することがチームとして向上し目標達成に近づくための「真のチームワーク」が・・・、あーうまく書けない自分が情けない。

 でも、やっと理解できそうかな?マジで頭悪いと自覚しました。

 8/20


第75回
 『メンタル』

 まだネパールの事を書きたいんだけど、ちょっと真面目な話。

 ラザロの優秀なトレーナーの一人(ちょっとだけSの方)から、メンタル関係でぜひ読んだ方がいいと薦められ、素直な僕は(Mじゃない)本屋さんで購入しました。

 ちゃんと理解するように読んでいるのでまだ読み終わってないのですが、途中まで読んでみて指導者(なんちゃってですが)としてもすごくためになるのですが、選手自身も読んだ方がいいと思います。というか、ぜひ読め!!

 練習ではちゃんとできるのに試合になるといい結果が出せない。こんなのは誰にでもあることです。この本はそういったことをいかに成功へ結びつけるかということが書いてあります。僕がもっと指導者として的確なアドバイスを選手にしてあげられるようになれば一番いいのですが、まだまだそんなレベルではないです。勉強、勉強。

 本を買った時、隣に各競技の著名な指導者がたくさん掲載されている本がありました。京都大学の水野さんや女子バレーの柳本監督とかの項を立ち読みしました。

 すべてではないですが、こういったメンタル面の本や指導者のための本というのは、いかに選手をその気にさせて、変化(成長)させるかが大事であると書いてあります。

 わかってるんです。そうしようと思ってます。でもなかなかうまくいかないんです。っていうのは自分自身が変化できてないって事みたいです。あー、成長してないなー、って自覚はあります。だからいろんな本を読んだり、いろんな話を聞いてます。

 自分が選手なら簡単です。下手糞なんだから目標を設定し努力すればいいんですから。コーチは違います。

 よくコーチは選手の何分の一で選手はコーチの何倍も辛い思いをしていると言います。確かにそう思います。コーチはああしろ、こうしろと言うだけで、実際に走ったり当たったりして痛い思いをして、試合でうまくいかずに負ければイヤな思いもする。コーチは精神的にはキツイけど、選手はそれプラス肉体的にもダメージを負います。

 コーチはそうならないために、いろいろと練習で手を変え品を変え教えるんですが、なかなかうまくいかない。グチになるけど、コーチって立場、そんなにいいものじゃないですよ。プレーヤーでミスして負けるのより、コーチとして的確な判断や指導ができずに負けた時のほうがヘコミます。

 最近、この「おっさん」はコーチにむいてないんじゃないかなぁ、なんて思っちゃってます。って、こんなんなるためにあの本買ったんじゃないんだー。

 つづく          8/19


第74回
『5360m』

 ナムチェには2泊しました。ここの標高3440mは高山病の第1関門です。幸い僕は大丈夫でしたが、前日同じ宿で仲良くなったガイドが連れているドイツ人がダウンしました。かなりの重症でヘリをよばなければならないと、そのガイドはパニくってました。ヘリは3000ドルかかり、保険等での支払い可能確認がないと飛びません。僕は保険には入ってました。

 で、この先どんどん標高が高くなるので高地順応のため、この村の上にある「シャンボチェの丘」に2日目に登りました。頂上には日本人が建てた「ホテル・エベレスト・ビュー」があります。このホテルの部屋を見せてもらったんですが、シャワーだって贅沢なのにバスタブがあって風呂に入りながらエベレストが見れるっていう、なんとも日本的発想にはビックリでした。でも1室150ドルぐらいとのことですから、「安い」?ちなみにこのすぐ下に以前空港があって、今はこのホテルの宿泊客がヘリでやってきます。僕らが3日かけて登ってきたところを1時間半で来ます。半分以上が「日本人」でした。

 「シャンボチェの丘」ですが、標高3900弱で気づいたら富士山より高いところにいました。

 ここからは宿がまたまた一緒になったJICAの方々と一緒にトレッキングすることになりました。村に宿はたくさんあったのですが、先に着いた僕らの宿に彼女たちが来て「あ、同じところに泊まるの?ストーカーだあ」とか言われちゃいました。俺の方が1時間も前にチェックインしてるってーの。

 ここから3泊かけて最終地点の「ゴーキョ」をめざしました。往復7日間はずーっと標高4000m超にいました。ただ、歩いているのが山の中腹の道で泊まる村は川に近い場所なので、まわりの景色は自分より高い山を見ながらのトレッキングになり、自分が4000mより高いところにいる実感はあまりなかったです。

 各村に着いて荷物を部屋に置き一休みしたら、村の一番高い所へ行き夕食まで1時間ほど時間をつぶします。JICA最年長姉さんの指導で、寝るところより高いところで高度順応しておけば、就寝中に高山病にならないとのことでした。実は日本でこのトレッキングを頼んだら、「1名参加」はNGとのことでした。「就寝中が呼吸が浅いから一番危ないので、1人部屋だと体調悪化をガイドが見つけられない」とのことでした。だから僕は高山病のおそれのある標高になってからはガイドと同室にしてました。

 7日目に「ゴーキョ(4750m)」に到着!明日、目の前にある「ゴーキョピーク(5360m)」に登り、エベレストにご対面!その前に高度順応のため宿の裏の土手(約50m)に登る。ここでビックリ。土手のてっぺんの向こう側は幅数百メートルの「氷河」でした。この氷河は上流から何キロも続いていて、僕の目の前は土砂が堆積していて真っ白というわけではなかったんですが、まさか氷河が見れるなんて思ってなかったので感激して泣いてしまいました。静かに座って氷河を見ていると「ピシッ」と氷がきしむ音が聞こえるんですよ。これだけでも1週間歩いた価値はありました。

 ここまでは比較的緩やかな尾根道を歩いてきたのですが、翌日登ったピークへの道はまるで「富士山」でした。斜度がきつく、細かい砂利で滑ってなかなか登れません。登りはじめて3時間ほどして、一緒に登った姉さんとガイドと「もうここからでもエベレストが見えるし、あの旗のところでギブアップしよう」ってなりました。旗とはチベットの経典みたいのが書いてある様々な色の旗です。旗のすぐ下でへたり込んでいたら、後から登ってきた欧米人のトレッカーに「お前らなにをやってるんだ、もうそこだぞ」と言われ、彼が1分もしないうちに「ウオー」と雄たけびをあげました。そうです、旗のあるところが頂上「ゴーキョピーク」だったんです。

 興奮した僕はこの酸素の薄い中、ラストの10mぐらいをダッシュで登りました。そこはまさに360°大パノラマでした。ここまでの3時間の辛い登りなんて一瞬で忘れてしまいました。ここからは「エベレスト(8850m)」、「ローツェ(8516m)」、「マカルー(8463m)」、「チョー・ユー(8201m)」と8000m超の山がいっぺんに見れます。眼下には昨日涙した氷河が山から流れてきているのがわかり、村の前にある湖が見たことのないエメラルドグリーンになってました。

 日没のエベレストを見たかったのですが、年老いた二人に夜道の下山は危険とのことで他の若いJICA隊員を残し、早めに下山しました。でも途中で陽が沈みだしきれいな夕焼けのヒマラヤを見ながら歩きました。夕焼けって最後は空が紫になるんですよ。これも感動しました。で、突然姉さんが岩かげへ行き「ちょっとトイレ」となりました。彼女たちはネパール生活が長いので全然平気でした。それどころか、「夕陽をお尻に浴びてエベレストを見ながらなんて、もうできないから山口さんもしたら」と言われました。でも水分を摂ってるつもりでも高所のため発散しているらしく、尿意はありませんでした。残念!

 ちょっと長すぎというか、はしょってしまいましたが、こうして5360mまで行ってエベレストを見て来ました。ちなみにエベレストまで直線で20km弱です。まだまだ書くこといっぱいあります。けど、ここで1回区切ります。たぶん1週間後とかに再開するでしょう。

 8/2


第73回
『トレッキング2』

 パグディンで泊まった宿で今後のネパール生活に影響大の出来事が。

 夕飯のため食堂にいると日本人は僕一人みたいだったんですが、そこへ4人の日本人らしき女性登場。そのグループはネパリたちと普通に会話してたので「なんだ、日本人じゃないや」と思ってました。僕の近くにストーブがあったんですが、そこにチベットの民族衣装の「シェルパドレス」を着た女性がいました。

 4人のグループの一人がその女性に「ご飯ができたから写真撮ろうよ」と日本語で言いました。「え?日本人?」と思う間もなくカメラを持った人が僕の前に来ました。彼女たちは食堂内の僕の正面に座ってたんです。そこまでされたら仕方ないので「シャッター押しましょうか?」って言ったら「お願いします」となりました。が、彼女はみんなの所へ戻るなり、「彼、日本語うまいよ」だって。そうです、僕は空港に着いてから行く先々でネパリにまちがえられていたんですが、ここでもネパリと思われてました。

 最初に入ったレストランでガイドがポーターを探しに行ってる時、一人で座ってご飯を食べていたらそこのおばちゃんに「ネパリは裏で食べるんだよ、そこはお客さんの席」と怒られちゃったぐらいですから。ネパリが間違えるくらいだから日本人の彼女が間違えても仕方ないです。周りに座っていた他のネパリガイドやポーター達が馬鹿ウケで、「ネパリのフリをしてろ」ってなりました。

 食事が終わり、彼女たちが部屋にもどる時にドアの近くにいた僕が「俺日本人なんだけど」って言ったら真顔で「ウソだぁ」って言われ、「パスポートを見せようか」と言うと信じてくれました。彼女達はJICA(海外青年協力隊)のメンバーでした。だからネパール語がペラペラだったんです。僕が食後に外へ星を見に出たら、先程のシェルパドレスの方がタバコ片手にトゥンバというお酒を飲んでました。彼女だけオーバー30なので「シニア協力隊」なんだそうです。目的地は同じ「ゴーキョ」でしたが彼女達は休暇の都合上、かなりタイトなスケジュールだと言ってました。

 翌日、彼女達は先に出発したんですが途中で追い越しちゃいました。600mの急な登りを頑張って歩いていると、大勢の人が休んでいる場所があり僕らもそこで休憩にしました。

 なんとそこはこのトレッキングで一番最初に「エベレスト」が見えるポイントだったんです。ガイドに「あれがそうだよ」と言われて見えたのは、高い山々の間から頂上が少し見えるだけでした。たまたまそこにいた初老の日本人の方が「こんなによく見えるのは珍しいんだよ」と教えてくれ、慌てて写真を撮りました。

 そこから1時間ほどで今日の宿泊地、「ナムチェ(3440m)」に着きました。

 7/27

第72回
『トレッキング』

 まだ文化の違い等いろいろあるんだけど、ネパール滞在のメインの「エベレスト」を見るトレッキングの話。

 カトマンズの空港から飛行機で35分、標高2800mの「ルクラ」に到着。ここはTV[あいのり」でもメンバーが来てました。

 飛行機はコックピットのドアがオープンで一番前に座っていた僕は着陸を特等席で見れました。が、これがよかったかというとそうではなくて、このルクラの空港は山の斜面にあり、滑走路は500mあるのかなぐらいです。で、着陸はその斜面(機内から見たら崖)に突っ込むように着陸、斜度を利用しての減速、みるみるうちに壁が近づいてきて「ぶつかるよ」ってマジで声出しちゃいました。その瞬間、機はすっと右に曲がり4機ほどのスペースがある構内に止まりました。

 狭い空港なので、僕らを降ろしてもエンジンは止まらず、帰りの客と荷物を積んだらすぐにカトマンズに向けて飛びました。今度は離陸ですが、滑走路の斜度を利用して速度を上げるのですが、滑走路のエンドの先は崖だし、飛んですぐに機を左旋回させないと正面の山にぶつかります。めちゃめちゃテクニックありますよ、パイロット。ガイドブックを見るとこの空港は舗装されてなく、砂利の滑走路です。その頃に比べれば少しは楽なんでしょう。

 ガイドに「よく事故が起きないね」と言うと、「滑走路の横に1機あるね、あれ8月に車輪が出なくて胴体着陸ね」だって。よく止まったもんだと感心、してる場合じゃない。で、その機体を直すのはここではできないし運べない、で考えたのが飛んできた飛行機の壊れた部品をその機から取って交換してるそうです。って、ここでかい!

 アジアではあまり深く考えちゃいけないみたいです。旧#15さんが「初めての海外で飛行機で靴を脱いだんじゃ?」って言ってたけど、ちょっと前までは「ビルマ航空」のスチュワーデスはマジで裸足だったそうです。それを思えば、ここはアジアでもかなり貧しい方の国なんだから、なんでもありっすよ。

 まず最初にガイドがしたのが「ポーター」探しです。でもあっと言う間に決まりました。年齢は16歳、名前は最後まで覚えられなかった。小さい体で軽々と荷物を運びます。彼の住んでる村はすごく遠くらしいのですが、ポカラの時に遭遇したのと同じ「反政府組織」が村にやってきて若者は強制的に組織にいれられるので、逃げてきて「ポーター」をやってくらしてるそうです。20歳を過ぎたくらいだと組織に入らなくても大丈夫との事で、稼いだお金は親戚に頼んで届けてもらうそうです。

 何故逃げるのかというと、この組織は穏健派からゲリラ的な過激派まで様々で彼の村のような地方に来る組織は政治がどうこうより、兵士的な人間を求めてくる場合が多く、拒否するとひどい時は殺されるそうです。もともと都市部と地方の貧富の差への不満から始まった組織なのに、政治的にまとめる力のある人物がいないため、こんな変なことになっています。

 この空港はエベレストトレッキングの重要なポイントで、この組織に何度も狙われています。今は軍が基地を作って空港と村を守っています。夜8時から朝5時ぐらいまで「外出禁止」です。村のメインストリートの両端には夜になると鉄条網でバリケードが出来て、村の外へ行き来できなくなります。ライフルを持った兵士が常に数名パトロールしています。結構びびりますよ。

 ここからほとんど登りはなく、2時間ほどで最初の宿泊をした「パグディン」という村に着きました。

7/26

第71回
『もう少しナマステ』

 もう下ネタはないです。ただ、日本ではありえないような話をいくつか。

 僕のいたタメルという地区は、バンコクのカオサンと並び評されるようなツーリストのたくさんいる町です。安宿やみやげ物屋、ネット屋、食堂、両替屋、旅行会社、そしてビザ取得に重要な各国大使館。ここにいればとりあえず、不自由せずに生きていけます。物価も安いし、みんなやさしいのでついつい長居をしてしまいます。そういうのを「沈没」っていうそうです。僕も2ヶ月いたわけだから、「沈没」したのかな。

 街中は埃と排気ガスで空気が悪く、ノドを痛めます。ツーリストの中にはマスクをしてる人もいます。正直、半端じゃないです。で、ネパリーはよく痰を吐きます。最初は「なんだよ」って思ってたけど、吐かなきゃノドをやられます。ついでに言うと鼻はティッシュなど使わず「手鼻」です。というより、ティッシュは超貴重品ですから、鼻なんてかむのはもったいない?なので、僕も痰吐き、手鼻でした。

 ある日、散歩をしていると下校中の小学生の集団に会いました。その中にとても可愛い一人の女の子を見つけました。「おぉー、かわいいというより美人だなぁ」と思ったその瞬間、「かぁー、ぺっ!」と見事にノドのお掃除をしました。きっと強い母になるんだろうなぁ。さすがに女性の「手鼻」は見てないですが、山で知り合ったJICA(海外青年協力隊)の女性人は「手鼻はできたあたりまえ」と言ってました。帰国後が大変です。

 ネパールに入ってまだ間もない頃、ちょっと離れた村を訪れたんですが、現地では水には注意ってよく言いますよね。僕は初めての海外一人旅で病気だけは怖かったので水だけはこだわってました。歯を磨くのもミネラルウォーターでしたから。

 それがその村で驚かされたのが、路地で子供たちが遊んでてその中の一人のコがこっちへ向かって走ってきました。僕の横にはお菓子屋さんがあって、店先に小さいバケツに入った水があったんです。その村は井戸水を汲んできて使ってるみたいなんですが、その水は道端にあるわけで一瞬「雨水?」とさえ思えました。その水をその走ってきたコがグビグビと飲むんです。で、「えー!」と思う間もなく、また走って遊びに行きました。井戸水を飲むのも勇気いるのに、すげえぜネパールって思っちゃいました。

 旅の熟練者に聞くと井戸水はちょっとだけど、水道水は大丈夫らしいです。大丈夫というのは「命」の話で下痢は絶対と言っていいほどするらしいです。でも一度下痢をするとその国はOK!とのことです。また違う国へ行けばそこで下痢をするらしいです。変な話、現地での水に馴れてそこでの生活が長いと、日本に帰ってから日本の水を飲んでも下痢をするらしいです。水が悪いのではなく、体が対応するらしいです。

  いい加減トレッキングの話にしないと、フットボールの話ができない。考えよう。

7/22


第70回
『・・・』

 いきなり下ネタもなんなんで、少しづつ。

 最初にショックだったのが、ネパリーは男同士で手をつないで歩きます。「え?やばい、みんなそっち?」って思いました。旅馴れている日本人に聞いたら、インドはもっと凄いけど、同性愛とかではなく仲のいい男友達とは普通に手をつなぐらしいです。ただ、肩を抱いたり腰に手を回したりして歩いているのはちょっと・・・らしいです。

 お祭りで混雑した中を歩いてるときにラムが僕の手を引っ張ってくれたけど、ラムはあまりそういうことはしないです。トレッキングで仲良くなったガイドと別れてから1週間後にばったり会ったときは、村の中を彼と普通に手をつないで歩いてました。ネパール生活が1月以上経ってたので、違和感なかったです。

 ある日ラムが「山口、これいきますか?」と右手の小指を立てました。おいおい昼間っから何言ってんだよとか思ったら、それは「トイレ」のサインでした。「日本では彼女とか女の子とかの意味だよ」って言うとビックリしてました。帰りの空港でトイレに行きたかったので、警備の兵士にこのサインを出したら、「お前、日本人だろ?」ってバカウケでした。他のアジアの国でも通用するところがあるみたいです。

 トイレですが、都市部では水洗が多いです。水洗といっても和式の便器(きんかくしは無し)で、横にバケツと水道の蛇口があり、用をたしたら自分で流します。お尻の処理は基本的には左手で水をすくって「セルフ・ウォシュレット」です。僕らはトイレットペーパーで処理しますが、詰まってしまうような所はバケツのようなものが置いてあって、その中に捨てます。トレッキング中のトイレの話はその際に。

 1回目のトレッキングからタメル(カトマンズ)に帰ってきて、かなり疲れていたのでラムに「あちこちマッサージって看板があるけどあれはどう?」って聞いたら、「足が疲れているなら、山口行ってこい」と言われました。「アスリール(Hな)マッサージじゃないよな?」って聞くと「足、500ルピー、それ、500ルピー」と。「おいおい」ですよ。一番近くの店の向かいにもネパリーのオフィスがあって一度行ったときに、そこの女の子と階段ですれ違いました。すごくかわいいコだったのでオフィスの友達に聞いたら、18から23歳ぐらいまでのコだそうです。その時はその店はそっちのサービスなんかしないと思ってたんですが、そこもそうだって聞きビックリしました。

 営業時間が昼の10時から夜は7時ぐらいまでなんですよ。そんな昼間っから行けないじゃないですかぁ。で、そんな僕の話が近所に広がり(?)ひとりの男登場!結局本名は知らずに『ジキジキ先生』と呼んでました。ジキジキとは放送禁止用語のことです。日本でも伝統的な手によるサインがありますが、僕が思うにネパールでは友人と会うと握手をするのですが、その時、中指で相手の手のひらをくすぐります。これがサインみたいです。ジキジキ先生は僕に会うたびにこの握手をしながら「いつ行く?」って聞いてきます。「ツーリストは1000ルピー、ディスカウントしても500ルピー、ネパリーは300ルピー、お前は俺と行けばネパリープライスOK!」と。

 ある日、ラムと事務所で話してたら、ラムが表を歩いているコを呼びました。彼女じゃないけど誰?ってカンジでした。そしたらいきなりラムが「山口、1000ルピー」とすまなそうに言いました。「え?は?」ってなり、「あぁー!」「おいおい、1000は高いだろう。」って言ったら「今、お祭りで他のコがみんな田舎へ帰っていてこのコしかいない、だから高い」そうです。年は23だそうですが、ちょっと・・・だったので、渋ってたら怒って帰っちゃいました。

 そして翌日帰国という日に、お土産を買ったりした後、ラムの事務所でのんびりしていたら、その時のコが両替に来ました。事務所には両替のお金が無く「山口、チェンジ」と言われて両替してあげました。そのコとラムが世間話みたいのを始めたので座っていたら、ラムが僕に「今両替したのを見せろ」と言い、その中から500ルピー札を指差しました。「山口、OK!」って。そうです、ラムは明日帰国する僕の為に彼女にディスカウント交渉をしてくれてたんです。

 でも僕は断ったんです。本当です。実は前日同じホテルに泊まっていた大阪の女性と朝ご飯をご一緒した際、そっちの話になりました。僕もその方もヒンドゥー教の国だからそういうのは無いと思ったって話してました。で、その方が「やまさん、絶対に辞めてね。インドからの出稼ぎでエイズがネパールでも問題になってるから」って言われました。確かに空港から町に来る道に、『ストップ・エイズ』の凄いデカイ看板を見ました。

 「旅の恥は・・・」ってノリで前日まで行く気満々(?)だった僕の気持ちはサーっと引きました。子安の兄さんや逗子の旦那から「健闘を祈る」メールを頂きながら、断念しました。

 ラムに「ゴメン」と言うと、彼はやさしく「OK!OK!」と言ってくれました。ネパール滞在中は『旅の指差し会話帖』みたいのがあって、これにはネパール語と日本語、発音をカタカナで書いてあり、これでラムとコミュニケーションをとってました。OK!と言ってくれたあと、ラムがニヤニヤしながら『性格』のページを開き、何か言葉を捜してました。「おー、山口、これね」とラムが指差した言葉は『臆病者』でした(泣笑)。僕は『勇気ある撤退』だと思っています。

 本当に行ってないからここに書きました。ただ、相手があの階段ですれ違ったコだったら『無謀な突撃、お味方総崩れ』だったかも。ちなみに500ルピーは約800円です。今はなき、昨季主将曰く、「1日中、行けますね」ってそれは金額の問題か?

 ご意見、ご質問はBBSへ。

 7/21

第69回
 『初トレッキング』

 トレッキングって登りが辛いって思うじゃないですか。2日目に600メートルずーっと階段ってのがあったんです。しかもガスってて上が見えなくて、ひたすら足を上げるんです。これはきつかった。でも下り3時間ってのがあって、そっちのほうが倍きつかったです。先日、「ラザロ山岳部」で大山へ行ったんですが、隊長は下りでやられてしまいました。

 初めて8000M超の山を見たのが3日目でした。『ダウラギリ(8167M)』という山なんですが、距離があるため目の前の6000Mぐらいの山のほうが迫力があったりします。あと『アンナプルナ(8091M)』という山も見ました。僕のトレッキング中に日本人の登山家の方がこの山で亡くなりました。

 ただ、山が見えるのは朝の1時間ぐらいであとは霧(雲?)で何も見えず、辛い山歩きになります。でも、初めてのトレッキングでこれだけ見れたのはよかったです。なんでこんな辛い思いしてまで登るんだろうって考えながら行くのですが、朝日のあたる山々を見ながらチャイを飲んでると、「あぁ、今日も歩くかぁ」ってなるんです。太陽が昇ってくると、山に陽があたるのが映画を見てるみたいです。あれは写真とかじゃわからない感動です。

 このトレッキングでちょっと事件がありました。2泊目の村で反政府ゲリラと遭遇したんです。彼らに言わせると、その村は彼らが管理しており、通行料を払えとのことでした。話には聞いてましたが、まさか自分が遭遇するとは・・・。15ドルぐらいだったから、しょうがないけど払いました。シカトしようかと思ったんですが、中国の人民服を着たリーダーみたいなヤツの不敵な笑みと肩からぶらさげている自動小銃にビビリました。

 で、彼らはこの村に駐留して食事を毎日1軒1軒代えながら食べるんです。まあ、一種のたかりです。だって村的には彼らがいるメリットは何もないんですから。その夜は僕の泊まっている宿が当番だったらしく、宿泊客が食事を済ませた後に彼らが来ました。その中の一人のオヤジと仲良くなりました。話を聞くと僕より年下でした。ネパールでは貧富の差が激しく、仕事があまりないので、この組織に入ってるみたいな事を言ってました。彼らは政府に対して反抗しているのであってツーリストには害をくわえません。お金をとるのは被害かもしれないけど、命はとらないからってカンジです。

 一人の若いゲリラの子が、日本語を教えろと言ってきました。どうやら、日本人トレッカーに通行料をもらうときに日本語で伝えたかったらしいです。僕は早く解放して欲しかったので、ちゃんと教えました。ダメじゃんって言われるかもしれないけど、自動小銃持ってるヤツに「NO!」って言えますか?怖いから銃は置けって言ったら素直に椅子の上に置きました。で、教えてる時に2度も他の若いゲリラの子が銃を触って落としたんです。その度に僕は「弾がでたら・・・」ってマジでびびってました。でも、僕と話していた子が落とした子を凄い剣幕で叱って、僕に謝ってました。根はいいヤツばかりかなって、ちょっと思いました。

 翌朝出発してしばらく行くと、彼らのゲートみたいのが有り、昨日払った領収証がないとまたお金を取られるのですが、僕が領収書を出そうとしたらみんなが笑顔で「お前は友達だからいい」って言われちゃいました。ゲリラと友達ってのもねぇ。

 この約1ヵ月後、カトマンズで同じ宿に泊まっていた方が、こっち方面にトレッキングをしたというので、大丈夫だったか聞いたところ、その方の泊まった日にその村に政府軍がゲリラ掃討に来て、翌朝は村全体が戒厳令状態ですごく怖かったそうです。ゲリラは少人数の相手には手向いますが、軍が来るとあっという間にいなくなるそうです。

 おーっと、カトマンズに帰ってきました。次回はいよいよおっちゃんたちの期待している、『下ネタ』を少ししましょうか。

 7/16 @自宅

第68回
 『クマリ』

 クマリとはネパールの生き神様のことで、「クマリの館」というところにいて、めったに見れない(事になってる)らしい。滞在期間が限られているツアー客などは、運が悪いとずーっと待ってても出て来なくて、一度も見れずに帰国したりする。だけど僕は「もういいや」っていうぐらい見たし、年に一度だけクマリが館の外に出るお祭りの時なんか、3mぐらいまで近寄って写真撮りまくっちゃいましたから。

 クマリが外へ出るお祭りは「インドラジャットラ」といって、日本のお寺にいる「ふーてんの寅さん」で有名な「帝釈天」のお祭りです(たぶん・・・)。すごく日本と似てるのが、お祭りの初日に広場に柱を立てます。日本にも「御柱祭り」ってありますよね?で、クマリは「山車」に乗って街中を巡行するんです。これなんか「祇園祭り」みたいです。やはり、「ヒンドゥー教」と「仏教」これがミックスして日本に来てるってカンジです。

 やっとトレッキングの話に・・・。ネパールでは2回トレッキングをしました。最初は標高3000Mぐらいまでの1週間ツアーでした。カトマンズからネパールで2番目に賑わう「ポカラ」へ移動です。普通はバスで7時間かけて行くのですが、ちょっと金持ちぶって飛行機で行きました。

 9時のフライト予定だったので7時半にチェックインしてました。10月の頭だったのでいつもなら雨季は終わっているはずだったんですが、天候がイマイチでなかなか飛行機が飛びません。すごい不安になって係員に何度も尋ねていたら、顔を覚えてくれて「お前の番になったら呼びに行くからここにいろ」と言われました。待つこと3時間、チャイでも飲もうと買って口をつけた瞬間、「お前の便が飛ぶぞ」と呼ばれ、泣く泣くチャイを捨てました。その一部始終をみていた欧米人のトレッカーが「Oh!」と哀れみの目で見送ってくれました。「俺たちのはまだだから、ラッキーと思え」みたいなことを言ってました。

 3度にわたるボディーチェックを受け、喜んで飛行機まで行くバスに乗り込みました。待つこと10分、バスは動かず、出た答えが「キャンセル」の一言。当然、お詫びのアナウンスなんて皆無。あっと言う間に外に出されました。ツアー会社に連絡し、カトマンズに1泊して翌日、無事にポカラへ行きました(でも1時間半の遅れで)。

 飛行機は15人乗りでした。席は自由で翼の上にならない席をみんな競いあって座ります。山がよく見えるからです。飛んでる時間は45分ぐらいです。たしかにヒマラヤの山々が間近に見えて迫力満点です。カトマンズの空港もかなりしょぼかったけど、ポカラはもっと凄かったです。舗装してなかったら、ただの原っぱです。空港の外にはガイドとポーターがタクシーの横で手を振って待っていました。

 5000M超のエベレスト方面のトレッキングに比べたら、高山病の恐れもないし、日本で富士山に登ってきたから余裕だぜ、ってなめきっていたのがとんでもないことになる、これが第1歩でした。

 そろそろ、下ネタいれないとダメっすかねぇ?「ジキジキ」ってタイトルだったら子安の兄さんや、逗子の旦那とか、食いついてきますかねぇ?

  7/15     @自宅(PCでやりだすと携帯で書いてたのが信じられない)

第67回
『ナマステ3』

 ネパールの物価はめちゃ安ですよー。トレッキングから戻って、町の中心部のホテルに1月近く泊まったんですが、1泊8ドルでした。むこうで知り合った日本人やネパリーには「高い」と毎日怒られてました。でも、そこは日本語が通じるし、セキュリティもしっかりしてたから僕的には全然OK!でした。10畳ぐらいの部屋にベッドが2つ、トイレ・シャワー付きで毎日部屋を掃除してくれるし、バスタオル、トイレットペーパーは常に補充してありました。5ドルぐらいで同じような宿はあるんですが、トイレに紙がないとか、お湯が出ないとか、いろいろあるんです。

 食事ですが、日本食屋はいくつかあって、味はかなりのレベルです。馴染みの店の味噌汁は絶品でした。定食で400円前後です。メインのおかず以外に一品と漬物、味噌汁、ご飯は一杯までおかわりOK、デザート付きです。でもこれは超贅沢です。普段はネパリーと一緒に食堂に行きます。「モモ」という餃子みたいなのをよく食べてました。12個ぐらいで100円ぐらいかな?コーラが40円ぐらい、チャーハンみたいのが100円しなかったと思います。あと、「チャイ」は1杯10円しないかな?日本食を食べなければ1日300円かからないです。しかも腹いっぱい。

 「ダルバート」を忘れてました。ネパールの主食みたいなもので、豆のスープとカレー味のおかず、チョット辛い漬物がセットになって、ごはんを右手で混ぜて食べます。ネパリーは1日2食なので、メチャメチャ食べます。体は小さいのにご飯の量は半端じゃないです。食堂とかでダルバートを頼むと、スープもおかずもごはんも全部おかわりOKなんです。まさに「食い物大臣」2名様、行くべし!

 「水」は生水厳禁だったのでミネラルウォーターを飲んでました。1リットルで40円ぐらい。味はぬるくても美味いと感じるほどの高レベルでした。

 交通機関もバスは30分ぐらい乗っても、40円ぐらいです。タクシーはメーターでも行きますが、交渉制でもあります。最初はやられっぱなしでしたが、だいたいの目安がわかってからは高いことを言うとすぐ次のタクシーに声をかけます。そのうち運転手が集まってきて、「俺はいくらでいい」とか勝手にディスカウントします。一度、交渉して100ルピーと言われたけど、「メーターで行け」ってやったら、メーターが120ルピーでした。ちゃんと120ルピー払いましたよ、情けない。

 ネパリーは「YES]の時にちょっと首をかしげるんです。「NO」は日本と同じで手や首をふったりします。これに慣れるのも厄介でした。タクシーの運ちゃんに「250で行け」って言うと「300」だと言う、「250じゃなきゃ、他を探すよ」って言うと「待て待て」と首をかしげるんです。「だからぁ、ダメならいいよ」ってなるんですが、むこうは「OK!OK!」って言ってるんです。これに慣れてしまって、帰国直後は首をひねってましたよ。

 7/14   地元戸塚は『お祭り』です。

第66回
『ナマステ2』

 旧#15に突っ込まれながらも、夢の印税生活のため・・じゃない、真面目に「ネパール日記」続行!!

 記念すべきネパール初日は日本で予約したホテルにガイドと一緒に到着。普通、ネパールとかアジアを旅する人はホテルとか予約しないで、行き当たりばったりです。そんなの僕には絶対無理だと思い、日本語ガイド2日間と最初の10日間のホテル、1週間のトレッキングまでは日本で手配して行きました。

 2日間で首都のカトマンズの観光地をまわり、3日目から1週間は一人での行動となりました。でもすぐに日本人の旅行者と知り合い、ネット屋のネパリーとも仲良くなったりで不安はあっという間に無くなりました。このネット屋のネパリー「プラカス」と「ラム」はネパール3日目からずーっと仲良しです。昨日もラムから電話がありました(当然、英語、日本語、ネパール語のちゃんぽん)。

 ネパールは「ヒンドゥー教」と「チベット仏教」が見事に共存いています。ここでは宗教での争いは皆無です。ヒンドゥー教の建物がチベット寺院の中にあったりします。街中は物凄い人と、車やバイク、それのクラクションで賑やかを通り越して超うるさいです。この国では道路では大きいトラックやバス、次が車、バイク、そしてリキシャや自転車が優先というか偉い(?)みたいで、人間が一番弱いです。日本みたいに歩行者保護なんてナッシングです。あ、でも一番偉いのは「牛」です。「ヒンドゥー教」の国ですから。人ごみを歩いていて急に人がいなくなったなぁって思うと、急に目の前に牛出現!とかなります。プラカスとラムは絶対に牛は食べません。なぜか水牛はOK!です。ツーリスト向けにステーキ屋はあります。水牛ではなく、インドから牛を輸入するらしいです(いいのかな?)。ステーキというより肉の塊です。味はガーリックソースが美味いんですが、400グラムはかなりウンザリでした。ライスなんて注文したら食えないです。値段は日本円だと500円しないぐらいです。

 ヒンドゥー教は火葬です。インドのガンジス川での火葬はテレビとかで見たことがあるかもしれません。インドでは不慮の事故などで死んだ場合は火葬しないで川に流したりします。火葬も完全に焼けてなくても川に流します。そうしないと処理しきれないんでしょう、あの人口数のインドでは。

 ネパールではみんな完全に火葬します。ガンジス川のような大きな川がないからというのもあるのでしょうが、ホントに灰になるまで焼いて流します。川の対岸で見学できるんですが、少しぐらい残るのかと思っていたら、人間って本当に灰になっちゃうんです。何も残らないんですよ。だから、灰を川に流すネパリーに「お墓」というものの説明ができませんでした。

 日本人は葬式=火葬というのがあるから、見学とかいっても結構厳粛に見てるんですが、欧米人はエグイですよ。火葬している側に行って、すぐ近くからバシバシ写真撮りますから。

 ちょっとひいたのが、遺体を巻いていた布を火葬する前に何枚か先に川に流すんです。それを50mぐらい下流で拾っている人たちがいるんです。乾かして着るのか、売るのかわかりませんが普通に川に入って集めてるんです。インドのガンジスでは火葬もすれば沐浴もするし、トイレにもする。それにくらべれば大した事ないのかなぁって思いましたが・・・。

 やばい、まだトレッキングに行ってないどころか、カトマンズから出てない。あー、こんなだから「印税生活」とか言われちゃうんだよなぁ。でも文章力低すぎるから大丈夫!

7/13


第65回
 『ナマステ』

 ネパールに行くには、直行便は関西空港からしかなく、普通はバンコク経由で行きます。僕は初海外だったので、バンコクトランジットなんて絶対にできないと思い、関空からの直行便にしました(情けない)。

 旅行会社の人が「最近のネパール便は早く飛ぶ時があるから、早めに空港に行ってください」というので、13時発ぐらいなのに11時にはチェックインして待ってたら、13時になっても飛行機が来ない。これがそもそもネパールだと教えられた第1歩でした。早く飛ぶなんてのも信じられないけど、ネパールでは遅れるのは当たり前で、それについては乗客(ネパール人限定)側は怒りもしないし、航空会社側も何もあやまらない。しかも、日本へ来てる航空会社の「ロイヤルネパール」はその名のとおり国営です。なので、どんな立派な飛行機かと思いきや、ジャンボではなく左右3列シートのヤツでこれで8時間かけてネパールから飛んできて、トンボ帰りするの?ってビビリました。

 最近聞いた話で、ロイヤルネパールの国際便の飛行機は3機しかなく、1機は故障中で僕の行ったときは2機で運行してたんですが、3月にはもう1機も壊れ、最後の1機で頑張ってるそうです、って故障中のを直せっていうの!「おおらか」ではなく、マジで「適当、おおざっぱ」な国です。でもそこが「この国、大好き!」になった理由なのかなって今は思ってます。そんなだから、飛行中の席の移動は空いてればどこでもOK!でした。それはそれでよかったです。

小さい飛行機だから途中で給油しないとネパールまで行けないって理由らしいんですが、上海で1時間ほど機内からターミナルへ移動、待機させられました。飛行機に戻ったら、前の方のビジネス?のシートで操縦士がまるで観光バスの運ちゃんみたいに口を開けて仮眠してました。日本的に言えば彼は国家公務員なんでしょうが・・・。

 ひとつ困ったのが英語のネパール訛りでした。上海に着く前にネパールまで行くのか、上海で降りるのかを客室乗務員のおばちゃんに聞かれるですが、「上海」を「シャンガイ」と言うんです。これはネパールで友達になった人はみんな「シャンガイ」でした。たしかにスペルに『G』が入ってるけど「はあ?」って顔をすると、おばちゃんスッチーは「シャンガイ?カトマンズ?」って怒鳴るから、「カ、カトマンズ」と言いました。「っていうか、なんだよシャンガイって」ってブツブツ言いながら。

 そんなこんなで、首都カトマンズに無事到着!空港でビザをもらう手続きも、荷物も無事に通過、タクシーの客引きがものすごいいると聞いてたので、日本語ガイドを日本で頼んでおき、彼と会って車に乗ることとなったんですが、ここでアクシデント。僕の頼んだツアー会社のカードを持った人間が荷物を運ぶというので車まで頼みました。で、車に乗ったら「チップ、チップ、せんえん、せんえん」って言うんです。雨も降ってたし、まだ、現地の金に両替してなかったので普通に千円渡しました。車が動き出し冷静に考えたら、ヤツは全然関係ない男でチップなんて必要なかったんです。荷物だって100メートルも運んでないし、だいたい千円って2日分ぐらいの稼ぎです。いきなり高い授業料払っちゃいました。

って、まだネパールに着いただけなのに、こんなに書いちゃいました。60日も行ってたから、全部は無理って思ってたけど、やばいなぁ。ま、ちょっとリーグ戦まで時間あるし、更新しないよりはいいかなと勝手に思い込み、つづくということで。

 『ナマステ』はもともとはちゃんとした挨拶だったんだけど、いつのまにか英語の『ハロー』みたいに使われるようになったらしいです。手を合わせて『ナマステ』でOK!です。

7/12    @自宅

第64回
 『ネパール』

 昨年9月下旬から2ヶ月、リーグ戦を放り出してネパールへ行ってきました。

 「何でネパールなの?」ってほとんどの人に聞かれます。一番の理由は「一番」がある国だから、かな?

 この年になるまでパスポートも持ったこともなく、当然海外に行った事は無かったんです。仕事を辞めることになり、せっかくだからどっかに長期で行きたいなぁ、って漠然と考えてました。フットボールに30年近く触れていたんだから、アメリカに行きたいっていうのは普通なんだけど、なんだか違うかなって思えてきて・・・。若いときは「絶対アメリカ!」だったんだけど。

 3年ぐらい前に『ビッグコミック』系の本の中で『ネパールに行ってきた』みたいなのがあったんです。でも、それを読んですぐにスィッチは入らなかった。やっぱ同じ本の違う漫画の中で「エベレストの頂上からだと、人口衛星って肉眼で見えるんだぜ」ってセリフがあったんです。たぶん、これがスィッチ・オンになったんだと思います。

 それからは毎日ネパール、ネパールでした。いろんな本を読んでるうちに「エベレスト」もいいけど、他にもけっこう魅力あるのがわかってきて、たとえばバックパッカー(貧乏旅行者って言われるけど、みんながそうじゃない)には天国のようなところとか。物価は安いし、気候もいい。人はみんなやさしくてとてもいい国だとか。初めての海外旅行には最高じゃん、みたいに思ってました。でも最大の目標は「世界で一番高いところを見たい」でした。間違えないでほしいんですが、登るんじゃないです、「見る」です。

 「エベレスト」って「チョモランマ」とどう違うの?とか、ネパールってどこにあるの?とか、「チベットに行くんだよね」ならまだしも、「ミャンマーに行くんだって?」とかいろいろ言われました。僕だって3年前までエベレストがどこの国にあって、ネパールがインドの上でチベットの下にある国だなんて知らなかったです。でも性格上、ある程度のスカウティングはしないと気がすまないので、猛勉強の毎日でした。せっかく行くんだから、そこそこの日常会話はしたいし、レートも頭にいれておかないと、ボッタくられるじゃないですか。もう、必死といったカンジでしたね。なにせ、この年で初の海外旅行が一人旅ですから、決断するまではかなりびびりました。

 ちなみに「チョモランマ」はチベットでの呼び名で、ネパール語は「サガルマータ」です。

 つづく

7/6     @自宅

第63回
 『3連チャン』

 鎌倉ボウルに2試合とも出場して、ヘロヘロの1週間をすごした管理人には大変申し訳ない、3連チャン投稿です。だって、あまりにも硬い内容が続いてちょっとこのままじゃと思いまして。

 なんかおもしろい話があればと思ったのですが、おもしろいかどうか裏話をいくつか。

 昨年、実況放送をお願いした方が今年は都合がつかず悩んでおりました。第1試合はラザロOBの旧#80にお願いしました。彼は仕事柄、マイクには慣れておりなかなかの実況だったと思います(どんな仕事だ?)。ビデオ撮影は夫人担当でしたので、ビデオを見てると実況の声も入っており、まさにラザロの『おしどり夫婦』ここにあり、ってカンジです。で、第2試合の実況をやってくれたのが、元、じゃない現?#64です。彼は#80とは違った意味でマイク慣れしており、アドリブの効いたなかなか楽しい実況だったと思います。今度、スタジャンでも作る時は袖に『MC#64』って入れましょう。センターとマイクってポジションじゃないので、本人は勘違いしないように。

 #64がナイス実況だったのは、鎌倉高校に負傷者が出たときにラザロのメンバーが担架担当だったのですが、けが人のところへ行かずにハドルに向かっていったときに、『担架が違うところに行ってますねぇ』とすかさず言ったのには感服いたしました。担架担当は三浦の大物OLでした。彼については書ききれないほどのエピソード有りですので、機会があればぜひ。

 私事ですが、冷水選手、彼はいい男ですよー。マジで立命館に対する考え方が変わりました。やはり古橋ヘッドコーチの偉大さだと思いました(関西コーチング協会のクリニックでも、そんなこと話していいの?ってとこまで教えてくれました。以前は閉鎖的だったのを古橋さんが変えたとのことです)。私は超ミーハーになり、Tシャツにサインしてもらい、携帯で写真まで撮っちゃいました。挙句の果てにメルアド交換までしてもらいました。「プレーなど自分でわかる範囲でならなんでも答えるのでいつでもメールしてくれ」と言い、「またいつでも呼んでください」とまで言われました。今年、関西は試合を見に行くときは絶対に立命館サイドで見るようにします・・・、たぶん。(あー、でもKGもなぁ。まっちゃんは両方NGやねんなー)。

 それと、言われるまで気づかなかったのが、得点板が逆でしたね。失礼しました。あちこちから突っ込みがあったようで、申し訳ないです。

 また何かあったら書きます。ネパール話なんか書いたらマズイのかなぁ?

 7/4  @自宅

第62回
 『お礼』

 『第3回鎌倉ボウル』開催におきまして、多くの方にお世話になりました。この場をお借りしてお礼を申し上げます。

 後援をいただきました『キュービィクラブ』様、賞品ご提供ありがとうございました。

 『日本プライベートフットボール協会』様には試合を行うにあたり、備品をお借りするだけでなく、審判員の派遣等実務面で大変お世話になりました。今年は手柴会長自らお越しいただき、大変恐縮です。

 毎年、立派なプログラムを作成いただいてる『リコー販売』様、ありがとうございました。

 昨年に続き審判をお手伝いいただきました、FOAの田口様、ありがとうございました。なんのおもてなしもできずに申し訳ありませんでした。

 『侍ウォリアーズ』山田晋三様、SES鈴木様、奥村様、代田様、そして冷水選手、大変盛り上がりました。ありがとうございます。そしてこのきっかけを作っていただいた、鎌学OBの千葉様、ありがとうございます。

 3回も続けて、遠路鎌倉までお越しいただいた、『横浜シーガル』の皆様、ありがとうございました。フットボールは1チームではできない、2チームでもできない、多くの人の協力がなければできないというのが、私の考えです。鎌倉ボウルをやるといっても、対戦相手がいなければ始まりません。それを踏まえて、こういった場にふさわしい相手と思い、お声をかけております。今後も何かと無理なお願いをするかと思いますが、よろしくお願いいたします。

 実は、今年はあのグランドが使えないかもしれないという状況だったんです。市内の他のグランドが使用不可になった為、笛田公園にすべて集中してしまい、2月の時点で年間スケジュールが決まってしまったんです。2月から準備するとは夢にも思ってませんでした。毎日のように市役所や公園事務所に行ってお願いをして、最後は普及連絡会の伊東顧問に調整をお願いして、なんとか6月第4週を抑えることができました。今年もまた伊東顧問にはお世話になってしまいました。ありがとうございました。

 まだまだ、お礼をしなければならない方がたくさんおります。失礼ですが、おって、お礼申し上げますので、お気を悪くされぬようおねがいいたします。

 最後に鎌倉ラザロとOB、鎌倉高校、鎌倉学園の皆様、今年も手作りの素晴らしい大会が行えたと思います。みんなで作っていく『鎌倉ボウル』これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。

 7/4 @またも自宅にて


第61回
 『第3回鎌倉ボウル』を終えて

 今年も無事に鎌倉ボウルを終えることができました。関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。また、今回たくさんの方にお手伝いいただき、大変感謝しております。ありがとうございました。お礼は次回に。

 Vol56にも書きましたが、開催も3回目となると、なかなか企画が手詰まりになってしまい、かなり頭を悩まされました。しかし、終わってみれば内容的には目いっぱいだったように感じます。

 大会一日を通して、故棚橋寛衛門氏の追悼ボウル的にするため、えりこ夫人とご長女にお越しいただき、コイントス、プレゼンターをお願いしました。

 第2試合は鎌倉高校が創部30周の記念試合ということで、イベント的にはいい企画だったと思います。そこへ、あのアリーナフットボールチーム『侍ウォリアーズ』様からの応援。賞品のTシャツ提供だけでなく、立命館OBの冷水選手をプレゼンターとして派遣していただきました。高校生の試合後の表彰式で、私が話しているときはざわざわとみんな聞いていませんでしたが、冷水選手を紹介してからの高校生の豹変ぶりはなんでしょう?しーんっとなって冷水選手の話を聞いてました。そりゃそうですよね、私も聞きいっちゃいましたから。

 今回の反省としては、もう少し見にきていただいた方も参加というか楽しんでいただく部分が弱かったかなというのと、集客が弱かったように思います。参加した人は楽しめたと思うのですが、競技人口増加のためにも、もっと多くの方、とくに小中高校生といったこれからフットボールをやるであろう年齢層に、なんとか見にきてもらえるよう考えなければならないと思いました。

 また来年、『第4回鎌倉ボウル』開催できるように頑張っていきたいと思っております。皆さんのご協力なければ何もできませんので、よろしくお願いいたします。

7/4  @自宅


第60回
『オーバータイム』

 関西学生リーグでのプレーオフって、96年に立命のQBが東野の時に三つ巴で結局、京大が甲子園連覇したあの時以来です。京大ってあれからずーっと甲子園に出てないんだなぁ。

 そんな久々のプレーオフでなんとオーバータイム。リーグ戦とか他の試合でも生でオーバータイムを見たことはなかったです。こっちが緊張しちゃいました。しかも、たまたま30ヤードラインぐらいで観戦していたんですが、私サイドで行われることになり、超ラッキーでした。

 内容、結果はご存知のとおりです。最初の関学のオフェンスでいきなりどたばたして「タイムアウト」。レストの間になにやってたんだぁ、って怒鳴っちゃいました。関学らしからぬと思ったんですが、偉そうに言って申し訳ないのですが、最近の関学は前半にポンポンと進んでも、後半になるとちょっと手詰まりになる傾向が・・・。強い関学は試合を通してのゲームプランで勝ってるんで、その辺がちょっと寂しいかな。3Q半ばあたりで、ここでこれをやるための1Qのあれかよーって感じで。95年の京大が立命に勝った試合なんて、前節の試合から立命に対して種まきをしてたぐらい『勝利』に徹底してましたから。当然、私なんかよりずーっと高いレベルでやってるから、もっと深いなにかはあるのでしょうが。

 TV放映に入ってない、試合終了後の話です。甲子園出場校決定戦だったので、セレモニーとかなく勝った立命の校歌のあと、関学の校歌斉唱が始まりました。この時、4年生が前に出てきて手をつないでました。主将が中央だったんですが、隣は主務の人でした。あぁ、いいチームだなあって見てたら、みんな笑顔で校歌を歌ってるんです。涙は流してたけど、すごい爽やかな顔で歌ってました。関学と無関係の私もなぜか校歌を歌ってました(笑)。しかも泣きながら。

 その後、グランドに試合に出た選手が残り、パート別に分かれて4年生が下級生にいろいろと話してました。その際も2、3年生は泣き崩れてるものもいるんですが、4年生は終始笑顔でした。本当にやりきったっていうときは、ああいう顔になるんだなぁって、とてもいいものを見れたと思います。リーグ戦で立命に勝って、京大に負けて、プレーオフのオーバータイムで立命に負けた、凄い経験を選手はしたし、見せてもらいました。この3試合は凄い大切なものが詰まっていると思います。ラザロの選手にも見てもらいたいんだけどなぁ。(いま、オッデイーのダビング中です)

 最後にラザロのアザースGMが嗚咽・号泣したと言う話。最後のFGを外した3年生のキッカーが可哀想で見ていられなかったそうです。あの雨の中、あの距離、あのプレッシャー、入れても同点、外れたら負け、これを21歳の子にどうしろって。当然ですが、誰も彼を責めないです。その状況を作ったのは進まなかったオフェンスだし、止められなかったディフェンスだし、チーム全体ですから。でも、その瞬間にそこにいたのはキッカーの彼なわけで。ポジ別の話が終わったあと、4年生に気にするなと励まされていましたが、放心状態で足が動かず、両脇を同僚に抱えられてロッカーに戻って行きました。甲子園で大田がFGを外したのを思い出しました。関学のことですから、あの翌年の時のように、彼のためにも強いチームになって、彼に思いっきり蹴ってもらうでしょう。

そうしたら、GM、また嗚咽・号泣お願いします。あざーっす。


第59回
『12月4日』

 5時のキックオフにやや遅れ、ダッシュで切符うりばに行くと、妙なおっちゃんが「すまんのぉ、助かるわぁ」とか言って財布をゴソゴソ。おいおい、勘弁してくれよってカンジでチケットゲット。雨に塗れた階段を駆け上がろうかという、まさにその時「ウオー」と地鳴りのような歓声、「何?なに?」とスタンドからスコアボードを見ると、関学が7点取ってるじゃないですか。まだ開始1分経ってないし。結局、このプレーは1ヶ月以上あとにビデオで見ました。

 そういえば、あの有馬が4年の時に立命に勝ったときも3プレー目に井岡が70ヤード独走TDってのも、今はなき西宮で見たっけ。関学は立ち上がりに絶対何か仕掛けてくるんだよね。

 その次のシリーズもアンバランスからモーション、その裏へのロールオプションからのQBキープで14-0。このあとは半端じゃない雨で、立命がイマイチ。関学も攻めきれず前半終了かと思いきや、やっちゃいましたよ、立命・木下へのTDパス。14-7でハーフタイム。ここで初めて気がついたんですが、ハーフタイムまでずーっと通路に立ったまま観戦してました。あまりにも異常な雰囲気にグランドに釘付けだったんです。オーバーな言い方じゃなくマジで。本当に今までに味わったことのない雰囲気でした。

 後半の立命のファーストプレー、いきなりやられちゃいましたよ、またまた木下君。65ヤードのTDパス。マジで彼は凄いです。NFLに一番近い男ですよ、彼は。

 実は、その木下選手、オランダのアドミラルズで活躍してます。そして鎌倉ラザロOBの鈴木氏を介しまして、『鎌倉ボウル』に木下選手のサイン入りグッズを頂きました。優秀選手へのプレゼントということです。

 試合は膠着状態だったのですが、4Qの関学の攻撃で、残り時間を考えるとボールコントロールしてFGで決まり、とい雰囲気の中、立命陣に入りかけた時、信じられないプレーが・・・。立命DT紀平のものすごいラッシュでQBがファンブル、思わず「何でだよぉ」と怒鳴ってました。立命はオーバータイムを考えて無理せず4Q終了。雨はいっこうに止まない。ドラマはここから始まった?んー、あのQBがファンブルしなけりゃあなぁ、っていうのは『たられば』っすかねえ。

つづく

 5/25 @自宅2階PCで。


第58回
『2004.12.4』

 去年のことって、何から書くのか迷うぐらい色々ありました。一応、フットボールのHPだから、とりあえずフットボールの話。でも、今回はちょっと違うかな?

 なぜか12月は京都に住んでました。で、4日に長居でプレーオフになるのを、前節の立命VS京大、関学VS近大ともに観戦して確認。気合いの入った朝をむかえました。

 なんですが、その前に大阪である方とお会いすることになってまして、今回はそのお話し。

 いつもだと『大阪ラザロ』のお二人なんですが、違います。BBSに書き込んでくれた『どうちゃん』です。どうちゃんとはネパールの首都カトマンズの長距離バスのバスパークで会いました。ネパール人の友達に明日の朝早くにバスパークに来るように言われ、なにかと思ったら、日本人ツーリストを捜してビジネスを手伝えとのことでした。私の目の前のバスの車内に日本人女性を発見!窓をたたいて開けてもらったんだけど、彼女は私をネパール人の物売りと思ったらしく、ちょっと様子見状態。「日本人です」って何度ネパールで言っただろう、まただよと思いつつ話しかけると答えてくれました。

 で、よくよく話してみるとどうちゃんは、私がネパールへ行くのに世話になった旅行会社の大阪支社の方でした。名刺をいただき、日本に帰ったらお話しきかせてくださいな、となりました。

 帰国する日に大阪で会うことになりました。ネパールへの日本からの直行便は関空からしかなく、羽田乗り継ぎが不便で半日時間が開くんです。その時間に会社を抜け出して昼ご飯を食べに行き、お好み焼きをご馳走になりました。

 で、2度目に会ったのが12月4日に長居に行くからその時に、ってなり今度は私が払うと言ったのですが、またご馳走になっちゃいました。ネパールを旅行してる人はバックパッカーのように貧乏旅行者だと思ったでしょう。今度はラザロのメンバーと行ったことのある『蛸の鉄』でたこ焼きを食べました。管理人や846は覚えてるよな。その話を大阪人#5にしたら「思いっきりベタやなぁ」と一蹴されました。ええやんか、うまいモンはうまいんやからぁ。

 どうちゃんは、やはり根っからの関西の人で、会話に必ずオチがないとハズミません。それは生まれ持ったもんなのか時々わからなくなります。BBSに書くきっかけになった、「暇なときに『鎌倉ラザロ』で検索してHP見て」とメールしたら、「わかったぁ、『鎌倉ザクロ』やねぇ」ときました。これはネタじゃないと思います。「そうそうツブツブが甘くてねぇ、って果物やないかぁ」って乗りつっこみしないといけなかったのでしょうか?

 そんなどうちゃんですが、仕事もちゃんとやってますよ。海外旅行、特に秘境関係に強い会社です。興味のある方はご紹介しますよ。先日は「アンコールワット」に添乗してきたらしいです。

 その後、どうちゃんと別れ、地下鉄に乗り、駅から雨の長居公園を球技場まで走り、たぶんこれ以上の試合は2度と見れないんじゃないかという凄い時間を体験しました。それは、次回。

 5/23 @自宅2階PC

第57回
  『棚橋さん』

 2月25日、日本社会人協会理事長でPFA初代会長の棚橋さんが急逝されました。26日の朝、川崎で行われるクリニックに向かう車中に電話で聞きました。その日久々に棚橋さんに会えると思っていた自分には、金沢・前理事長からの発表を聞くまで信じられなかったです。

 鎌倉ボウルを立ち上げる時に相談にご自宅に伺ったんですが、「おお、エライことやるなぁ、やったれ、やったれ」、「こういうことを地方でがんばっとると協会の方にも言っとくわ」、「なんや、『鎌倉アメリカンフットボール連絡会』って、『鎌倉フットボール協会』ってせぇや」とか、突然無理なお願いをしにいったのに、逆にハッパをかけられてしまいました。

 神奈川県のプライベートフットボールリーグの基礎を作り、横浜スタジアムというメジャーな会場で試合を行えるようにしてくださったり、私より上の年代の方々はかなりお世話になったと聞いてます。

第1回、2回とプログラムに挨拶文もいただき、昨大会は終了後にわざわざ出張先より駆けつけていただき、「ええやんかぁ、頑張れやぁ」と言われました。

 今大会の第1試合は、棚橋さんが立ち上げたPFA設立当初から参加、活動継続中の鎌倉ラザロと横浜シーガル戦です。第2試合の鎌倉高校は現・監督の中村氏の前に棚橋さんが指導していたと伺ってます。30周年記念試合でOB戦もありますので、棚橋さんの教え子の方達も参加されたら棚橋さんも喜びますよ。

 ご長女が県立長後高校でマネージャーをなされていて、その頃棚橋さんが指導に行かれてたとも聞きました。以前、ラザロに長後高校のOB選手が参加していました。連絡はしましたが、当日はぜひ仲間に声をかけて、駆けつけてくださいね、須崎君!久々に「たけのや」にも会いたいし。

 PFA設立時で棚橋さんをご存じじゃない方はいないと思います。久々に懐かしい顔に会いに来てみてください。

 ちょっと偉そうに言わせてもらいますが、鎌倉というより、神奈川で「棚橋イズム」はまだまだ継承されていますよと棚橋さんに見せたいので、棚橋さん縁の人はぜひぜひご来場ください。あのいつもニコニコ笑っていた棚橋さんを思うと、しみったれた雰囲気じゃあ怒られちゃいます。フットボールを楽しんでいるところを見せちゃいましょう!!

@自宅・初のPCから


第56回
 『第3回鎌倉ボウル』

 約1年半もサボってしまいました。
 2004年は自分にとって『人生の転換期』でした。夏前に20年近く続けてきた仕事(八百屋)を辞めました。それから栃木の足利まで合宿免許に行ったり、この年で生まれて初めてパスポートを取って、初めて海外旅行を一人で2ヵ月もしたり、京都に40日住んでみたりと、40を過ぎたオヤジとしては、とても『非常識』な行動でした。
 25年以上のラザロ人生でも、自分の身勝手でリーグ戦を休んだのは初めてであり、選手、スタッフのみなさんには大変申し訳ない事をしました。幹部の方々には旅行の話をした際に快く了承していただき、本当に感謝してますし、嬉しかったです。
 旅行の事、京都生活の事、書く材料はたくさんあり、恥ずかしながら未だ無職の身ですので時間もあります。管理人様に『またかよ』と言われるぐらい更新できればと思ってます。

 早いもので今年で3回目となる『鎌倉ボウル』。昨年の開催は、第1回の反省点をクリアするのに成功した手応えを感じられました。
 手作りですが『得点板による得点表示』、『プログラムに簡単なルール説明』など。そして『場内での実況放送』、FOA様よりボランティアで参加していただいた『本格的な審判による試合』等は、後援していただいたJPFF(日本プライベートフットボール協会)様のおかげだと感謝しております。
 開催告知もポスター掲示はみなさんの協力で行なえました。『タッチダウン』様にはカラーで告知していただきました。各新聞社地方版に私の顔写真が掲載され、自宅の近所でも『ついに何か悪い事をやらかしたか』とまで言われました。またFMヨコハマの生放送にまで出演してしまいました。本人も相当緊張してましたが、聞いていたチームのメンバーも緊張したらしいです(笑)。
 鎌倉市からは『鎌倉市長杯』をいただき、連絡会顧問の伊東様からは立派なトロフィーも贈呈されました。
 表彰式には鎌倉高校OBのオールジャパン選手や、同高フットボール部OG(マネージャー)で昨年の『ミス鎌倉』の方にまで来ていただきました(マジで綺麗な方でした)。
 QBクラブ様からは参加チームへ記念品をいただきました。
 はるか欧州オランダから、ラザロOB鈴木氏より昨年も『アドミラルズ』で活躍する日本人選手サイン入りの『ユニフォーム』をいただきました。
 リコー様からは第1回同様、素晴らしいポスター、プログラムを作成、提供していただきました。

 このように多方面からのご協力で、華やかな第2回開催となりました。
 1回目は立ち上げるのに必死で、手探り状態の中、多少の失敗は許されました。2回目は反省点クリアと前回の教訓を生かせばよかったわけです。第3回はというと…、毎年『ヨコハマボウル』という、超メジャーボウルを開催している『タッチダウン』の方とお話した際に「3回目からが難しいんですよ」と言われました。また「原点に帰ればいいんです」とも言われました。3回目の開催準備に追われる毎日ですが、原点の『手作りの大会』って事だけは忘れないようにやっていきたいと思います。

  5/17@自宅2階


第55回
 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 年頭のHCレポートですので、昨シーズンの反省と今シーズンの所信表明みたいな事を書かないとマズイかなと思っています(本当はライスボウルや関学-立命戦などいろいろ書きたいのですが)。

 昨シーズン、何故プレーオフに出場できなかったのか、シーズン中のゲームレポートは前述のとおりですが、要因のひとつとして、一昨年、プレーオフ一回戦で敗退したあのシーズンが何も活かされてなかった事があると思います。
 初戦の立川戦に引き分け、グリズリーズ戦に敗れはしたものの、得失点差によるプレーオフ出場を目指し、遅まきながらチームがひとつになり、勝つためのフットボールをしました。プレーオフでブランディングスに負けたのは、チームとして能力的にあそこまでが限界だったわけです。

 負けた後、メンバーは来年は絶対に勝ちたいと思ったはずです。そして、昨年の春先、チーム内がガタガタしていて、私もグランドに足を運ばなかったのもいけなかったのですが、チームが何故かリセットされ、また前シーズンの初めの頃に、プレーも練習も戻っちゃってました。何のためにプレーオフに出場したのか、私にはわからなくなりました。どうして最後に負けた、あそこからスタートできないのでしょうか?どうして、気持ちもプレーもリセットされちゃうんでしょうか?

 今シーズンは絶対に、「勝ったのに悔しくて泣いた」あそこからスタートしないとダメなんです。確かに、気持ちを今から秋まで持続させるのは難しいです。そのために、鎌倉ボウルや遠征試合を組んだりして、モチベーションアップを考えているんです。こういった事を書くと必ず出てくるのが、個人の自覚です。昨年の新人は、HCはじめ幹部に頼ってもよかったです。しかし、年が明けて、もう新人はいないのだから、ひとりひとりが自覚を持ってチームに参加してほしいです。また、それにきちんと対応できるように、チーム全体がしっかりすべきだと思っています。

 この競技は『勝つ』ために行なうものです。今更ですが、それを忘れかけている部分が昨シーズンの失敗かもしれません。

 2004年シーズン、鎌倉ラザロは『勝つ』事を楽しむチームになりたいと思います。応援、よろしくお願いいたします。

第54回
 12月23日、澄み切った冬の青空の下、フィールド上は『小春日和り』の横浜スタジアム。宿敵、ガルファイターズを倒すべく集まりし、我がPFAドリームチーム。私が率いさせていただいたドリームチームオフェンス。1Qの2度のシリーズをパント無しでTDに結びつけ、楽しいフットボールを堪能していました。私の投げるヘナチョコパスを難なくキャッチしてくれるWR陣、パスが決まらなくても、オプションやスィープでオープンに振ればロングゲインしてくれる超スピードTB。ブランクをかんじさせないOLと共に、本当に楽しいオフェンスでした。よくよく考えたらTBは、今のJPFFを代表する2人の選手でした。そんな2人と一緒にプレーできて、QBとして光栄でした。

 2Qに入り、1Qに蒔いたプレーの裏をいろいろとやろうと思った矢先に、事件(?)は起きました。パスを投げようと振り上げた私の脇腹に、この試合の主旨を理解していないプレーヤーが、ヘルメットでヒットしてきました(通常の試合でも危ないプレーをこの試合でやりますかねぇ)。外にいたウチのWRが、「いい音したよ〜」って後で言ってました。ミゾオチに入って、息ができないのと違い、骨に当たって痛くて息ができないというのは初めてで、パニクりました。女性スタッフの方の「落ち着いて深呼吸して」の言葉にも、だってイテェんだよぉ〜、ってしか思えない程、苦しかったです。情けなく担架で退場。ベンチで痛がる私を面白がって、何故か大撮影会!少しは心配しろ!

 ハーフタイムを待たずして、着替えて病院へ行ってレントゲン撮影。骨は折れてはいないが、ヒビは、いってるだろう、との所見。とりあえず、よかったと思いつつ医者の書き込むカルテを見ると、それは後半に、手の小指を脱臼した、チーム『G』のDBの方のカルテ。「先生、それ違うよ」って言ったら「何が?」だって。アバラをケガしたのに、小指を固定されても治らないっちゅうの!そりゃあ、チーム『L』の#24のTや、『G』の#95のYに、よく「小指の無い仕事をしてる」とは言われてるけど…、アバラだって、ケガしたのは。これって『医療ミス』の入り口?

 こんな思いをしている私を気にせず、チーム『L』#44SがQBをやり、チーム『G』#95Yが、RBでTDしたり、私が蒔いた種を利用して、やりたい放題!チーム『L』#88TのリバースからTD。最後も#88Tに、ロングパスを決めて、3TDを追加。丁寧なクォーターバッキングをした私は何?プレーした2シリーズは、全レシーバー、バックスにボールを持たせる気遣い、スィープを多用して、リバースなどの布石を作った私の努力を…。試合後の集合写真も、「山口さんは、隅の方に円の中に入れてあげれば」だって。あげくの果てには掲示板に、「QBって誰でもできるの?」とか書かれちゃうし。今年のクリスマスのサンタからのプレゼントはアバラの痛みを抑えてくれる『圧迫帯』でした。

 今年のドリームチームは、今までで一番まとまっていたというか、本当にひとつのチームになっていたと思います。チーム間を超えて、ほとんどが初対面で名前も知らないままプレーして、リバースやったり、キャッチボールもほとんどしないでパスコースを走ったり、オプションのピッチをしたり、スゴい事だと思います。しかも勝っちゃったし。みんな本当にフットボールを楽しみに参加してくれて、いい人ばかりでした。そして、MGをしてくださった各チームのスタッフの方々、審判、チェーンなどを手伝ってくれた現役選手のみなさん。本当にオヤジ共の道楽に付き合ってくださり、ありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

 チーム間を超えてのこうしたイベントは毎年開催したいですし、大切にしていきたいと思っています。もっと多くの方の参加を期待します。

 という事で、アバラも痛いし、しばらくお休みします。次回は新年は6日過ぎぐらいから始めようかと。書きたい事は、まだまだたくさんありますので。

横浜SG#22RB『弟』さんへ 
 という事で「HC日記」は冬休みですが、代わりにラザロの掲示板に不定期ですが「HC闘病日記」を書き込みますので、仕事中退屈でしたら、そちらをどうぞ!

 それでは、よいお年を。
第53回
 試合終了後、整列、あいさつをしてエール交換。実はこの時、バレないようにちょっとだけ泣きました。久々の試合にパニクってしまい、用意したプレーも半分ぐらいしかコールできなくて、しかも『サックゼロ』という素晴らしいOLの活躍に答えられなかったパス成功率。ホント情けなかったです。自分に腹が立ちました。

 プレーオフ出場のために、須藤より多くプレーしたのに、今年のラザロはここで終わりました。今シーズンは若い新人プレーヤーが多数入部してくれ、彼らを中心にチーム作りをしてきたので、それをしながらのプレーオフ出場というのは厳しいものがあったかもしれません。でも、プライベートチームである以上、勝つ事も世代交代も同時にやれるように努力すべきだと思います。
 家庭や仕事、年令的な事情で、そのシーズンが最後と思いながら参加している選手は、なんとしてでも勝ちたいでしょう。若手育成だから、という理由だけでチームが試合に臨むのは厳しい現実かと思います。強いチームはそういった「勝つ事」と「世代交代」をスムーズにこなしているんだと思います。近年のラザロはこれが出来ていないんだと思います。しかし、今シーズンは中堅と新人がうまく噛み合っているので、私をはじめロートルがうまく引き継げば来年以降、楽しみなチームになると思います。

 話は前後しますが、ラザロは最終戦に勝利したんです。26年、プレーしてきて一度でいいから、勝って嬉しくて泣いてみたいんです。そんな経験は普通の人生でなかなか無いと思います。今回、勝ったのに悔しくて泣きました。もしかしたら、これはこれで貴重な体験かと感じています。その試合だけを思えば、ここ数年の雪辱を晴らしたのだから、万万歳なんですが、正直、負けた時より悔しい気持ちが強かったです。

 また今年も『勝者に哀を 敗者に歓を』になりました。一度でいいから、『哀』をあじわってみたいものです。

 立ち直った今だから言える、自慢の追加!
*あの瀬田のダイブからのQBキープ。ビデオにアドバイザーの小松氏の「これは想像してなかった」の一言。この一言は嬉しい。QB冥利。
*ゴール前でのQBカウンター。これは前日の夕方に閃いたプレー。当日、アサイメントチェックしてブッツケ本番。OLの見事なブロック&理解力に脱帽!OL最高!
*そして、この次のプレー。QBスニーク。最初の頃のHCレポートに書いた『KGのQBスニーク』と同じ意図があるのを何人の人が分かるでしょうか?あのスニークがもしかしたら、私のQB人生で最高のプレーコールかもしれないです。解説希望の方は事務局経由でHCまで(笑)。


第52回
 ラザロのリターンでキックオフ。

 最初のシリーズは、須藤のプレースタイルの印象付けと、ブリッツ、DBのカバーチェックの為、ノーハドルから3プレー、左右に流れるランパスを展開。少しは効果があったと思うが、3アウトでパント。

 1Q半ばからダイブ、インターフェアなどで前進。敵陣に入ったところで、ドローをやろうと瀬田に言ったら、ん〜、と返事。でも流れ的には、失敗してもいいやでコール。セットしたらLB2枚がブリッツ気配。嬉しさが顔に出ないようにプレー。瀬田が目の前を通っているのに、DL&LBがQBにラッシュ。それを見て、さらにいやらしいアフターフェイク(笑)。瀬田は一気にゴール前。ここで1バックから2バックに戻し、スピードTBの松村ではなく、パワーの太一を起用。フルパワーのセンターブラストをコール。しかし、本人が一番悔しいだろう、スタートでスリップしてタックルされてロス。ここで1Q終了!ラインから何故、今NGだったと聞かれ、「太一が滑った」と答えたら、怒ってた。QBスニークでよかったのでは?とも言われましたが、以外と距離があったのと、ロスがなく、オフェンスメンバー全員で最初のTDを獲りたかったので、まずはこのプレーをコールしました。こういった考えでコールしたプレーを、スリップしたりなんかしたら、以前の私だったら、殴るか蹴るか二度と使いませんでした(笑)。でも最近は、自分だって完璧じゃないんだから、「いいっかぁ」って思えるようになりました。そりゃあ悔しいし、厳しいですよ。ある意味、自信を持ってコールしたプレーですから。でも結局この後、私のプレー選択ミスでFGに終わってしまい、情けなかったです。ゴールラインディフェンスだと思い、ウィークへのパワーをコール、ノーマルで構えていたので、当然一人足りない。ならばと、ルックインパスをコールしたら、何故そこにお前がいるの?といったディフェンダーにカットされ、すごすごとベンチへ戻りました。最高のオフェンスドライブをTDできなかった。これが結局、最後までひびいちゃいました。

 ラザロのディフェンス陣がこの日も素晴らしい粘りをみせ、前半をシャットアウト。後半、もたつくオフェンスにディフェンスは辛抱し続けてくれました。4Qまで追加点が入らないが、激しいタックルの連発。

 五十嵐のインターセプトで得たチャンスでオフェンス開始。スペシャルプレー失敗、その後、ショートヤーデージで瀬田のダイブをコール、ハンドオフの瞬間、OLBがチャージして、瀬田にタックルにいってるのが見えたので、咄嗟の判断でボールを抜いてオープンへのキープラン。WRのホールディングでファーストダウンは取り消しでしたが、ちょっと(かなり)自慢の好判断でした。WRのホールディングはちょっと厳しいです。絶対にホールディングじゃないです。審判のメカニックからも、あの方向からフラッグが飛ぶのはおかしいし、あれをホールディングにされたら、WRはオープンでブロックできないです。廣石、ナイスブロックだったよ!

 このシリーズもNGで、いつもだとそろそろディフェンスが切れてしまうのですが、この日は違いました。ハードタックル連発で今度は山縣がインターセプト。ラストダウン5ヤードのピンチをフレアーをTE篠崎にヒット、ランアフターキャッチでファーストダウン。ゴール前まであと10数ヤード。ここで、またまた自慢!右OPフェイクのQBカウンター、村尾、川嶋の低いドライブブロック、矢代の見事なトラップで、見た事ないぐらいの穴が開き、私の気持ちはエンドゾーンが、5ヤード付近で軽くタックルされる。残り2ヤードで、とりあえずファーストダウンを獲る為にQBスニーク。これまた矢代、川名、村尾、川嶋の地を這うようなブロックでダウン更新!そして最後は太一のダイブでTD!前節のDJ戦で、ショートヤーデージでダンブロ行ったりしてたOLが、本物のOLになりました。勝つ為に、ボールを少しでも前に進める為に低く早いブロックを繰り返す、簡単なようでなかなかできない事をこの日のOLはやり遂げました。最高のOLです!
 
 PATは2ポイントにトライしたがNG。オンサイドキックも失敗、ディフェンスの踏張り後、残り時間から須藤のノーハドルオフェンスに望みを託すもゲームオーバー。結果は9対0。3Qでのショボいプレーコールが、最後までひびいちゃいました。

 この後のいろいろは、また次回。

第51回
  11月30日、川崎球場。ラザロは駐車場担当があった為、9時半集合。全員で第1試合の横浜シーガルVS東海シーガル戦を観戦しました。偶然ですが、この日組まれていた3試合とも、勝ったチームがプレーオフ出場決定となっていました。ラザロとしては横浜シーガルさんが勝ってくれるのが一番楽だし、昨年から懇意にしていて、鎌倉ボウルも協力してもらったし、一緒にプレーオフ出場したかったです。

 両チームともプレーオフ出場に対する気持ちが伝わってくるプレーの中、横浜シーガルがリードしたまま試合は進みました。しかし、欲しい追加点が中々獲れず、デニスのインターセプトTDが反則でなしになったときは、スタンドで応援していた私たちもガックリきました。最後の最後にやっちゃいけないミスが出て、横浜シーガルディフェンス陣も粘ったのですが、自陣ゴール前からの東海オフェンスを止められませんでした。

 この結果、ラザロはブランディングスに勝つだけでなく、20点差をつけて勝たなければならなくなりました。主将の五十嵐とは、第1試合の結果に関係なく、点を獲りにいく試合をすると話していたので、ショックのようなものはありませんでした。
 ただ、得失点差の対象チームが、横浜シーガルさんという皮肉な巡り合わせになりました。自力優勝のなくなった横浜シーガルさんは、19点差以内でラザロに勝って欲しいだろうし、それ以前にラザロが勝てるの?って思ったでしょう。ここまでのリーグ戦を考えたら、ほぼ絶望的ですよね。試合前に横浜シーガルの選手に「お願いしますよ」と言われ、「ここまでの総得点が12点のチームがどうしろっていうんだよ」と言いました。しかもデカイ声で。実はこの時、目の前でブランディングスの選手が着替えていたんです。
 
 試合が近づくにつれ、プレッシャーより、どうせ一度諦めたプレーオフ、しかも先週あれだけやったし、といったスゴいフッ切れた気持ちになっていました。相手チームはDJ戦のスカウティングに千葉まで来てました。あの試合のデータは何も役に立ちません(笑)。QB須藤のプレースタイル変更、私が1バックからのプレー出場、さまざまなブリッツ対策など、フッ切れた気持ち、プラス勝てる要素しか考えないようにしていました。
 私がQBで、あれだけプレー出場するとは、先週の練習に参加しなかったラザロのメンバーでさえ知らなかったわけだし、まして試合前に、横浜シーガルさんに「勝てるわけないだろ」とブランディングスに聞こえるように話して、敵も味方も欺いてましたからね。

 試合前練習は、みんな久々に、いい緊張感をもって行なってました。ちょうど一年前、同じベンチサイドでラザロオフェンスは、1点も獲れずにブランディングスに敗れました。ホントに一年なんて、アッという間です。もう負けたくなんかないです。五十嵐には、攻めて攻めて攻めまくるから、その結果のターンオーバーは、よろしく頼むと話し、彼も当然だと答えてくれました。